また逢う日まで ~佳世からの手紙~

 さて、吉岡家が引っ越す日、学校では。


 まず、桑原さんが新理事長に就任するとのお知らせがあった。

 だからと言って校則が厳しくなったりとか直接の影響はほぼないようで、大半の生徒は興味がなさげである。新聞部のゴシップの意味はいったい。

 まああれだな、ノイジーマイナリティが騒ぎ立てて扇動しようと思っても、深く考えずに乗っかるのはどこかのバカだけってことで。


 ただ、琴音ちゃんは桑原新理事長の娘になる、ということだけは話題をかっさらうほどにインパクトある事実だった。


「よっ、理事長の娘」


「やめてください祐介くんまで。なんなんですか、今までわたしを歯牙にもかけなかったクラスメイトまで、そんなことばっかり」


 ちょうど昇降口で琴音ちゃんに遭遇し、軽口で挨拶すると、そんなふうに返された。

 ま、口ではそう言いつつも、最近の琴音ちゃんはなんだか堂々としているように思えるけどね。ずっと琴音ちゃんを見続けていた俺が言うのだから間違いない。

 ただ、猫背気味だった背筋がピンと伸びたせいで、お胸のほうも堂々と強調されるようになってるのが、男の勲章的な意味での悩みの精……じゃない、悩みのタネだわ。

 いやらしい視線をカットするのも一苦労だよ、彼氏としては。


 まあなんにせよ、自分に自信が持てたってことはいいことだとは思う。


 推測にしか過ぎないけどさ。

 自分の存在というものを否定するような、初音さんの浮気で生まれた子、という枷から解き放たれたんだよね、きっと。桑原さんに「私の娘だ」と肯定されたことが大きかったということか。

 これが琴音ちゃんの本来の姿なのかもしれないな。


 誤解なきように頼むが、ちょっとおどおどしながら自信なさげにおねだりしてくる琴音ちゃんも可愛かったぞ、もちろん。

 結論、琴音ちゃんはどうあがいてもカワイイ。


「……吉岡さん、今日引っ越すんでしたよね」


 ああ、そうそう。

 池谷はあっさり試される大地へ転校手続きをさせられ、誰も知らないうちにこの学校から消えていた。ま、アイツが恋愛自由な男子校で掘って掘られて掘り返されてエッチスケッチワンタッチな目に遭おうと、俺たちの知ったことではない。


 そして佳世の件は、ケガをしたため転校、リハビリする、ということで一応は落ち着いた。

 バスケ部は活動停止となったし、詳しい事情を知っている者もいるとは思うけど、その事件にかかわっているであろう琴音ちゃんが新理事長の娘となることに忖度そんたくしてなのか、表立って噂するものは少ない。いいことだ。


