苦悩の末に一歩前へ踏み出す、それもまた愛

 さて、あの後の話し合いを箇条書き。


 とりあえず、池谷の処遇については略。池谷のイチモツ、無用の長物。高みの見物、南無阿弥陀仏。韻を踏んでも七点満点で三点くらいだ。

 馬場先生は、いちおう退職願を桑原さん預かり。


 池谷は自業自得によって隔離寸前の精神状態へと追い込まれたが、池谷母は桑原さんの恩情に感謝しっぱなしだった。温度差が激しい。


 ちなみに池谷母、予想通りというかなんというか。婿養子であった池谷父の浮気に、散々苦しめられていた模様。

 特に訊きたい人はいなかったのに、どのくらい心が痛んだか、池谷の祖父である池谷印工社長がどれだけ苦しめられたかをとつとつと語っていた。

 結婚前はまじめだったのに、結婚後は次期社長という立ち位置に胡坐をかいて池谷父は増長したらしい。ま、それが素だわな。その素が池谷に遺伝しただけ。


 結局後継ぎが欲しかったので、池谷の親権を取って離婚したが、そのロクデナシな男の血を引く池谷にさんざん手を焼いていたとも。


 高校三年間を終えたら、池谷が社長候補として復活する可能性があるのは少しだけ癪だけどさ。ま、お天道様はきっと見ている。さらなる因果応報があることを期待したい。


 さらに余談だが、池谷母、馬場先生の潔さに結構ハートをドキュンされてたみたいな様子だった。黄ばんだふんどしはともかくとして、責任をとろうとした馬場先生の決意はホンモノだっただろうし、馬場先生が池谷の義父になるかもと考えると少しだけちゃんちゃらおかPが、きっと丸く収まると思ってもいる。


 そして、肝心のバスケ部は、学年度末まで休部という沙汰が下りた。


 校長の言い方では、廃部という方向で論議していたらしいが、そこで。


『じゃあ、バスケ同好会を設立するのは、かまわないんですよね?』


 とナポリたんが質問をしたら、桑原さんは二つ返事で許諾。

 大会に出ることは叶わないとしても、もし同好会設立それが許されるのであれば、バスケ部をムリヤリ廃部にしなくてもいいんじゃないか。そんな結論に達するのは難しくはなかった。

 一応のけじめをつければ、今残ってるバスケ部員に責任はないわけだしね。


 誰よりもそのことを喜んだナポリたん。


『ハヤト兄ぃと、また一緒にバスケがやれる!』


 その嬉しそうな様子を見て思った。

 やっぱり、ナポリたんってさ、まだハヤト兄ぃのこと……いや、ゲスの勘繰りはやめておくべきか。


 そうそう、新聞部は新聞同好会に格下げと相成った。

 予算の大幅カット、今後の校内新聞発行に関する結構厳しめの制約。もちろん生徒のプライバシーを侵害しないという項目もついてる。文化報道、因果応報。だが決して不倫は文化ではない。断言。

 これだけだと遺恨が残りそうなものだが、大学推薦をエサにしてメアリーさんを懐柔する桑原さんのやり方は大したもんだね。飴とムチ、デキる大人はやはり違う。ウチのオヤジに見習ってほしいよ。


