(三)手招き②

 治癒を終えた後も、ラーソルバールの意識は戻っていない。

 それをメサイナの口から聞いたエラゼルは、席を立つと今にも掴みかかりそうな勢いで駆け寄った。

「助かると……大丈夫だと、そう仰ったではありませんか!」

 明らかに冷静さを欠いたエラゼルの態度に、王太子は驚いた。あの何事にも動じないようなエラゼルが、これ程取り乱す事があるのかと。ファルデリアナに視線をやると、彼女も同じように驚いたような表情を浮かべていた。

 ひとり冷静に座っているクレストは、エラゼルを優しい瞳で見つめ、成り行きを見守っていた。


「申し上げた通り、命に別状はありません。ですが、意識が戻らない理由はまだ分かっておりません。魔法が精神に大きく影響するものであったとは思えませんし、それ以外だとすると、それは呪いの範疇です。私共の手に負えるところではありません」

「呪い……?」

「仮定の話です。実際に、彼女の体からは呪詛の反応はありません。ですから、恐らく魔法による一過性のショック症状が出ているだけではないかと、推察いたします。二日程度あれば目が覚めると思いますが……」

 やるせなさに体を震わせ、エラゼルがメサイナを問い詰めようとした時だった。

「では……娘はもう命の心配はなく、あとは目が覚めるのを待てば良い、ということですね」

 クレストの言葉がエラゼルに先んじた。

 それは穏やかな声。皆を落ち着かせるため、肉親である者が、務めてそう振舞う必要があると感じたからに他ならない。

「はい……仰る通りです。彼女のお父上……ミルエルシ男爵様……ですか?」

「そうです。では……殿下、そういう事ですので、私はここに残ります。お付き添い頂き、誠に有難うございました」

 クレストは王太子に深々と頭を下げる。

「元気な姿を見たかったが、今日の所は無理そうだな。明日、明後日は登城しなくても良いよう取り計らっておく」

「殿下のお手を煩わせる事になり、申し訳ありません」

「いや、それは気にしなくて良い、当然の事だ。……さて、私が居ては色々と邪魔になるだろうから、引き上げるとしようか……。では、エラゼルとファルデリアナは、私の夕食に付き合ってくれないか?」

 王太子に言われれば、エラゼルもここを離れざるをえない。無論、心配は募るだろうが、思い詰めるようにしているよりは余程良い。エラゼルの性格を見越して、ここに来るまでの間に、もしもの場合を含めてクレストと王太子との間で事前に決めていたことだった。

「……はい」

 うつむき、力無くエラゼルは答えた。

 王太子は立ち上がると、ファルデリアナに目配せをする。エラゼルの横に歩み寄ると、彼女の肩にポンと手を置き、微笑を浮かべた。

「では、いい店を紹介してくれよ」

 エラゼルは無言で頷いた。王族に対して無礼だと分かっていても、この場を離れるという事が素直に受け入れられず、言葉が出てこなかった。

「あとをよろしく頼む」

 頭を下げるメサイナに短く告げると、王太子はファルデリアナを伴い、部屋を出て行った。


「全く……。公爵家の令嬢が二人も居て、供をたったこれだけしか連れてきていないのか?」

「いえ殿下、ここに居るのは全て私の供でございます。単独で来たエラゼルとは違います」

「人件費をかけないのは良い事だがな」

 部屋の外から聞こえる言葉に、クレストは苦笑する。沈んだ雰囲気をなんとかしようとする、いかにも王太子らしい場の作り方だと。

「食事を終えたら戻って参ります」

 弱々しく、涙を堪えるような声でそう告げると、エラゼルはクレストに頭を下げ、二人を追うように扉の向こうへ走っていった。

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