(一)前触れ③

 同じころ、別の侯爵家でも問題が生じていた。

 ヴァンシュタイン侯爵家である。

 次男ガドゥーイが先の公爵令嬢拉致未遂で逮捕拘禁され、その事件を切っ掛けに始まった侯爵家に関する調査で不正が発覚。ヴァンシュタイン侯爵には三か月間の謹慎と、その後の隠居が決められている。

 次男に犯罪行為に対する落胆だけでなく、自身の隠居まで決められ侯爵はまさに失意のただ中にあった。

 後を継ぐ長男は現在領地を取り仕切っているが、下の二人とは異なり体が弱く病床に伏せることも多いだけに、隠居後の相続に関して心落ち着くような状態ではない。そこへ追い打ちをかけるように、今度は将来を嘱望していた三男グレイズが、所属していた第五騎士団の出征に伴い王都を離れることになった。しかも帝国との戦闘もありうる状況だけに、命の保証が有るわけではない。

 侯爵は野心家だっただけに、全てにおいて先が見えなくなった現状への落胆は激しかった。

 出征から二日後の夜、食前の蒸留酒を一口飲んだところで、長男が病床に伏したという報を受け、心労が頂点に達したのか、突然胸を押さえるとそのまま倒れてしまった。

 幸い近くに居た者達の中に治癒魔法を使える者が居たため一命は取り留めたものの、倒れた拍子に頭をぶつけたのか侯爵の意識は戻らなかった。

 父が倒れたという報をグレイズが受け取ったのは、それから四日後の事だった。


 帝国の動きに備えて北上した騎士団。

 実際にはなるべく帝国側を刺激しないよう、国境よりも南に半日程の位置に展開している。

 次第に一般兵や予備役が合流し始めて軍容は大きくなったが、いずれの団も偵察からは「帝国に動きなし」という報告が続いている。

 警戒しすぎたのかもしれない。舌打ちしながらも各団の団長達は頭を悩ませた。会合を開こうにも東西に離れて布陣しているため、それもままならない。帝国からの侵攻が無いと判断しても、王都からの撤退命令が無ければこの場を離れることはできないだけに、精神的にも堪える。

 近隣の村や街に協力を仰いでいるので、ある程度の期間であれば疲労は抑えられるが、それでも十日程が限界だろうか。その辺りが撤退の目途だろう。

 団長たちはそんな目算を立てていた。


 事件から八日後、苛立ちを募らせていたのは王宮も同じだった。

「あれは帝国の陽動で、我が国を物資を消費させ困窮させることが狙いだったのではないか?」

 大臣を集めた会議の中、そんな声が聞こえてきた。

「カラール砦の防衛戦は短期で済んだから良いが、こうも軍を動かすようだと国庫にも負担がかかる。そこのところ軍務省はどうお考えなのか」

 国土大臣オデール伯爵は、軍務大臣ナスターク侯爵に問いかけた。

「今回の帝国への警戒待機は早期引き上げを前提としているが、軍を動かすなと言われて、はいそうですかとすぐに引っ込める訳にもいくまい? 国民を危険にさらすだけでなく、国家の存亡にも関わる」

 自ら望んで出兵している訳ではない、というのは一般論でしかないと発言したナスターク侯爵自身も分かっている。国民にも経済にも負担をかけていのだから「早期」の引き上げが前提だが、その引き際が難しい。

「食料はともかく、財源に関しては昨年のカレルロッサ動乱の折に取り潰した家や没収したりした私財と、先だって差し押さえたヴァンシュタイン候の資金もあるので、切迫した問題にはなりません。まだ余力はありますが……」

 軍務省の苦悩を分かっているのか、財務大臣リュッソン伯爵が助け舟を出した。

「リュッソン伯の仰りたいのは、働き手が兵として出たことによる経済への影響かと思いますが、それに関しては……」

 商工大臣であるフェスバルハ伯爵がそこまで言いかけたところで、会議室の扉を叩く大きな音がしたので、そちらに視線が集まった。

「陛下もおられる会議である、何用か!」

 宰相として会議を取り仕切るメッサーハイト公爵が声を荒げた。

「急報であります!」

 ついに帝国が動いたか。大臣たちの間に緊張が走った。


 王宮に届けられた急報。それは、帝国出兵の報ではなかった。

『ゼストア王国に我が国への侵攻の動き有り。明日の夕刻には国境近くまで到達する模様』

 魔法付与工芸品の高速通信は国内に限定されている。密偵がゼストアの動向を掴んでから国内の通信可能箇所まで戻る時間を計算に入れたとしても、驚くべき速さで軍備を整えた事になる。

「狙っていたか……」

 メッサーハイト公爵は苛立ちを隠そうともせず、拳で机を叩くと怒りのままに歯ぎしりをした。

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