第16話 再臨
― 魔王城跡地近郊・結晶の原野 ―
「【テラフレア】!!」
魔法使いの爆炎が地表を薙ぎ払った。
人間の何倍もの体躯を有するガーゴイルの群れが、一瞬で燃え尽きる。
「【岩石両断】っっ!!」
戦士が巨大な斧を振り下ろし、ゴーレムと大地をまとめて打ち砕く。
衝撃で一帯は陥没しクレーターが作られる。
「ふっ……【絶命の手】――」
盗賊が棍棒を抱えた巨人トロールたちの間を、軽やかにすり抜ける。
直後、すべてのトロールが胸から青い血を噴き出し、その場にくずおれた。
それらの戦闘の――否、一方的な虐殺の光景は、《結晶の原野》の各地で次々と繰り広げられていた。
人間はこれまで未踏とされていた各地に、侵攻の手を伸ばしていた。
その最大の貢献者こそ、彼らのような凄腕の冒険者たちだ。
「へっ、こんなものか。魔物どももたいしたことねぇな」
男は手練れの冒険者であり、名実兼ね備えた魔法使いのひとりだ。
たった今も、その杖からほとばしった灼熱の炎が、巨大な魔物の群れを一撃のもとに屠ってみせた。
ここは最果ての地とも呼ばれる、魔物たちの総本山だ。
《七人の勇者》によって陥落した魔王城の近くに位置しているだけあって、伝説級の魔物や魔獣たちが数多く生息している。本来なら、たった一体で小さな町や村を滅ぼせるほどの怪物どもだ。だが男たち冒険者の手にかかれば、それすらも敵ではない。
「おい、魔物狩りに夢中になるのもいいが、肝心の標的を逃がすなよ」
同業者である壮年の戦士が言った。
戦士のバトルアクスにも、魔物の血と肉片がこびりついている。
「わかってるって。ちゃんとエルフの位置は把握してる」
男の探索魔法は、逃亡を続ける女を正確に捕捉していた。
「奥に逃げ込んだか。包囲して追い詰めるぞ」
この《結晶の原野》に集った冒険者の数、二十名。
そのいずれもが男に勝らずとも劣らずの、超一流の冒険者たちだった。
「しかし、勇者様も気前がいい。わざわざエルフの首に賞金を懸けてくださるとはな。しかも一生遊んでくらせるような額だ」
「なんでも、エルフは《七人の勇者》様の命を狙っていたらしい」
「ああ、たしか反逆者どものリーダーだとか……」
「どっかの森が焼かれて、その報復だとよ。まあそこいらの魔物よりは手ごわいらしいが……所詮はウサギだ」
男たちは順調に目標のエルフを追い詰めていった。
二十人の冒険者たちが《結晶の原野》奥地の奥まで進んだところで、男は立ち止った。
「いい加減、観念したらどうだ? 逃げ場はねえぞ」
男はどこかに隠れているであろうエルフに宣告する。
次の瞬間、一本の矢が空気を斬り裂いた。
だがその矢は男の背中に突き刺さる直前、炎に包まれて消滅する。
「――見つけたぞ」
盗賊が無数の短剣を乱れ投げする。
甲高い金属音と鈍い音、やや遅れて苦悶の声が聞こえた。
ドサリと結晶の柱の上から落ちてきたのは、長い金髪に尖った耳を持つ女。
独特の戦闘装束に身を包んだ、美しきエルフ族だった。
エルフは自分の肩に刺さった短剣を引き抜くも、立ち上がることができない。
「これは……貴様ら、私になにを……」
「毒さ。しかも錬金術師が調合した、ベヒーモスすら一撃で昏倒する猛毒だ。はっ、意識があるだけ褒めてやるよ」
「人間め……。よくも、我らの森を……」
「我らぁ? はっ、この地上はなぁ、すべて人間様のものなんだよ!」
男は地面にはいつくばるエルフの前にしゃがみこみ、髪をつかみ上げた。
「へぇ……。さすがにエルフだけあって、見た目は悪くない」
「な、なにを……」
「お前ら! 《七人の勇者》様に首を捧げる前に、こいつで楽しませてもらおうぜ!」
荒くれ者の冒険者たちが下卑た笑みを浮かべる。
「やめっ、やめろ……!」
「おいおい暴れるなよ。はっ、心配するな。お前を殺したら、今度は残ったほかのエルフどもも、お前と同じように使ってやるよ!」
死肉にたかる禿鷹のごとく、男たちが一斉にエルフを取り囲む。
戦闘装束を力任せに引き千切り、白い柔肌がむき出しになる。
だれの助けも訪れるはずのない最果ての地で、悲鳴と哄笑が入り混じる。
突然、戦士の身体が爆発した。
「は――?」
なにが起こったのか、その場にいた冒険者のだれひとり理解できなかった。
【???】:詳細不明の魔法が味方に命中。効果大。味方死亡。
高レベルの【戦闘経験】が、詳細不明を告げた。
間近で戦士の返り血をかぶった男の背筋を、悪寒が駆け巡る。
「狙撃魔法か……!? 【マジック・バリア】を展開しろ!」
男やほかの魔法使いたちが、一斉に対魔法の防御壁を構築する。
全員が瞬時に応戦姿勢をとった。
そのとき、男は見知らぬ人影を目の当たりにした。
「『神は天に在りし、全て世は事も無し』――」
人間など間違って迷い込むはずもない魔境に、年の若い神官がいた。
大神殿に仕える神官の法衣をまとい、その顔の半分は、痛々しい火傷痕が覆っている。
「おい! お前、何者だ?」
「俺は、神官だ」
「はっ! それぐらい見りゃわかるさ」
清廉潔白な神の信徒。血生臭い戦場には似つかわしくない。
まさか、こいつがやったのか?