「そうみたいね。まあ、佳之さんと菜摘さんはゆうべ緑川家ウチにあいさつに来たし、あいさつは済ませたよ」


「……吉岡さんとは、別れは?」


「ん……べつにいいんじゃないかな。だいいち、佳世も俺に会いたくないだろう」


「そうとは思えないですけど……」


「ま、なんとなくそうじゃないか、って思うだけだけどね俺が。会ったところで頑張れくらいしか言うことないわけで」


 俺は並んで琴音ちゃんと一緒に教室へ向かいながら、軽くいなす。


「……なんとなく、くやしいですね」


「あん? なにが?」


「祐介くんは、話さなくてもそうわかっている、ってことですよね。吉岡さんのことを」


「……」


 琴音ちゃんに指摘され、けっこう驚いた。

 佳世と幼なじみって事実は、こんなところにも隠れず出てくる。


「……ま、負けません!」


「何を?」


「秘密です!」


 鼻息荒く右手で拳を握りしめ、琴音ちゃんが対抗意識をあらわにするのがかわいくて、なんか抱きしめたくなる。けど今は我慢。


「……琴音ちゃんは、いつでも勝ってるよ」


 ボソッとつぶやいた俺の言葉は、琴音ちゃんに届いているのかいないのかわからないけど。

 たぶん、琴音ちゃんとは、俺と佳世が一緒に過ごしてきたよりも、はるかに長い付き合いになるだろうから。


 絶対に負けるわけないじゃん。



―・―・―・―・―・―・―



 そして、学校はあっという間に終わった。

 琴音ちゃんは、家族会議があるらしく、今日はすぐ帰宅しなければならないらしい。ごめんなさいと謝られた。

 別にこれからずっと一緒なんだから、今日くらい一緒にいられなくても謝る必要ないんだけどね。


…………


 でも、なんとなく。

 俺は家に帰る気になれなくて。


 裏庭でボーっとした時間を過ごし、下校時刻のチャイムが鳴り響くまで動き出せなかった。


 ──今までの十六年間が、リセットされる。


 そんな場面を、現実として認識したくない気持ちがどこかにあったのだろうか。


 そして、帰宅したとき。

 隣の家には明かりどころか、人が住んでいる気配すら感じられなくなっていた。


「……ふん」


 翻訳など到底不可能な感情だ。マウン〇ンデューどころのレベルじゃない。

 この気持ちををエキ〇イト翻訳にブッコんだとしたら、誰もが理解できない意味不明な日本語になるだろう。そこ、もともとエ〇サイト翻訳は意味不明とか言わない。


 自分で自分がいまいちわからないまま、我が家の玄関扉を開ける。


「……あ、お兄ちゃん、お帰り」


「トラウマ」


「へ?」


「間違えた、ただいま」


 真っ先に声をかけてきたのは妹の佑美だった。


「遅かったね」


「ああ、ちょっとやんごとなき用事があってな」


 嘘である。

 でもそんなウソは、たぶん家族にはバレてんだろ。


 開き直って、自分の部屋へ閉じこもろうとしたところ。


「……お兄ちゃんに、手紙預かってるよ。はい」


 佑美が、俺の前にシンプルな白い封筒を差し出してきた。

 よく見ると、表面には『ゆうすけへ』と書かれている。


「ちゃんと読んでね。破り捨てちゃ、ダメだよ」


 佑美が必死で訴えてくるのが、なんとなく滑稽で。

 俺は無言で手紙を奪い取り、自分の部屋へと戻った。


 そして、険しい顔をしながら、手紙を読む。



────────────────────────



祐介へ



十六年間、幼なじみでいてくれて、ありがとう。


そして、ごめんなさい。


何度謝っても、許されることではないと、わかってる。


それでも、わたしは謝ることしかできません。


祐介は、わたしをあんなに大事にしてくれたのに。


わたしは、祐介を大事にしなかった。


罰を受けるのも、当然だよね。


なのに、祐介は助けてくれた。


改めて誓うね。わたしのこの罪も祐介のやさしさも、絶対に忘れない。


忘れないで、リハビリ、頑張ります。



こんな状態でも、わたしはバカです。


半年前に戻れたら。ううん、二年前に戻れたら。


後ろ向きなことばっかり、考えてしまいます。


でもきっと、わたしでは祐介を幸せにすることはできない。


わたしがそばにいたら、祐介は裏切られたことを忘れることなんてできないから。


だからわたしも、前を向いていければいいな、そう思っています。


わたしが祐介に向けて、最後に笑顔を見せたのは、いつだったろう。


無理に作った笑顔じゃなくて、心からの笑顔。


もうずっと、見せてなかった気がします。


そんなわたしに、祐介が笑顔を見せてくれるはずなんて、ないよね。


十六年という長い時間を振り返ったときに。


最後に見せたわたしの笑顔が、あんな嘘にまみれたものだなんて。


少しだけ、悲しすぎるから。


だから、わたしのことは、忘れてもいい。


わたしの汚い笑顔ごと、記憶から消し去っていい。


わたしは、ずっと忘れないから。それでいい。


わたしはもう、誰も絶対に裏切らない。奈保ちゃんと交わした約束も。


そして、いつかまた逢えた時に。


お互いに、違う道を歩いていたとしても。


心からの笑顔を、祐介に見せられたら、いいな。


本気でそう思っています。



最後に会ったら、きっと泣き出しちゃうと思う。


だから、手紙で伝えます。


もう一度言うね。


こんなバカなわたしと、十六年間、幼なじみでいてくれて、本当にありがとう。


そして、幸せになってください。



               佳世より



────────────────────────



 ──はっ。

 バカのくせに、必死で言葉を選んで書きやがって。

 佳世おまえは最後に、何がしたかったんだよ。


 読み終えた俺は、思わず手紙を握りつぶす。


 知らないうちに、頬を何かが伝った。

 量としては些細な。朝露ほどの、ひとしずく。


 吹っ切ったつもりでも、俺の中にまだしつこく残っていた、十六年積み上げられた佳世との何かのかけらだ。


 ゴメン、琴音ちゃん。

 今だけ、泣かせてくれないか。


 これは悲しい涙じゃない。

 俺が完全に吹っ切るための、最後の情を吐き出すための涙なんだ。


 この涙が枯れれば、きっと俺は。

 なんの憂いもなく、琴音ちゃんと幸せになることだけ、考えられるから。

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