わたしの心はあなたのもの

 玄関の扉を開けると、リビングには人影はなかった。

 俺は体調がよくなった……と自分では思っているが、佑美やおふくろはまだノロにやられてグロッキーであろうか。オヤジは言うに及ばず健康体だとして。


 …………


 ふむ。

 俺が早く良くなったのは、オヤジの遺伝子のおかげかもしれない。男系にあらわれるタフさ、みたいな?


 ま、いいや。

 誰もいないなら好都合、とりあえず回避──


「お兄ちゃん?」


 ──と思ったら、浴室のドアが開いた。


 うわ。

 佑美、風呂に入ってたのか。ノロなのに大丈夫なのか? 浴槽内で漏らしてないか?


「お、おう、今戻った」


「佳世ちゃんは!? 佳世ちゃんはどうしたの!?」


 頼むからバスタオル一枚で必死にならないでくれ妹よ。来客もいるというのに。


「それに関しては心配するな。あとで説明するから、早く服を着ろ」


 琴音ちゃんのほうをチラ見しつつ、俺が早口でまくしたてるのを受けた佑美は、ふと我に返ってから後ろにいるナポリたんと琴音ちゃんに気づいた。


「……あっ」


「げっ」


「ナポちゃあああぁぁぁん!」


 存在を確認した佑美が、ナポリたんに抱きつこうとタックルをする。

 カルカンもびっくり、佑美まっしぐら。


 ──が。


 ガヅンッ!