脳裏に浮かんだ馬鹿げた発想を、男はみずから否定した。
「神官がなぜここにいる?」
「お前たちを、粛清するために」
神官が言った。
だれもがあっけにとられ、そして一斉に腹を抱えた。
「ハハハッ! お前ら聞いたか!? こいつはおもしれぇ……! おい神官、俺たちが何者か、わかってんのか? 《七人の勇者》の命を受けた冒険者だぞ」
ひとりの剣士が、首につけているネックレスを神官に見せつけた。
冒険者の証。それは正式な許可証であり、異能をもって魔物たちを屠る免罪符だ。
兵士の役割は、国や街を守ること。
もちろん兵士のなかにも腕の立つ者はいる。
けれど冒険者は別格だ。
冒険者は例外なく《魔法》や《スキル》を習得している。
そして人間の手の届かぬ未踏の地に赴き、過酷な地で未知の魔物と戦い、生き抜く。
冒険者はいわば、戦闘と生存のプロフェッショナルだ。
「ああ、よく知っているさ。おまえたちが生きる価値のない虫ケラどもだということも、《七人の勇者》がすべての元凶だということも」
「はっ! なに言ってやがる? こいつはお笑いだ!」
男と仲間たちは、年若き神官を嘲笑った。
「《七人の勇者》様が魔王を滅ぼしてくれたおかげで、ようやく平和が近づいたんだ。でなきゃ、大神殿が『種族浄化』に動くはずがねえだろうがよっ! てめぇも神官なら、それに従いやがれ」
「なぜ俺が、屑ども指図を受ける必要がある?」
神官はこちらをまったく恐れてもいない。それどころか、挑発さえしている
その態度が癪に障った。
「ならっ、てめぇを魔物どもと同じ目に遭わせてやるよ……!!」
男は無詠唱で【テラフレア】を発動。
ガーゴイルの群れを焼き尽くした灼熱の業火が、神官を一瞬にして飲み込んだ。
だが炎の波は一瞬で消失した。
神官は平然と立ち、静かに片手をかざしている。
「これだけか?」
「なっ……」
「お前の《魔法》はこの程度か、と聞いている」
「どけっ!!」
ほかの魔法使いたちが男を押しのけ、一斉に攻撃魔法を詠唱。
盗賊や狩人たちも遠距離攻撃を繰り出す。
「【ダイヤモンドダスト】!」
「【ギガライトニング】!!」
「【千雨流矢】ッ!」
「【絶命の鋼糸】……!」
氷の嵐、雷撃の渦、無数の鉄矢、鋼の糸、すべてが間髪入れずに命中。
そのひとつひとつが、この地の凶悪無比な人外の魔物たちを一撃で屠ってきた、必殺の《魔法》であり奥義だ。
だが――
【ダイヤモンド・ダスト】:目標に命中。弱体化により効果なし
【ギガ・ライトニング】:目標に命中。弱体化により効果なし
【千雨流矢】:目標に命中。弱体化により効果なし
【絶命の鋼糸】:目標に命中。弱体化により効果なし
男の【戦闘経験】が、正確な情報を瞬時に展開する。
片手をかざしただけの神官の眼前で、放った技のすべてが消滅していた。
弱体化による効果消失……?
