JD-232.「風のたどり着く場所」



 早朝、俺は一人白くなる前の空を見上げていた。雲がわずかに遠くに見えるけど、それ以外は群青色のような、黒とは違う色が空を支配している。どこか遠くに聞こえる鳥の声が夜明けが近いことを示していると思う。


(少し、寒いか……)


 夜明けまでもう少しであろうけれど、小さくなっていたたき火に薪を追加し、少しばかり周囲に火の色が混じり始める。たき火を囲むように寝ているジルちゃんたちがその光に照らされ、あどけない寝顔が目に飛び込んでくる。


 みんな、かけがえのない女の子だ。宝石娘という、厳密には人間じゃない体だからかあまり暑さ寒さを感じないと前に聞いたことがある気がする。それでもこうしてたき火を用意したり、毛布を被ったりするのは体ではなく、心が感じるから……らしい。


「いつか、きっと」


 みんなが望むかはわからないけれど、俺はいつかみんなして同じ感覚を味わいたいなと思っていた。夏の暑さにゆだり、冬の寒さに震え、お互いの温かさに微笑む……そんな生活をしたい。そのためには、安心して暮らせる世界を取り戻さなくちゃいけないんだ。


 何回か深呼吸をして、まだ夜とも朝ともいえない微妙な時間の中、静かにゆっくりと自分の体にマナを巡らせる。目にマナを込めれば、まるでアニメのように自分の体を動く何かの光が見えて来た。この反応にみんなが起きてしまうかもしれないから、ゆっくりとゆっくりとだ。

 逆にそれがマナの流れをしっかりと知覚するいい手助けにもなっていたような気がする。


(火、水、土、風、そして光……闇や雷もだ)


 貴石術未満のそのマナの流れは俺の体をめぐり指先に集まり、そして体の中心にある何かを通ってまた世界に散っていった。そう、俺の中にも何かがある。

 手ごたえからして、石英とは違うような何かの塊。ジルちゃんたちのような貴石の核が自分にもあるんだろうか?


『気になるの? 人の子よ』


「ちょっと、ね」


 ささやかれた言葉は収納袋から出て来た風の精霊だ。本当に囁くような小さな声が逆に聞き逃すまいと集中させる結果となっている。たき火の光りと、少し明るくなってきた状況が合わさってまさに幽霊のような半透明具合だけど彼女は間違いなくそこにいる。


「精霊は寝なくてもいいんだ?」


『そうね、厳密には私は生きていないから。悩めるということは生きてるということよ。私の悩み事は生き物の真似事だから、ね』


 ふわりと浮きながら自虐的につぶやく精霊の姿はどこか儚い。思わず手を伸ばし、触れられなかった自分に悔しさを覚え……ふとフローラと一緒に貴石術を行使した時のことを思い出す。あの時俺は……そうか、相手に合わせるんだ。


『そうそう。精霊はマナそのものと同義だもの。そうやって工夫しないと触れないわ。よっと』


 生徒が難問を解いたときの先生のように笑顔になり、突き出したままの俺の右腕に座る風の精霊。重さは全く感じないのに、存在感だけは確実に感じていた。小さく、大き目のペットボトルほどもない身長。だけどその瞳には年齢を感じさせる力があった。


『私は生き物じゃないけれど、たくさんの命を見て来たわ。笑い、泣き、怒り……そして、愛もね』


「愛……なんだか恥ずかしいな」


 ちらりと向けられた視線はジルちゃんたちを向いている。そうなれば彼女の言いたいことは明らかだった。急に気恥ずかしくなって、赤くなる顔を隠すように口元に手を持っていく始末だった。


『ふふ……キミの彼女たちへの気持ちが愛じゃないならなんていうのかしら。種族も超え、つながっている関係になれた理由をそう呼ぶ以外、私は知らないわ。本当に奇跡的……かつてのヒトたちも成しえなかったものよ』