 という結論でお開き──のはずだったのだが。

 なぜか、いったん解散したのち、俺と琴音ちゃんだけ残されている、桑原さんの前に。


 ヤな予感。バリキャリOLでも耐えられるかわからん気まずさがある。


 ──が。

 覚悟はとうの昔に決めている。さあ煮て食うなり焼いて食うなり好きにしろい、てやんでぇ。火事と修羅場はNTRの華だ。


「一昨日の今日で、もう再会したな。緑川くん」


 とばかりに心の白装束をまとったら、拍子抜けするくらい穏やかに桑原さんが話しかけてきたので、緊張が一気に緩和された。


 そうそうこれこそがラブアンドピースの世界だよね。

 でも頭の中では、『H.T.』のギターが鳴り響いてるので、油断は禁物。相手はカタブツ、まず先手打つ。

 ……俺、やっぱライムに関しての才能ないわ。まあいい。


「いや、本当にお見苦しいところをお見せしました。お許しください」


 頭を垂れつつ社交辞令で無難に返そう。


「はは、そんなことはどうでもいいだろう。いまさらかしこまる必要はない、いままで通りでいいじゃないか」


 そんな俺を気遣ってくれたのか、桑原さんが以前と同じように、砕けて話しかけてくれた。俺は遠慮なしにそれを受け入れ、座ったまま足を組む。


「なら遠慮なく。どうも、きょうはいろいろお世話になりました」


「……やっぱり君は、面白い子だね。礼を言うのはこちらだよ、おかげで琴音に喜んでもらえた」


「はい?」


「お土産の話だよ。緑川くんの言う通り、シベリアを買って行ったおかげで、すぐに打ち解けられてね」


「ああ……」


 そういや今まで頭の中から吹っ飛んでいたけど、おすすめしたっけな確かに。


「まあ、そのくらい知ってて当然か。まさか緑川くんが、琴音の──娘の彼氏だったとは思いもしなかったな」


 そこでチラッと桑原さんから見られ、恥ずかしそうに下を向く琴音ちゃん。


「あ、あううぅぅ……」


 まあ確かに黙ってたのは意図的だったんだけどね。でも別に桑原さんに意地悪しようなんて気はさらさらなかったし。


 ──これは、ひょっとすると最初の時にしらばっくれていたことを糾弾される流れか?


「あ、あのすいません。最初の時は別に、ごまかそうと思ってたわけじゃ……」


 俺の焦りようを見た桑原さんが威厳もなく笑う。こんな笑い方ができる人なんだな。


「そんなことはわかっているよ。あの時の私は怪しさ満点だったしな。琴音を守ろうとしてくれてたんだろう?」


「は、はあ……」


「キミの琴音に対する気持ちは、先ほどの発言でいやというほど理解した。そのあたりは気にしなくていい」


 やっべ、そうだよ、俺ってば父親(仮)の前で琴音ちゃん好き好き大好き宣言したじゃん。

 そっちの方が大問題です本当にありがとうございました。


「あ、ああああの」


「祐介くんどもってますしっかりしてください」


「そうだな、俺らしくもない」


「やっぱりすごいですねその変わり身」


 琴音ちゃんと俺の簡易漫才を挟んで、桑原さんがまたしても笑う。先ほどよりも大きな声で。


「全く不思議な子だな。正直なところ、普通ならば大事な娘の琴音を奪っていくであろう男に対し、何かしら負の感情が芽生えてもおかしくはないのだが」


「お手柔らかに勘弁してくださいませんかね?」


「何やら娘だけでなく、息子までできたような気になってきたよ。私も年かな」


「……」


「……いや、こんな年になるまで、私は独りで頑張りすぎていたのかもな」


 桑原さんがうってかわってしんみりモードである。


 うーん。

 やっぱり、桑原さんは初音さんに裏切られたことを忘れられず、憎み続けて生きてきたのかもしれない。そしてふと振り返ったら、誰もいないことにさみしさを感じた。そういうことなのだろう。


 まあ推測するならば。

 桑原さんは、初音さんのことをずっと好きで。

 好きだからこそ裏切られたことが許せなくて。

 それでもやっぱり好きで、その気持ちをごまかすように憎み続けてた。


 そりゃ、静かな股間の森の影から、もう起きちゃいかがとカッコーされたわけだからして、憎み続けるのは至極当然としても。


 でも、ふとかたくなになっていた自分に気づいて。

 そこで贖罪の気持ちを変わらずに持ち続けていると信じられたからこそ、初音さんを赦したのかもね。憎むのにもパワーがいることもわかるし、うん。


 で、赦すことで桑原さん自身、少し楽にはなれたのはともかく。


 じゃあ今まで憎み続けてきた時間は無駄だったのか。

 どうせよりを戻すならばもっと早くに許していればよかったんじゃないか、今までの時間は無駄だったんじゃないか。

 そんな葛藤があった、って感じ?