「あ」


 思わずナポリたんが、しまったという声をあげたその時。


 ナポリたんが逃げようと立てた片膝にダイブするような羽目になった佑美が撃沈した。

 自演乙と青木の対戦のような結末。


 失神ノックアウトされた佑美は、うつぶせに倒れ込んで微動だにしない。

 バスタオルがずれ落ちて、半ケツ見えてんだけど、どーすべきかな。あと鼻血はぶつける前に出たのかそれともぶつけた後か。


 まあ百歩譲って、佑美の汚いケツと鼻血なんてどうでもいいとして。


 ガチャ。


「……なんだ、今の鈍い音は」


 案の定、夫婦の部屋の扉が開く。

 クッソ、めんどくさいことになった。



 ―・―・―・―・―・―・―



「……と、いうわけで。いちおう佳世は命に別状はないみたい。あと、制裁やることはやっておいた」


 その騒ぎでウチにいたオヤジと静養していたおふくろまで現れた。

 ノロは大丈夫なんだろうか。琴音ちゃんに感染させたらシャレにならんぞ。

 顔色はだいぶ良くなってるみたいだから心配無用かもしれないけど、ウイルスは間違いなく残ってるよね体内に。


「……祐介」


「はい?」


 ノロ友の会会員に近づかないでね琴音ちゃん、と内心で思いつつ、今夜の一連の流れを説明し終えたあと。

 オヤジがいつになく真面目な顔で俺に問いかけてきた。


 こんな真面目な顔のオヤジを他に見れるのは、大当たり後図柄再抽選をするときくらいじゃないだろうか。なんだいったい。


「その、隣にいる、神が与えたもうた素晴らしいほどロケット巨乳のお嬢さんは、だれなんだ?」


 ──と思ったのが間違いだった。


 スパコーン。

 間髪入れずに、スリッパでおふくろに叩かれたオヤジ。おふくろまだ病んでる最中なんだから、ツッコミもほどほどにね。

 ああそれにしても情けない、こんな父親の血を引いているとは思いたくねえ。おっぱい星人かよ、オヤジも。言っとくけど警備員のコスプレしてなきゃもっとすごいからな。


 しゃーない、何かの間違いで手を出させないように宣言すっか。


「ああ、俺の彼女。白木琴音ちゃん」


「あ、あの! はじめまして、白木琴音と申します。ふ、ふつつかものですがよろしくお願い申し上げます」


「……は?」

「……ひ?」

「……ふっへほー?」


 合わせてペコリと頭を下げる琴音ちゃんに反応した、バイキンマンならぬノロウイルスマンアンドウィメンが間抜けである。


「佳世に裏切られて沈んでたときに慰めてくれた、俺の恩人でもある」


「あ、え、ええと、それはお互いさまで……」


「ついでに言うと、佳世の浮気相手の元彼女でした」


「なんだと!?」


 説明途中でオヤジが身を乗り出した。

 なんで興奮してんの。


「おま、ちょ、祐介、おま、その年齢でスワッピン……」


 スパコーン。

 おふくろによるスリッパでのツッコミ二回目。もう何も思うまい。死ね。死んで詫びろ。


「そんな下世話な話じゃないっつの。でも、お互いに悔しくて悲しくて情けなくて怒り狂って慰め合ったからこそ仲良くなれたしわかり合えたとは思う」


「……」


 包み隠さず素直にゲロする俺に対し、オヤジが腕を組んで考え込むようなそぶりを見せる。

 さすがに二回もおふくろにツッコまれたら、まじめな振りせざるを得ないか。


「……そうか……」


 なんて思ってたら、今度こそ本気でまじめになっているようだ。声がうわずってない。予想外。


 ここは鉄火場じゃねえぞ、らしくねえな。

 心配する俺を無視して、オヤジは琴音ちゃんに話しかけた。渋い年相応の声で。


「……お嬢ちゃん、いや、白木さん、だったか」


「は、はい」


「俺が言うのもなんだが、祐介のどこがよかったんだ?」


「え、ええと……」


 なんてこと訊きやがるこのバカオヤジ。

 俺の自信を失わせるつもりか。


 突然質問をふられた琴音ちゃんが、言うべきセリフを脳内で整理しているようで。頭をあちこちにゆっくり振っている。そんな仕草もカワイイ。


「え、えと、祐介くんは、いつでも優しいです。いつでも私を気遣ってくれます。わたしが悲しい時、一緒に泣いてくれました。わたしが一歩踏み出せないとき、背中を優しく押してくれました。わたしがほしいものを、いつも与えてくれました」


 見切り発車でしゃべりだしたような琴音ちゃん。そのせいか答えがややたどたどしいかな。


「いつもまわりに気を遣っているのに、それをおくびにも出さないで、ふざけてるように見えますけど、それも全部計算ずくの行動で。他の人に気を遣わせないように、自分から気を遣っている。そんな祐介くんは、わたしが知る男子で一番かっこいいです」


 でも照れくさい内容である。

 ま、お世辞だよね。話半分に聞いておかないと……ん?


「だけど……」


 そこで、琴音ちゃんが顔を引き締めて、視線をまっすぐオヤジに向けたのに気づく。

 すごく焦った俺がなんだかおかしい。どんな否定されるんだろう、なんてひやひやしてたら。


「祐介くんは、優しい分、人一倍傷つきます。なのに、それでもわたしのことを気遣ったりして、おちゃらけたふりして、それを悟られないようにごまかして」


「……」


「そんな祐介くんが、これ以上傷つかないようにしたい。わたしがもらった優しさの分だけでも、好きって気持ちは返したいんです。せめてわたしの心は、祐介くんだけのものって」


 どっかのNTRものでエタってる作品タイトルみたいなものの言い方はやめよう、琴音ちゃん。またパクリとか言われるから。たとえ中の人が同じだとしても。


「そ、それができているかどうかは、自信はないですけど。いつかちゃんと……」


 琴音ちゃんの独白に、みんなが無言になった。


 俺はすっごくむず痒くて、でも嬉しいし。

 どちらかというと俺が琴音ちゃんに救われてばっかりで、自分自身は大したことしてないという自覚があるので、恐縮しちゃうくらいだが。


 その一方で。


 オヤジは、眉間にしわを寄せ。

 おふくろは、頬に右手を当て。

 佑美は、鼻にティッシュ詰めたまま自分の両肩を抱くようなポーズをして。


 各々、何かを考え込んでいるようだった。


「あ、ああああ、あの、な、なにかわたし、またやっちゃいました!?」


 緑川家のリアクションが芳しくなく、孫みたいな狼狽え方をする琴音ちゃん。


「……ありがとう。そしてすまなかった、白木さん」


 だが、それは杞憂だった。しばらくしてから、オヤジが深々と頭を下げる。

 続いておふくろも。


 ──なんだ?

