(一)皇帝②
こうなれば、ここは宰相の援護をした方が良いだろう。
ゼオラグリオは皇帝の不興を買うのを覚悟すると、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「陛下、発言してもよろしいでしょうか?」
自身の半分ほどの年の皇帝に向かって、ゼオラグリオは恭しく頭を下げた。
「申せ」
新年とあって機嫌が良いのか、皇帝は笑みを絶やすことなく発言を許可した。
「恐れ入ります……。先程の宰相殿のお話にもありましたが、南方は一時的な衝突こそありましたが国家として消耗しておらず、手を出せば思わぬ大怪我をする可能性もございます。あちらは国家間の繋がりも強い国が多く、西方に比べ兵も精強です。侵攻に関しまして、今一度の……」
皇帝に対して自らの見解をもとに熱弁を振るうゼオラグリオを見つめ、ドグランジェは覚悟したように拳を握りしめた。
半刻後、ドグランジェは皇宮の庭園に続く回廊で、雪の舞う冬空を見上げ佇んでいた。
「ドグランジェ閣下!」
自らを呼ぶ声に気づくと、ドグランジェは視線を地上に落とした。
「アシェル坊……いや、ルクスフォール伯爵……か」
そう呼ばれ、アシェルタートは困ったように苦笑いを浮かべる。
「アシェル坊で結構です、閣下」
「いや、ゼルムが……お主の父が天に召されたという話は耳に届いている。跡を継いで正式に伯爵になった人物に対し『坊や』では失礼だろう? それよりもこんな場所にどうした?」
ドグランジェは少し寂しそうな表情を浮かべた後、それをかき消すように穏やかな表情を見せた。
「あ、いえ。閣下に最初にご挨拶がしたかったのですが、宴がもうすぐ始まる時刻ですのに、会場にお姿が見えないもので探しておりました。よもやこんな人の居ない場所に居られるとは思ってもいませんでしたが……」
「ふむ、我が家の者たちも探して居るかもしれんな。では、少しだけ立ち話でもしてから戻ろうか」
「はあ……」
急ぐ様子も無く、やや疲れたような立ち姿にアシェルタートは小さく首を傾げた。
「それこそ、お主もまだ喪が明けておらぬだろうに、わざわざ帝都まで出てきたのか?」
「ええ。面倒な手続きも無しに、陛下にお会いできる丁度良い機会ですから。伯爵家を継いだ事の報告とご挨拶を、できればその場で済ませてしまおうかと……」
やや礼を欠いた行いと知りつつも、清々しく言ってのける様に、ドグランジェは彼の父の姿がだぶって見えたような気がした。
「まったく……面倒な手続きなどと、堂々と不敬な事を言いよる。父親そっくりだわい」
苦笑いしていながらも、やはり浮かない様子ままのドグランジェ。心配になったアシェルタートは意を決して疑問を口に出す。
「……閣下、何か陛下から良くないお話でもありましたか?」
宴の前に議場で皇帝や大臣らと会議のようなものがあった、とは聞いている。もしかして、その場で何かあったのではないかとあたりをつけた。
「……まあ、すぐに分かることだろうから隠すつもりもないが。陛下が今年の早い段階での南方への侵攻を決断された」
「……なっ!」
南方とは、恐らくシルネラも含むのだろう。
アシェルタート自身は「ルシェ」の居る南方への侵攻は、全力で回避したいと思っていた。むしろそのつもりで動いてきたのだ。
ドグランジェに帯同してシルネラを訪れたのも、外交で解決できる可能性の模索できないかと考えてのこと。陰で、ドグランジェが南方の戦力をなるべく削ごうとしていたのも知っていたが、交渉を有利に進める為の足掛かりだと割り切るつもりでいた。もし仮に将来帝国から攻める事になったとしても、従属国となるよう圧力を加える程度で済ませられるように進言するつもりでいたのだが。
皇帝が「侵攻」と口にしたのなら、それば武力による完全併合だろう。抵抗されれば、西方の国々のように国土を灰にするような戦いも有りうるという事になる。
「しかし、まだ何の準備も整っておりません。まだ攻めるには早すぎます!」
ここでドグランジェに言ったところで無意味だと分かっているが、黙ってはいられなかった。
「確かに。南部に領地を持つルクスフォール家としては、もしもの事もあるだけに心配にもなるだろうが……」
「そうではないのです。未だ、西方が落ち着かず国内も安定しているとは言い難い状況です」
こじつけだ。
アシェルタートは自嘲した。
国がどうだとか本当はどうでもいい事で、本当に自身が守りたいのはルシェだけではないか。こんな事態になるのなら、シルネラで彼女に会った時に無理やりにでも連れて帰ってくれば良かった。平和な状態になるのを待ってからなど、考えが甘かったのだ。
後悔の念がよぎる。
今となってはシルネラとの関係も悪化の傾向にあり、気軽に行き来できるような状態では無くなりつつある。再び彼女に会おうと願っても、容易に叶うとは思えない。
「陛下が決められた事だ……。容易に変えられんのだ」
重い言葉が、アシェルタートの上にのしかかった。
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