第22話

「……蓮見……起きろ……」


 肩がぐらぐらと揺れる。誰かが僕の体をゆすっている。


「蓮見、もう時間だぞ。早く広場に行かないと」


 おぼろげな視界の中に、源の顔が映り込んだ。ポケットからスマホを取り出して時刻を確認してみると、十六時二十分を表示していた。


「ありがとうございます。起きます」


 立ち上がって背伸びをすると、少しだけ立ちくらみが起きて足元がおぼつかなくなる。


「大丈夫か?」

「大丈夫です。行きましょう」


 広場に着くと、すでに人でごった返していて、全てのクラスが揃っているようだった。僕たちも所定の位置に戻ろうと遠目で場所を確認していると、人混みの中に春原がっているのが目に入った。


「あれ? 春原じゃん」


 所定の位置に行くと、そこにはさっき倒れたとは思えないほど血色のいい春原が立っていた。春原は僕たちに気が付くと、手を振って見せた。



「春原、大丈夫か?」

「もう、大丈夫です。ごめんなさい迷惑かけて」

「別に気にすんなって! 無事なら何よりだよ。病院はいかなくていいのか?」

「はい。お薬飲んだから、もう大丈夫です。激しい運動は出来ないけど」



 春原は申し訳なさそうに何度も頭を下げていた。確かに人一人をおぶって山道を下ったんだ、それくらいの謝罪はあって当然だろう。源はやけにほっとした表情を浮かべているが、本当にそんなに心配していたのだろうか。僕には他人のことを本気で心配する心理が全く理解できない。



「春原さんが無事でよかったです」


 努めて胸を撫で下ろしたように言うと、春原は僕を見て頭を下げた。


「もういいですよ、そんなにペコペコしなくて」

「いや、蓮見くんが私をおぶって山を下ってくれたって聞いて、ほんと、ありがとうございました」


 頭を下げなくてもいいと言ったにもかかわらず、何度も頭を下げる春原にうんざりしていると、掲揚台に仁王立ちする体育教師の怒号が飛ぶ。


「静かにしろ! 点呼報告に来ていない班は早く来い!」


 広場の喧噪はピタリとやみ、点呼報告を行っていない班のリーダーが慌てて体育教師の所へ走って行く。



「やべ、俺も行ってなかった。そういえば、千堂は?」

「千鶴ちゃんは、なんか用事があるとかで、夜の肝試しの時まで合流できないって言ってたよ」

「なんだよそれ、そんなこと言ったら怒られるぞ」

「今畠先生に話は通してるっていってたから、点呼の時も特に何も言わなくていいっていてたよ」



 千堂は何かと不思議の多い奴だ。能天気で何の悩みも持っていない風に見えたり、花畑をみるやいきなり泣き出すし、今みたいに変に用意周到な言い訳を考えたり。思い返してみれば千堂は不可解なことが多い。そもそもこの宿泊会に来る前も、なぜか千堂だけこの施設に先に来ていたし、春原と対面したときも明らかにおかしかった。源と二人きりになったときも。それに今だって、用事があるから欠席なんて、普通では考えられない。

 千堂は、一体何を考えているんだ。



「じゃあ点呼報告行ってくるわ」



 源は体育教師のもとへと走り、点呼を終えてすぐ帰ってきた。源が最後の点呼だったらしく、戻るや否やすぐに掲揚台の前に作業服を着た女性がやってきて、生徒に一礼をして話し始めた。どうやら今日のオリエンテーリングのポイントの集計が終わったらしく、順位の発表をしていた。僕達の班は総合十四位に終わった。僕達の順位を発表し終えると、先頭に立っていた源が振り返った。



「なあ、俺らの獲得ポイントおかしくないか。あの女の人が言ったポイントだと、俺ら順位ポイントしかもらってないことになるぞ」

「喋ったら怒られますよ。内訳はあとで聞いたらいいですよ」



 源は不服そうな表情を浮かべ、再び前を向いた。でも、確かに変だ。僕は念のため宿舎に戻ってからスマホでフーリガンと勿忘草を検索したけれど、フーリガンの説明は問題と合致していたし、勿忘草も千堂からもらったものと全く同じものが出てきた。問題には正解しているはずなのに、なぜ順位ポイントしか入っていないのだろう。



「それでは、オリエンテーリングはこれで終了といたします」


 女性は一礼し、入れ替わりで体育教師が掲揚台の前に立った。


「それでは十七時半まで自由時間とする。十七時二十分からは、昼食を摂った場所に晩御飯が用意してあるから、くれぐれもおくれないように! では解散!」


 広場は再び喧噪に包まれた。せっかくの自然の中だというのに、結局やることは変わらない。友人と喋るだけ。鬱陶しい連中だ。


「飯の時間までどうする?」

「僕はちょっと一人になりたいから、そこらをぶらついてきます」

「せっかくなら俺も――」



 すべて言い終わる前に、遠くで「源ー話そうぜー」と呼びかけられ、「ごめん、ちょっと行ってくるわ」と訳の分からない謝罪だけ残して声の主の方へ去って行った。



「じゃあ私は宿舎で休んでますね。蓮見くん、本当にありがとう」



 何度も感謝をされるほどのことをしたつもりはないのに、感謝されすぎて肩の荷が重くなる。結局のところ、行き過ぎた感謝はただの自己満足でしかない。

 オリエンテーリングで僕達が歩いた道を辿るため、広場の雑踏を抜け、男子棟の横からて山の中に入って行った。


 僕はどうしても問題のことが気になっていた。確かに問題には正解していた。だとしたら考えられるのは、施設側の採点ミスか僕たちが見た問題そのものが、施設側が用意したものとは違うという事だ。純ポイントの発表をしていた女性に確認したところ、ミスはないとのことだった。だとしたら、後者しかありえない。



 山道をしばらく歩くと、グラウンド跡地が目の前に姿を現した。看板があった場所に行き、自分の目を疑った。看板に貼ってあったはずの白い紙は誰かにはがされたような後だけが残り、看板にはまったく別の問題分が書かれていた。僕たちが問題を解き終わった後に、誰かがはがしているに違いない。僕は歩調を早め、花畑へと向かった。




 花畑に着いたとき、かなり息が切れていた。それもそうだ、昼間も同じ道をゆっくり歩いて疲れていたのに、歩調を早めれば疲労も増える。僕は地面に座り込み、花畑を眺めた。昼間とはがらりと変わった雰囲気に一瞬で釘付けになった。眼前には、太陽の光などなくとも、優美に輝く花々が涼風に舞い、薄暗い夜の中で色鮮やかな光彩を放っていた。昼間は太陽の力を借りて我が我がと咲き誇っているように見えたが、太陽を失った夜の花々は、自分の生命を燃やし、閑寂に愛おしく咲いていた。

 しばらく休憩を挟み、後ろ髪を引かれる思いで吊り橋へと向かった。

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