左手の記憶
七月二十日。
保健室で目を覚ました僕たちは素早く行動に取り掛かる。前日にまとめておいた荷物を確認し、三人で食事を摂った後、すぐに避難所である学校を出発した。夜になって完全に冷え込む前に行動を終えたいという思いもあったが、同時に昨日の体育館の一件のせいで、避難所内に僕を快く思わない人がいるためでもあった。
学校を出てからは、桃井さんを先頭に後ろから僕とエリーがついて行くかたちとなった。
エリーは僕の左手を強く握ったまま、掴んで離さない。本音を言えば、やはりエリーには避難所に残ってもらい、安全に過ごして欲しかった。しかし、昨晩それとなく伝えてみてもエリーの決意は変わらなかった。
秀一の家へと向かう道すがら、瓦礫の山と化した家々が多く目に入った。ここに元々人が住んでいたと言われても信じられない。
「人が住めるには程遠そうですね」
「そうだね。まだ一部の地域しか、水も電気もガスも復旧してないからね。運良く被害から免れた人で、家で暮らしてる人もいるって聞いたけど。それ以外の人は、しばらくは避難所暮らしだろうね」
「秀一の家やお母さんが無事だといいですけど」
「そればっかりは行ってみないとね」
前を歩く桃井さんは、道に危険がないかを念入りに調べながら進む。
後で聞いた話によると、学校に避難してきた生徒たちの行動をまとめていたのが桃井さんだったそうだ。動ける生徒を先導して、けが人の介抱や食料の配給の手伝いなどをしていたらしい。
そんな人が、どうして小学校の友人の一人に過ぎない秀一に対し、ここまでするのか、疑問ではあった。
だが、結局それを教えてもらう前に僕たちは目的の場所へとたどり着いていた。コンクリートの外壁に『月見』と掘られた文字が見えたので、間違いない。
桃井さんが「ひどいね」とつぶやいた。
眼前に広がるのはかつて家だったものだ。そう広くないその敷地には、壁も天井も床もなかった。あるのはただ黒焦げになった梁とかつて家を成していたものの残骸だった。手がかりを求めてきた僕だったが、その惨状に呆然と立ち尽くしてしまっていた。
あるのは瓦礫のみで、手がかりなどとても……。
だが、立ち尽くす僕とは対照的に桃井さんは敷地内に入り、崩れた瓦礫の上を歩き始める。そのまま持ってきた軍手を手につけ、その残骸をどかし始めた。
その姿に僕はようやく目が覚めた。
何をやっているんだろうな、僕は。絶望に足を止める時間なんてないはずなのに。
僕はエリーに敷地の外側で待つように指示し、桃井さんといっしょに瓦礫の山をどかし始めた。昨日、改めて止血と消毒はしてもらったが、やはりまだ右腕が痛んで、全力を出すことは難しかった。それでも、僕は動かせる箇所を使って、瓦礫をどかし続けた。
十分ほど経った頃だろうか。
真っ黒に焦げた木屑をどかすと、一冊のアルバムがあらわれた。
カバーがやや焦げているものの、中身は無事なようだ。
そのアルバムをパラパラとめくり、ある違和感に気づいた。
その写真にはどれも秀一とその母が写っているだけで、父親の写真が一枚もないのだ。秀一が父親と上手くいっていないのは、あの墓参りの一幕からでも察していたが、それにしても一枚もないなんて。
最後のページまでめくり終えて、特に手がかりになりそうなものもなかったので、僕はアルバムを閉じようとした。
「待って、その写真二枚重なってない?」
桃井さんが僕の手にあるアルバムの中の一枚の写真を指差す。その写真は、この街の有名な観光スポットである美しい寺を写していた。
だが、よく見れば、この写真だけ他のものより分厚くなっている。
僕は心臓が迅るのを感じながら、その裏に隠されている写真を取り出した。
「これって……」
そこには二人の姿が写っていた。
秀一の両親だ。
伝統的な格式高い和服に身を包んでいるのは、墓の前で見た秀一の父親。
シミひとつない白無垢に身を包んでいるのは、顔を真っ白に染め上げた秀一の母親。
おそらく、結婚の記念に撮られたものだろう。
父親は墓前で一度きりしか会ったことがないが、ほとんどあのときと同じ様子だ。母親は、つい最近文化祭のときにも会ったが、いつもの化粧とは全く異なるため、まるで別人のようだ。
その裏には、『月見正一 月見依子』と達筆な跡が残っている。
そういえば、僕は秀一の両親の名前を見るのは初めてだった。
だが、僕の目を引いたのはその名前とは別のものだった。
写真の隅の方に『おはか うら 10cm』と明らかに子供のような字で書かれていたのだ。