「そっか……」


 だから胸を張っていきなさい。まるで親や祖母のような力強さで精霊にそう言われ、俺は頷くしかなかった。気が付けば空の色には白が混じり始めている。すぐに太陽の金色が混じり、空は青さを取り戻すだろう。

 今の白さは、俺の心の晴れ渡り具合を示しているかのように感じたのだった。






「よーし、今日もどんどんいくよー!」


「「「「「おー!」」」」」


 風の精霊の故郷へ向けて、今日も俺達は進む。見えてはいるのだけど、遠い。この世界には車や飛行機はないし、行き先未定では馬車も借りるのは難しい。ひとまず昼間は適当に歩き、夜はこっそりとフローラと俺と、そして精霊地震の力を借りて飛んでいった。


 途中、みんなの貴石術で隠れれば昼間でもいいんじゃないかと気が付いてからは早かったように思う。普通に歩くと一か月はかかりそうな場所をなんだかんだと踏破したのだった。

 途中、村や町はいくつかあったけどほとんど滞在せずにそのまま自然の中を俺たちは進んだ。


 結果として、6人で水入らずな時間を過ごせたので特に不満は無いようだった。寝床やお風呂は自分達で用意していけばよかったしね。


『戦い以外にここまで貴石術を使ったのはキミたちが初めてじゃないかしら? 興味深いわね』


「便利なのになあ。まあ、マナの総量の問題もあるかな?」


 だんだんと周囲の景色は自然にあふれた物になっていた。歩く部分も獣道と呼ぶにも微妙で、さっきから空を飛んでばかりだ。そうして進む内に、確かに感じる物がある。


「トール、私達にはあんまり感じないけれど、マナは濃いのを感じるわ」


「ええ。フローラとマスターなら風を感じるんじゃありませんの?」


 2人の言うように、俺とフローラはこの先に風の力を強く感じていた。だけど暴風という感じじゃあない、空気が濃いというか……なんて言うんだろうね?

 この場所だと、好き勝手には風は使えないな、そんな印象を受ける状態だった。


「もうすぐ精霊さんともお別れ? うう、さみしい」


「ホントなのです。もっとおしゃべりしたかったのです!」


『嬉しいこと言ってくれるわね。だけど貴方達も旅の目的があるのでしょう?』


 ワイワイと喋るジルちゃんとニーナに比べ、フローラはどこか静かだった。熱に犯されたようにぼんやりと正面を見ながら歩いている。どうしたんだろうか……。

 気になった俺は彼女の横に立ち、ふらふらと揺れる腕をとった。


「フローラ?」


「ふぇっ!? あ、とーる?」


 ぼんやりしていた目に力が戻ってくる。調子が悪いとかそういうことじゃなさそうだ。あれかな、状況的に風の力を感じすぎたとかそういうところかな? そんな俺の疑問は当たったようで、フローラ的にはいい匂いがするというか、すごく安心する感じらしい。


『私の本体が近いせいね。ほら、見えて来たわ』


「うわぁ……!!」


 それは誰の声だったのか。確かめるのももったいないと思うほど、俺は見えて来た光景に目を奪われていた。さっきまで下には草が生えていたのに、その崖の向こう側は茶色が主役だった。

 一度だけテレビで見たなんとかキャニオンとかそういう感じだった。


 長い年月をかけて風化により生み出されたであろう茶色の芸術作品に誰もが声を失っている。ここが風の故郷……この姿は風が長い間吹くことで作り出されたんだろうね。

 精霊に案内されるままに進むと、そのすごさはさらに力を増してきた。近づくほどに、その大きさ、出来上がるまでにかかった時間が否応にも感じられたからだった。


「ここが……」


『ええ、この谷が風の始まり。私の故郷ね』


 大自然の力、存在感という物を心の底から感じる場所。俺は一見すると寂しいようにも見える場所に、見えないはずの星の歴史という物を感じた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る