 オヤジが何に対してありがとうなのか、何に対してすまなかったなのかわからんせいで、琴音ちゃんは微妙な顔になるが。


「祐介に愛情こころを与えてくれて、ありがとう」


 ここで思わず俺が間抜け面になったわい。違うだろ表情変えさせる相手が。

 お構いなしにオヤジの言葉はまだ続く。


「きっと祐介は、愛情こころを返してもらえなかったのがつらかったんだと思う。こんなこと言うのもはばかられるが、今思うと私はそれを完全に理解していなかった。あんな騒ぎの後でも、祐介がそれほど荒れたりしてなくて、何を考えてるのかはっきりわからなかっただけだ」


 誰から愛情を返してもらえなかったのか、濁した発言。オヤジにしては空気が読めている。しかも一人称が『私』だと。こりゃマジレスモードだわ。

 まあ、付き合いが長い分、オヤジおふくろ両方とも佳世を憎みきれなかったとわかっちゃいたが。


「だが、祐介がすさんだりしなかったのは、白木さんが祐介にその気持ちを伝えていたからなんだと、ようやく理解できたよ。そんなことに気づかなかった私は、親失格と言われても返す言葉もない。本当にありがとう。そして、すまなかった。白木さん──祐介」


「……」


「与えるだけで、望むものを返してもらえないのは──つらいよな」


 気が付けば、オヤジとおふくろは土下座の体勢になっていた。


 俺と琴音ちゃん、無言。なんだよこれ。


 違うんだ。

 琴音ちゃんに好きって気持ちしかあげられなかったのに。

 俺は琴音ちゃんにいろんな幸せをもらってばっかりで。


 佳世に気持ちをあげても、自分勝手なものしか返ってこなかったのに。

 琴音ちゃんはいつも、俺が望むものをわかっているかのように返してくれて。

 それがとてつもなく嬉しくて。


 そしてきっと、俺は彼氏としては、佳世の望むものもあげられなかったとは思うけど。

 琴音ちゃんはそんなヘタレな俺に笑顔で寄り添ってくれて。


 これが、本当のコイビト同士なんだって、教えてくれたんだ。


 ああ、情けないことに涙が出てくらあ。

 あばれはっちゃくの父親の気分がわかったわ。


「……ありがとう、私からもお礼を言わせてください。お詫びと言っちゃなんですけど、白木さん。また日を改めて、緑川家に遊びに来てくださらないかしら?」


 まだ本調子でなさげなおふくろからのお願いに、琴音ちゃんが破顔した。


「は、はい! もちろんです!」


「……ふふ、祐介も隅に置けないわね。こんないい子が彼女になってくれるなんて」


 琴音ちゃんを認めてくれたのは嬉しいけどさ。母親の笑顔で俺を冷やかすなよ、おふくろ。


 感動とテッテレーが最高潮に達した俺は、泣きそうになった気持ちをごまかそうとテンパったせいか、そこで余計な一言を口走ってしまった。


「と、というかさ、琴音ちゃん。お母はつねさん今日帰ってこないんでしょ? ひとりじゃさみしいだろうし、ウチに泊まっていったら?」


「おお、そうなのか! ぜひ泊まっていくといい、祐介がお世話になったお礼だ!」


 おまけにこのオヤジ、ノリノリである。

 言っとくけど息子の巨乳ものは父のもの、じゃないからな。わきまえろよ。


 しかーし。


「あ、ああああああの、わたしは本当に何もしてないです! 祐介くんにもらった優しさが大きすぎて返せなくて! だ、だから、足りない分を、身体で返そうかなって……」


 デデーン。

 部屋が言葉のワンパンチで氷点下へと下がった。さすこと。


「……おい祐介。まさか、おまえすでに……」


「どっかの種馬だかカニだかわからんやつと一緒にすんなよ! あと生徒に手を出すような教師ともだ!」


「なんだと……? 久しぶりにやるのか?」


「売られた喧嘩は肉親だろうが買うぞ! 久しぶりだな、汚物消毒タイムも!」


 ゴング代わりの宣戦布告で父と息子の乱闘開始、かと思いきや。


「あ、あははー……白木、さすがに身体で返すそれはやめとけ。まあ、万が一にでも間違いが起きないように、今日はボクも緑川家ここで泊まっていくことにしよう」


 見かねたようにナポリたんが助け舟を出してくれた。さすナポ。


「えっ……ナポちゃんは、わたしの部屋に泊まってくんでしょ?」


「黙れ佑美。ボクは永遠の清純派だと言っているだろうが。塔を建てるような真似は控えろ。だいいち、百合タグはないんだこの作品は」



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