 まあでも。

 さっきの糾弾で、琴音ちゃんを守るためではあるだろうけど、はっきり『娘だ』と言い切ったあたり、すべて吹っ切れたように見える。


「お疲れさまでした」


 少しだけ悩んで、桑原さんにかけた言葉が結局それだった。そうとしか言いようがないでしょ。


 俺には琴音ちゃんがいたけど、桑原さんには誰もいなかった。

 俺は二人で心の傷を癒すことができたけど、桑原さんは誰も癒してくれなかった。


 同じ裏切られた立場でも、こんなにも絶望的な違いがある。

 愛する人に裏切られたときの心の闇の深さは、体験した人じゃないとわかるまい。

 心が死んでもおかしくないその闇から、無事生還したからこその『お疲れ様』だ。


 浮気発覚からの、桑原さんと初音さんの行動が純愛にすら感じられるような錯覚。なんだろな、これ。


「……ふふ、本当に……緑川くん、キミは素晴らしい人間だね」


 俺の考えを見透かしたような表情で、桑原さんがそう言うが、うまい返しできるかこんなん。


「まったく。キミは、琴音とキスをしたなどと、時と場合によっては大問題になりそうなことを何の躊躇もなく悪びれるどころか堂々とカミングアウトしてくれて」


「……反省してまーす」


「そんなにはっきりと宣言されたら、今まで体裁ばかり気にして一歩踏み出せなかった自分が、バカみたいに思えるじゃないか……なあ?」


「いやあの」


 何か言い訳をしようと思ったが。

 桑原さんが自分の顔を隠すように両手を組んでしまったので、ストップ。


「……私は、初音とやり直すことに決めたよ。背中を押してくれた君のおかげだ」


 おお、空気読んでよかった。

 ──ま、イチョウの木のとこで話したときにはもう、吹っ切れるのも時間の問題だったはず。せいじゃないよね。


 桑原さんは穏やかにそう言ってから、顔を上げて琴音ちゃんのほうを見る。


「こんな私でも……一度はキミを捨てた私でも、父親として受け入れてもらえるだろうか……琴音」


 ちょいちょーい、桑原さん。もし父親になるなら、そんな野暮な質問はいけない。

 答えなんて決まってるじゃん。


「もちろん、です……」


 ほーら案の定。琴音ちゃん、目をにじませながら鼻声で答えてるじゃん。大事な娘を泣かせてどうすんの。ああダメ出ししてえ。


 おそらく、ふたりの離婚理由も、そして自分の出生のヒミツにもうすうす感づいている琴音ちゃんは、自身に罪はないにしても、消えないごうを背負って今まで生きてきたんだよ。

 こんなに魅力的なのに、自分に自信が持てなくて消極的に生きてきたんだよ。自分の存在を許されたなら拒否するわけないでしょ。


 ま、初音さんは、過去のあの話しぶりからしてまだ桑原さんのことを想っているようで、そっちも問題ないし。ハードル皆無。

 ファ〇通の攻略本レベルで『大丈夫』の太鼓判を押したいくらいだ。


 ひとりでウンウンと頷いている俺の横で、琴音ちゃんが申し訳なさそうに桑原さんに問いかける。


「あの……お願いが、あります」


「なんだね? 遠慮なく言うがいい、琴音」


 そこで少しだけ間をおいて。


「……お父さん、って……呼んでも、いいですか?」


 その遠慮がちな言い方に、俺はいい意味で再度呆れた。俺の前ではすでに『お父さん』呼ばわりしてたじゃねえか。なにを今さらブライアント。ダブルジョイントパッドしてえ。

 ああもう似た者同士だこの親子。本当に血のつながりねえのか?


「……嬉しいよ。もちろんだ」


 これまた桑原さんから当然の答え。

 まったく心配すらしていなかった俺を尻目に、琴音ちゃんは駆け出し、出来たてほやほやの父親へ飛びついた。


「あ、ああああああああ! おとうさん、おとうさん、おとうさぁぁぁん……! うれしいです……! ああああぁぁぁぁ……」


 桑原さんは両手を広げ泣きわめく琴音ちゃんを受け止める。はい、仲のいい親子、いっちょ上がり。

 俺は感動してなくもなくもなくもない。ちきしょう、目から茶のしずくが流れ出るぜ。おっと、小麦成分は入ってないからアレルギーの心配はないぞ。あきらめないで。みつを……じゃなかった、みき。


 ──しかし、琴音ちゃんをあやしながら。


「……緑川くん」


「はい?」


「これで私は琴音の父親になった。そして、この学園の理事長にもなる予定だ。父親としてはキミを認めるつもりだが、それはそれ。理事長としてお願いしたい。高校生らしい節度ある男女交際をしてくれたまえよ?」


 その時だけ桑原さんの威厳ふっかーつ!

 んなこと言われたら頷く以外選択肢ねえっつの。


 琴音ちゃんと桑原さんの間の万里の長城は崩壊したが。

 残念なことに、俺と琴音ちゃんの間にはベルリンの壁が建ったようであります。


 ──もちろん、後者は性的な意味でだよ?

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