第四十五章 金色の髪
(一)エラゼル舞う①
(一)
ベスカータ砦がゼストア王国軍の攻撃の前に苦境に立たされている頃、時を同じくして西方のカラール砦も国境を越えてきたレンドバール王国軍と対峙する状況になりつつあった。
事前の情報によればレンドバール王国の軍勢およそ二万五千。対するカラール砦のヴァストール軍はおよそ六千。北方に居た騎士団が援軍として戻ってきたとしても、劣勢に変わりは無い。砦を有効に活用したとしても五分に戦うというのは難しい、というのが大方の認識である。
この砦に派遣された唯一の騎士団である第一騎士団。その長であるサンドワーズは砦内部にある一室の扉を叩いた。
「王太子殿下、準備はよろしいでしょうか」
「ああ、構わない。入ってくれ」
応答を確認するとサンドワーズは扉を開け、室内に居た王太子オーディエルトに恭しく頭を下げた。
当初は出征予定ではなかった王太子が、対レンドバールの戦いに赴いたのには理由が有る。それは王宮で行われた会議で、出兵に同行すると言ったエラゼルに原因があると言ってもいい。
彼女は会議後も周囲に制止されたものの、結局は意思を押し通してカラール砦への遠征に同行する事に決まった。それを受けて、国難に際し自らの婚約者だけを送り出すというのは王族の恥であると、王太子自身が進み出て戦場に身を投じる事になったのである。
出立前、王都でその事を聞いたエラゼルは翻意を促すため、王太子に詰め寄った。
「何も殿下御自ら戦場に赴かれる事は無いではありませんか!」
興奮気味に美しい顔を紅潮させながら詰め寄る婚約者をなだめるように、王太子は笑顔を向け優しく言葉を紡いだ。
「誰かの言葉を借りるのであれば、国が無くなっては何が王太子であろうか? というところだな」
会議の場で発した言葉を模して返されると、さすがのエラゼルも言い返そうと口を開けたもののその後が出てこなかった。
「国難に共に立ち向かえば良いだけのことだ。同じように戦場に在るラーソルバール嬢と同じように、な」
外堀を埋めるように友の名まで出され、更に王太子の表情から説得したところで無駄だと悟ったのか、エラゼルはその言葉に黙って頷いた。
国が有ってこそ、王太子でありその婚約者たりえる。その時のいきさつを思い出し、エラゼルは微かに苦笑い浮かべた。
黙したまま視線を動かし、隣に座る王太子の表情を見詰める。
「レンドバール軍が視認できるところまで来た、ということか……」
「はい」
落ち着いた様子で話しているように見えるオーディエルトだが、僅かに手が震えるのをエラゼルは見逃さなかった。
エラゼル自身も戦場は初めてだが、命をかけて戦ったことは何度もある。その分、少しは気構えができているのかもしれない。
「では、当初の予定通りでよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
平静を装いながらも、やや落ち着かない様子のオーディエルトの手にエラゼルはそっと自らの手を添え微笑みかける。
「エラゼルは落ち着いているな……」
やや照れながらも緊張が抜けきらないような表情を浮かべつつ、エラゼルに視線を向ける。
「私は……どこかのお転婆娘に振り回されましたので」
その「お転婆娘」が誰なのか容易に察しがついたようで、普段は無表情なサンドワーズも思わず失笑する。それに気付きながも、エラゼルはあえて素知らぬ振りを通す。
「……ん? エラゼルもお転婆娘だと公爵が嘆いていたと思ったが……?」
「……殿下、私は淑女でございます……」
「そういう事ににしておこう」
悪戯っぽい笑みを浮かべて切り返すオーディエルトに、エラゼルは口を尖らせる。
そんな人間味のある有りように、オーディエルトは幼い頃から目にしてきた感情の起伏を表に出さないような姿からの彼女の成長を感じた。
「殿下、一刻を争います。私の事よりも、急ぎリファール殿下のところへ参りましょう」
自らに話が向くをの嫌ってか、エラゼルは場を誤魔化すように取り繕う。そんな何でもないやり取りが有ったおかげか、オーディエルトは自らの手の震えが止まっている事に気付いた。
「ああ、リファール殿も兵達も待たせる訳にはいかないからな……」
二人は傍らにあった剣を腰に下げると、サンドワーズへと視線を向ける。
戦場へ向かう事には少なからず恐怖感はある。
今までと違うのは、常に背中を預けてきた友の姿は無いということ。だが「迷わない、諦めない」そう決めてここへやって来たのだから、うつむいている場合ではない。
エラゼルは視線を上げ、剣の柄を強く握りしめた。
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