(三)「聖女」と「聖なる乙女」①
(三)
心配していた他貴族からの接触だったが、王家から直々に控えるようにと釘を刺されているうえ、傍にいる婚約者補第三位のファルデリアナは公爵家の令嬢ということで、周囲も気になるようだが遠慮がちに見るに止めている。
おかげで、ラーソルバールもとりあえずは安心できる状況にはなった。
喉の渇きを潤して気持ちにも余裕ができたところで、ラーソルバールは王太子の隣に立つエラゼルを遠くから見詰める。彼女たちは一段高い場所に立っているので、離れたこの場からでも多少はその様子を窺い知ることが出来る。
友人だからこそ分かるが、エラゼルは笑顔を取り繕っているものの、表情自体はやや硬く和やかさがあるようには見えない。
各国の大使といった面倒な相手と腹の探り合いに近い事でもやっているのだろうが、それに慣れないようでは王妃どころか王太子妃など務まるものではない。そこまで考えてみて、やはり自分にはあの場所は向かないなと、自嘲しつつラーソルバールは苦笑を浮かべた。
「いいものでも見えましたか?」
ファルデリアナはラーソルバールの顔を覗き込むと、その視線の先を追う。
「いえ、エラゼルの困り顔をちょっと……」
「おや、それは面白そうですわね!」
ファルデリアナは嬉々として爪先立ちで背を伸ばし、エラゼルの様子を伺う。例えるなら好敵手が苦戦しているところを見てみたい、という悪戯心に近い物だろうか。
「あらあら確かに……。随分と面倒そうな相手と話しているみたいですわね」
派手な法衣が目に入ると、ファルデリアナは眉をしかめた。
「面倒な相手、ですか?」
「ご覧なさい、あの趣味の悪い法衣。シ・ルヴァ教会の大司教、マリザラングですわよ」
人々の隙間から、数名ほど白い法衣を身に着けた神官と思しき人物が居るのが見えたが、その中央にはファルデリアナの言うように一人だけ一線を画す法衣を纏った男が居た。
男は王太子らに何やら話している様子で、王太子は平然としてるもののエラゼルの苛立ちを感じる表情をからすると、恐らく良い話では無いのだろう。
「大司教、ですか……」
「と言っても、あれは大司教とは名ばかりの俗物、という噂ですわ。過去に一度、あの男が我が家に多額の寄進を迫って来た事が有ったのですが、父が断った際には罵詈雑言を浴びせられたと言っておりました。先程聞こえてきた、馬鹿娘が教会に認められたとかいうのも、金に目がくらんだあの男がやった事でしょうね」
ファルデリアナはそう言って、大司教を視界から外した。
大司教という肩書の俗物。
この国では最高神を崇める信者の数は、他の神に比べ圧倒的に多い。その教会の最高位に立つ人間が、権力欲や物欲に囚われているというのは実に笑えない冗談ではないか。
ラーソルバール自身、望まぬこととは言え『聖女』などという呼び名を受けたことにより、マリザラングに敵視されていると宰相メッサーハイト公爵からも聞いている。今回、当てつけのように『聖なる乙女』という存在を作り出したのも、金のためだけではなく、自身と教会の権威を見せつけたいという思惑も絡んでいるに違いない。
「ファルデリアナ様の話を聞けば『聖なる乙女』のどこにも神聖さなんて無いように思えるけど」
納得したようにそうシェラがつぶやいたので、ファルデリアナは我が意を得たりとばかりに大きくうなずいた。
そしてファルデリアナがマリザラングを嫌うように背を向け、テーブルに置かれていた飲み物を手にした時だった。
「お聞きになりましたか? エラゼル様にはレンドバールとの戦に同行されて、そこで自ら剣を持って戦ったなどいう作り話まであるとか。わざわざ騎士団と口裏を合わせをしてまで、婚約者という肩書に箔を付けようというのは感心いたしませんわね」
「まあ、そんなお話が? わざわざ嘘をつくなど、なんと情けない……。『聖なる乙女』と認められたアストネア様の方が、余程殿下の婚約者に相応しいですわ!」
「いえいえ、そんな……私など……」
「まあ、そんなご謙遜なされずに……」
そんな会話が聞こえてきて、ラーソルバールは怒りの余りに声の主を睨みつけた。
ここは婚約を祝う場所であるはず。その祝うべき主役の一人を、名指しで蔑むような発言をするのは非常識極まる。それも命を懸けて戦った事を、当事者でもない者が虚実と鼻で笑う事など許されるものではない。
思わず拳を握り締め半歩踏み出した直後のこと。
今にも殴り掛からんとする気配を感じ取ったのか、ファルデリアナは飲み物を手放して、慌ててラーソルバールの肩に手を置いて制止した。
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