「ば、馬鹿なっ……!? いったいどうやってやがるっ!?」
「ならっ、接近戦で! 【ホーリー・エッジ】!」
二刀流の魔法剣士が飛び出し、神官に斬りかかった。
「死ねぇ! 【スラッシュ・バースト】ッ!!」
振り抜かれた刀身には、絶大な攻撃力を有する神聖魔法がエンチャントされている。さらに繰り出されたのは、堅牢な城壁すら紙切れのように斬り裂く必殺の《魔法》だ。
【ホーリー・エッジ】:自身に発動。弱体化により効果なし
【スラッシュ・バースト】:対象に命中せず。弱体化により効果なし
信じがたいことに、神官は繰り出された刃を指で掴み取っていた。
夢でも見間違いでもない。
「こんなものか……。これでは《七人の勇者》の足元にも及ばない」
「馬鹿な……。お前、なにをしやがった!?」
「俺はお前たちの攻撃に【フォース】を施しただけだ。ただし反転しているが」
「反転……?」
そんな能力など聞いたこともなかった。
あらゆる上位の《魔法》や《魔法》をすべて無効化する手段など、存在するはずがない。あってたまるものか。
「なんなんだ、お前は……」
「俺の手は、もうお前たちを癒しはしない」
神官が一歩、男たちに歩み寄る。
全員が圧倒的な未知の恐怖を前に、金縛りにあったように動けなかった。
「今度は、こちらの番だ」
神官が天を見上げ、真上に手をかざす。
なにをするつもりだ……?
男はすぐにでも防御魔法を発動できるよう身構えていた。
だがそのすべてが無意味だったことに、彼らは最後まで気づくことはなかった。
「【オルタ・トリト】――万物よ、穢れろ」
まず異変が生じたのは、冒険者たちの武器と防具だった。
アダマンタイトやオリハルコンといった希少な神聖金属で造られた名剣や鎧が、一瞬のうちに錆付いていく。見る見るうちに腐食が進み、砂のように崩れ、冒険者たちの手のなかからこぼれ落ちていく。
それは男が持っていた杖も同じだった。
「か、カドゥケウスの杖が……! そんな馬鹿な……!?」
だがそれらは、ほんの始まりに過ぎなかった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!」
ぞっとするような悲鳴が聞こえた。
エルフに毒塗りの短剣を放った、あの盗賊だった。
その身体からおびただしい白煙が上がっていた。
さらに口からは濃緑の泡を吹き、肌には異様なほど血管が浮き出ている。やがて立っていることもできず、盗賊は地面を転げまわる。
異常は誰一人として逃さなかった。
ある者は全身を麻痺させ痙攣し、ある者は幻覚を見て発狂し、ある者は暗黒のなかで視力を失い、ある者は声と言葉を失い、ある者は石の彫像となり果てていた。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
男はふいに全身に熱を感じた。
【???】……目標の詳細不明 《魔法》が命中。防御不能。回復不能。
自分の肌が爛れていく。やがてそれは肉を焼き、骨にまで到達。
かつて経験したことのない激痛に男は正気を失った。
自分の身体を支える両脚すらも溶け、四肢断絶の状態で地面に倒れた男は、残った意識で、あの神官が歩み寄るのを感じた。
「――【トリト】は、対象の毒や麻痺や幻覚、腐食や石化といったあらゆる穢れを清め、癒す魔法だ。俺はそれを反転した。だからお前たちに、この世に存在しうるすべての穢れが押し寄せた」
こんなのは、現実じゃない。
有り得ない有り得ない有り得ないありえないありえないありえない……!
「た、タスケ、テ……」
消えゆく意識で、男は懇願する。
どこからか、地獄の窯が煮えるような嗤い声が響いた。
「ククッ……ハハハハハッ!! アハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!!」
神官の哄笑が暗雲を呼び、魔族の地に雷鳴が轟く。
するとやがて、人間を恐れて身を隠していた低級の魔物や魔族たちが、おそるおそる姿を現しはじめた。
『おお……魔王様……』
『我らの偉大なる魔王様が……現世に復活された……』
魔族たちは神官を囲むように集まり、次々とその場にひざまずいていく。
知性を持たぬ魔物さえも、うやうやしく頭を垂れた。
その神官は狂っていた。
だがそれは、決して人間の狂気などではない。
悪魔、魔人。
いや、ちがう。あれは――
朽ち果てる男が最期に見たそれは、禍々しい魔王の降臨そのものだった。
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