(二)駆け引きは彩りを添えて③
同じ頃、エラゼルは各国の来賓の応対に追われていた。
次から次へと順番通りに挨拶にやってくるが、失礼が有ってはならないため半端な対応はできない。
今日この場だけは許されるだろうが、本来であれば大きな間違いを犯せば、国家間の問題にもなりかねない。極力思ったことを顔には出さず、適度な愛想笑いを振り撒きながら祝いの言葉、賛美の言葉に応えている。
理解していたつもりだが、あらためて王族というのは面倒なものだと痛感させられた。
(それも責任のうちか……)
挨拶に来る人々の顔と名前を覚えるのに必死で、話の内容までは頭に入ってこない。倦怠感さえも覚えるような状況であったが、各国の来賓の中で最後となるレンドバール大使の挨拶を終えた直後に一変する。
エラゼルの前に現れたのは、金糸の刺繍を潤沢に使用した絹の法衣を纏った、小太りの男だった。
「お久しゅう御座います王太子殿下。殿下が常にご健勝で有られる事、誠に喜ばしく思います。ご婚約者であられるエラゼル嬢とは本日が初対面ですかな。私はヘルエド・マリザラング。最高神シ・ルヴァを祀る教会の大司教に御座います。何卒、お見知りおきを……」
マリザラングはそう言って頭を下げたあと、口元を歪ませるように笑った。
およそ大司教という聖職者のものとは思えないような笑みには、裏に隠されたものが有るとしか思えない。初見であるにも関わらず、エラゼルは全身に鳥肌が立つような怖気を感じた。
(この男が大司教マリザラングか……)
エラゼルも、この男がラーソルバールについて悪口雑言を繰り返している事は知っている。やや危険な存在だとは思っていたが、この男は国に対して害を為す存在になるのではないかという漠然とした不安をこの時感じた。
「マリザラング殿も変わりないようで何よりだ。聞けば最近、随分多方向に熱心に動かれているとか。あまり無理はされないようにな」
「おお、何というお気遣い。殿下のお優しさが身に沁みますな、そのお言葉が我が励みになりますぞ」
オーディエルトは教会の本分を離れた余計な事はするな、と嫌味を言って釘を刺したのだが、マリザラングには通じない。
分かっていて意味を取り違えたような言葉で返したのだと、エラゼルはその不敵な表情を見て悟った。
(いや、悪意を持って見過ぎか? この男は単なる道化か?)
エラゼルは作り笑顔を崩さず、眼前の男を探るように見詰める。
「活動と申しますれば……。先頃、我が教会であるご令嬢を、神のご加護を賜りし『聖なる乙女』と認めまして御座います。今後、そのご令嬢を神の御使いとして教会としても後援して参りますので、何卒ご便宜の程お願いいたします」
「ある令嬢?」
「ジェストファー侯爵家のアストネア嬢で御座います、殿下」
「ほう、アストネアか……」
王太子の前に立ちながらも、ふてぶてしい笑み浮かべた大司教を見てエラゼルは思う。
侯爵家と教会の利害が一致したとはいえ、あの恥知らずな娘を持ち出して何と馬鹿馬鹿しい事を考えるのか。
聖なる乙女という肩書が、教会にどれだけの利益をもたらしたのかは分からない。それに止まらず、今後もその存在が教会にとって利になると目論んでいるのだろう。
エラゼルは鼻で笑いたくなる衝動を押し殺し、黙ってオーディエルトの反応を待った。
「……で、その『聖なる乙女』に便宜というのは?」
「今後、何か王宮にて祭事がある場合や、殿下がお困りの際にお側でお手伝いが可能ですので……」
「なるほど」
得意げに語るマリザラングの勢いを削ぐためか、オーディエルトは言葉を重ね、その先を遮った。
マリザラングの言う、手助けをする存在として貸し出すというのは表向きの事。聞く者が聞けば「愛人として差し出す用意があるので受け入れろ」という意味だと受取るだろう。
現状、王家は教会に対してある程度の制限は設けているが、政治的介入をする手段を持っていない。
逆に教会側は息のかかった人間を政権中枢に送り込む事ができるが、メッサーハイト公爵がそうした人物をかなり積極的に政権から排除するように動いたため、教会の力は以前ほどではなくなっている。
側妃を持てない現王家にあっては、愛人とはいえ上手くいけば正妃の座を脅かす存在となる可能性もある。妃の座を狙う侯爵家にとっても、影響力を増したい教会にとっても悪い話ではないという事か。
「
エラゼルは苛立ちを小さく漏らした。その声はマリザラングには届かなかったが、隣に立つオーディエルトに聞こえていただろうか。
「そういった申し出は然るべき場所に対し、然るべき手順を踏んで頂く必要が有る。今ここで私に言われても困る」
エラゼルの考えを察した訳ではないだろうが、オーディエルトは冷たく切り捨てるように言った。
「分かりました殿下。お役に立てるよう、然るべき場所に対し、然るべき手順を踏んで参りましょう」
動じることなく、マリザラングはわざとらしく頭を下げた。
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