(二)黒き狼②
黒髪の青年オルディアス・ランフォードが「黒狼」と呼ばれるようになったのは傭兵時代のこと。
二年ほど前、行くあても無く流浪していた彼は、現在の副官である茶髪の娘と共に傭兵を取りまとめる商会の人材募集に飛びついた。
学が無い訳ではなかったが、身元の定かでない者を雇い入れるような場所が容易に見つかるはずもない。生きる糧を得るため、剣の腕に多少の自信があった彼が傭兵の道を選んだのは、むしろ当然の成り行きだったのかもしれない。
当時、帝国は西方平定作戦と呼ばれる戦いの最中にあり、傭兵の働き口には困る事は無かった。彼らは雇い入れられるなり支度金を渡されると、即座に西方戦線に送られる事となったのである。
領土拡大を狙って西へと侵攻した帝国軍に対し、激しく抵抗を続けるティガリア王国とガイヤラド共和国の連合軍。帝国としては人員を増やして状況を変えようという時でもあった。
戦場に向かう馬車の中、オルディアスは苦労を共にする茶髪の娘に頭を下げた。
「済まないな、エスティ……。こんな事にまで付き合わせてしまって」
「いいのよ。私も父にまとまったお金が渡せたし、貴方の父上もこれでようやく腰が下ろせたのでしょう?」
「それはそうなんだが……」
過去を捨て流浪に至った原因が自らの父や親戚にある、という時点でやるせない思いが募る。
だが、彼女が今までその事で恨み言を口にしたことは無い。オルディアスもそれだけに余計心苦しくもあった。
「まあ、剣の腕も役に立つし、頑張れば報奨金が出るらしいしさ!」
笑顔で元気にやる気が有る様を見せて、余計な気を遣わせないようにしようという彼女なりの配慮なのだろう。
「おお、嬢ちゃんの言う通りだぜ。大活躍して帝国軍からがっつり報奨金をせしめてやろうぜ!」
「おう、帝国の国庫が空になるくらいにな!」
同乗していたひとりの男が豪快に笑うと、周囲も同意するように応じると屈託のない笑顔を見せた。
彼らは嫌々戦場に向かうのではなく、稼ぐために戦いに行く。大金を得るためには自らの命を賭すことも厭わない、傭兵とはそういうものなのだろう。
生きるために傭兵という道を選ばざるを得なかった自分たちとは、気概も志も違うのだと感じてしまう。いや、あるいは道を違えずにいても、いずれは似たような事をしていたのではなかったか。
男たちに話を合わせるように笑顔を作る隣の娘と相反するように、オルディアスは自嘲しつつ苦笑を浮かべた。
彼らが送られた戦場は過酷だった。
まさに激戦である。馬車に同乗していた男たちも、ひとり、またひとりと戦場で斃れ消えていった。それでも、オルディアスとエスティの二人は互いに背中を守るように戦い抜いた。生き残るためにどうしたら良いのかを学びながら。
戦場にやってきてひと月経った頃。周囲の敵を倒して僅かな余裕が生まれた時、オルディアスはぼそりとつぶやいた。
「あいつより怖い敵はいないな……」
「え? 何か言った?」
それは抱えていた思いが小さく口をついて出たもの。
「いや、何でもない……。油断するなよ」
「うん!」
傭兵は戦場では危険な場所に投入される。だが、オルディアスは命の危険を感じることは有っても、敵兵に畏怖することも気圧されることも無かった。
あの時に比べれば……。
脳裏に焼き付いたままオルディアスの心を揺さぶるのは、ただ一人の姿。
逃れられぬ、もう消すことはできない過去。それは苦い思い出。
対峙した相手の悲しみに満ちた表情、そして涙しながら剣を振るう姿に、言い尽くせぬ思いを抱きつつも、剣で圧倒され抗えず、畏れ、剣を持つ手が震えた。
思い出す度にふと手が痺れるような感覚に捕らわれるのは、体に刻み込まれた畏れだけでなく、己の過ちへの罪悪感が原因なのだろうか。
過ちの果てに様々なものを失い流浪の身となったが、唯一エスティだけが支えるように残ってくれた。だからこそ彼女は何が何でも守り抜かねばならない。その思いを新たにし、彼は強くなろうと決意した。
そうだ、ここは戦場だ。感傷に浸っている場合ではない。
雑念を払うように頭を振ると、オルディアスは迫りくる相手をひとりふたりと薙ぎ倒し、雄叫びを上げた。
彼らは戦場を駆け剣を振るうという月日を重ねた。
死線のただ中での経験を積んだ結果だろうか、オルディアスに変化が訪れる。いつしか正面しか見えていなかった視界が開けたように感じ、仲間たちの姿が手に取るように分かるようになっていた。
「バルディ左から来るぞ! ガストリーとオッゴは右の敵を抑えてくれ!」
「おうよ!」
オルディアスは剣を閃かせつつ傭兵部隊の仲間に声を掛け、皆が最大限に戦えるよう指示を出し味方を鼓舞した。そんな彼を周囲も信頼するようになり、彼の成長と比例するように部隊の戦果は上がり、傭兵達の評価も上がった。
獣のような荒くれ者たちを、まるで狼の群れのようにまとめ上げ率いる黒髪の青年。いつしか彼は周囲の者達から黒狼と呼ばれるようになっていた。
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