何だこれ、と僕が首を傾げていると、隣で写真を見た桃井さんが息を飲んでいた。
「この写真、まさか……」
桃井さんは尋常でないほど目を大きくし、言葉を失っていた。
並々ならぬその様子に僕は疑問を口にしていた。
「桃井さん、この写真に心当たりでもあるんですか」
桃井さんは、じっと結婚写真を見つめ、そのまま口を閉ざしてしまった。
一体何があるのだろうか、と写真を再度見たが、そこには秀一の両親がただ幸せそうに写っているだけだった。いくら考えても分からない。
僕の思考を遮るように背後から瓦礫を踏む音が聞こえた。
気がつくと、敷地の外で待機していたはずのエリーが僕の一歩後ろまで迫っていた。エリーは、一枚の写真を拾い上げて、じっと見つめている。
それは、さっき僕が取り出した寺の写真だ。
エリーは何も言わずに、じっと寺の写真を見つめている。
「エリー、どうかしたの」
「あたし、ここにいったことがある」
「え?」
そこに写っているのはこのあたりでは有名な寺だ。標高の高いところに位置するその寺からは、秋には山の紅葉を一望することができる。紅く染まったその美しい木々には、国内からだけではなく海外からも多くの観光客が毎年訪れるほどだ。
エリーは写真を見つめたまま、思い出を語り始める。
「まえに一回だけ、日本にきたことがあるの。パパが日本人で、しごとできたときに、パパのしんせきの家であたしはおるすばんだった」
その言葉に、僕は今更ながらエリーについて何も知らないんだと気づかされた。
こんな狂った世界だから忘れていたけど、よく考えれば、こんなところに子供一人でいるのはおかしい。
エリーの両親は一体何をしているのだろう。
僕は胸に湧いた疑問を抱えながら、エリーの話を聞いた。
「家でヒマだったあたしをつれだしてくれたのが、お兄ちゃんだった。パパはそのお寺がすごくキレイだっていってたから、お寺をみたいってお兄ちゃんにいったら、お兄ちゃんはあたしの右手をにぎってくれたの」
エリーは自分の小さな右手で、その写真を優しく撫でた。
「お寺はホントにキレイだった! まっかなはっぱがカーペットみたいで、あたしが今まで見た中で一番ステキなけしきだった! お兄ちゃんもあたしもすっごく楽しかったんだ。帰ってからおじいちゃんにものすごく怒られたけどね」
楽しそうに語り終えたエリーは、しかしどこか寂しげだった。
もう手に入らないものを見つめるようなその瞳に僕の胸は締め付けられる。
これまで僕はエリーの事情を聞くことはしなかった。
人には誰でも言いたくないことの一つや二つはあり、まして家族のことなんて繊細な問題を聞くのは不躾だと思ったからだ。相手がいくら小さな女の子といえど、それは変わらない。
だけど、聞くなら今しかない。僕はそう思った。
「エリー、君のお兄さんや家族の人は今どこにいるの?」
「かぞくは……、もういない」
僕は聞いたことを後悔した。
それは高々十歳程度の女の子にはとても重すぎる言葉だった。
エリーが悲しげに俯く姿に、僕はただ小さく「ごめん」と告げることしかできなかった。
重苦しい空気が僕たちを包んだ。
それを感じ取ったのか、少し離れたところからパチンと手を叩く音が聞こえた。
僕もエリーもその音を鳴らした主へと目をやる。
「で、これからどうする?」
桃井さんは手を合わせたまま僕に問いかける。
これ以上ここには手がかりもなさそうだ。次の行動を考えるべきだろう。
「僕はこの写真に書いてあった『おはか』に行ってみようと思います。一つ心当たりがあるので。エリーは……」
「あたしもいく」
「言うと思ったよ」
僕の手を掴んだエリーを見て、桃井さんはクスクスと笑った。
「しかたない、乗り掛かった船だ! 私もついていくよ」
「いいんですか? 学校のみんなの方に戻らなくて」
「いいからいいから! みんなはきっと大丈夫だよ」
そう言うと桃井さんは場所も知らないはずだろうに、先陣を切って歩き始めた。僕は慌ててその後ろ姿を追う。
秀一のアルバム写真に書かれた『おはか』。
これが何処を指しているか、と考えたときに僕は一箇所しか思い付かなかった。
秀一が毎年通っていたお墓。数日前に行ったときは秀一と父親の諍いでそれどころではなかったが、一体あのお墓は誰のお墓なのだろうか。そして、墓の裏には何があるのか。
もう少しで全ての謎が解けそうな、そんな気がしていた。
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