(一)友の家②
エラゼルの後ろをついて歩くと、使用人達がすれ違う度に頭を下げてくる。慣れない事に、ラーソルバールとしては、どう対応して良いのやら分からない。軽く会釈を返し、礼を失すること無いよう勤めるしかなかった。
使用人を帯同せずに広い邸宅内を移動し、ひとつの部屋の前でエラゼルは足を止める。
「父上、エラゼルです。よろしいでしょうか」
ノックをすると、エラゼルは室内に声をかけた。
何も言わずにここに連れてこられたラーソルバールは、この想定外の事に焦った。考えてみれば、一家の主に最初に声をかけるのは当然なのだが、情けないことにその心構えを全くしていなかった。
「入って構わんよ」
室内からは穏やかな声が帰ってきた。
ラーソルバールはエラゼルが扉を開ける僅かな時間で、気付かれぬよう深呼吸をする。丁度息を吐き終えた所で、扉が大きく開いた。
「やあ、いらっしゃい。年始以来かな」
にこやかな表情で公爵は二人を迎える。
「お久しぶりでございます。その節は父ともども貴重なお時間を拝借致しまして、誠に申し訳ありませんでした」
ラーソルバールは恭しく頭を下げる。友人の父とは言え、相手は公爵である。失礼が有ってはならない。
「ああ、堅苦しい挨拶は抜きにして、こちらに来て座ってくれないか。今はただのエラゼルの父と思ってくれればいい」
「は、はい……」
そう言われたところで、はいそうですかと切り替えられるものではない。ぎこちなくソファに腰かけると、僅かに額に冷や汗が滲む。
「今日は娘が無理を言って済まなかったね」
「いえ、そんな事はありません……」
「私としても、少しばかり貴女と話したい事があってね……」
公爵のその言葉の後に、何が続くのかと一瞬身構える。
「ああ、そんな怖い顔をしなくていい。私は貴女にお礼が言いたくてね」
「え?」
「エラゼルの事だ。この娘は公爵家の娘という事で、ずっと重荷を背負い、重圧と戦ってきた。その事がこの娘を苦しめ、全て完璧にこなさねばならないという呪縛を生み、人と接することさえも拒絶するようになった」
「父上……」
エラゼルは何とも言い様のない、気まずそうな表情を浮かべる。
「だが、貴女にだけは妙な対抗心を燃やし、外でも時折笑顔も見せるようになった。貴女と出会い切磋琢磨するようになったおかげだろう。そしてある日突然、重荷から解放されたのか人が変わったように穏和になった。親馬鹿かもしれないが、今はどこに出しても恥ずかしくない娘になったと言える。父としてこれほど嬉しいことは無い。それは全て貴女のおかげだと思っているし、本当に感謝している」
公爵は深々と頭を下げた。
「あ、頭をお上げください。わ……、私にとっても、エラゼルは大切な友人です。そしてエラゼルが居てくれたおかげで、私は何度も救われています。たかが男爵家の私には望外の友人です。お礼を言わなければならないのは私の方です!」
慌てて、ラーソルバールは頭を下げた。
膝の上に乗せた手が震える。公爵に対する畏れか、エラゼルがもし居なかったらという恐怖か。それとも、その両方か。下げた頭を上げる事ができなかった。
俯くラーソルバールの手に、ふっと優しく手が添えられた。
「私も感謝している。色々な世界を見せて貰っている」
ちらりと友の顔を見ると、彼女は優しく微笑んだ。
「これからも娘の良き友であって欲しい」
父親らしい優しい顔だった。
この後すぐに茶が運ばれてきて、暫し公爵と他愛もない会話をしたのだが、部屋を出た時には緊張のあまり茶の味も、会話の内容も覚えていなかった。
部屋を出ると、茶の席が設けてあるという庭園へと向かう。
「昨日、父上に叱られた……。旅に出たのを知ったのは、軍務省経由の私の伝言だったか事もある。『国のためとは言え、娘が危険な事をするのを黙って送り出す親など居ない』と」
「私も、同じ事を言われたよ。でもその後、お前の目指す『騎士』とはそういうものなんだろうな、って苦笑いされた」
「私は、少し違う。ひとしきり怒られたあとで、『けれどそうやって、一緒に行きたい、助けたいと思える友が出来たという事が嬉しい』と、満面の笑みで言われた」
ラーソルバールは先程の公爵の姿を思い出し、娘を思う親の優しさを改めて感じる事になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます