金髪の少女

 金髪の少女に手を引かれるまま連れて来られた先は、川から少し離れた山の麓にぽつんと建っている木造の平屋だった。山といっても標高はそれほど高くなく、小さな丘程度のものだ。付近は木々で覆われており、街と比べると比較的被害は少ないようだった。

 道中には、街の惨状が嫌でも目に入った。道路はひび割れ、電柱は歪にねじ曲がり、立ち並ぶ家々は黒く焦げ、梁がむき出しになっていた。原型を保ったままのビルでさえ、外壁は黒焦げになり、窓ガラスが付近に散乱している。

 自分がよく知っている場所のはずなのに、全く違う土地に来てしまったような気分だ。

 この世界では本当に戦争でも起きてしまったのだろうか。

 少女は木の扉の前に止まると、取っ手を掴み、全身の力を使って開こうとする。建て付けが悪くなっているのだろうか、少女の力では扉は少しずつしか動かない。僕は少女の後ろから手を重ね、ドアに思い切り力をかけると、何かを引きずるような音とともに扉は開いた。

 中は薄暗く、中央のテーブルの上に置かれているランプの灯りだけが頼りのようだ。天井に吊るされている電球は沈黙している。おそらく、電気が通っていないのだろう。時刻はまだ五時ごろ、本来であれば陽の光が差し込む所だが、今は空を覆う黒雲のせいでまるで夜のようだ。

 木造建築のその建物は、人が住む場所というよりは小屋のようなものだった。その証拠に日常的な生活用品はなく、簡易なベッドと斧などが置かれているだけだ。

 小屋の中に一歩踏み入ると、奥の方から人の動く気配がした。その人物が一歩こちらに歩み寄ると、ランプの灯りでその全身が露わになる。くたびれたシャツに、地味な色のパンツ。髪はすでに抜け落ちており、顎からは真っ白な立派な髭を生やしている。どうやらかなり高齢の方のようだ。

 金髪の少女がその人物の方へと駆け寄っていく。


「ただいま! おじいちゃん」

「おかえり。無事で何よりじゃ。ところでそちらは?」


 しゃがれた声の老人と僕の目線が交差した。

 真っ直ぐに見つめるその瞳からは柔らかい印象を受ける。


「僕は八坂ひろと言います。この子に危ないところを助けてもらって」

「おじいちゃん、この人、川のまんなかでたってたんだよ。あたしがたすけてあげたの」


 少女は褒めてもらいたいのだろうか。老人に向かって、大きく胸を張った。おそらく十歳にも満たないであろう少女の動きは、年相応のものだ。

 老人はそんな少女の頭を撫で、僕の方へと向き直る。


「それは良かった。ワシは月見正蔵と言う。今はこんな状況じゃから、この小さな山小屋に避難しているというわけじゃよ」


 僕は、街がどうしてこうなっているかを一刻も早く聞きたかった。

 だけど、予想外のその名前に僕は反射的に反応してしまっていた。


「月見? もしかして、月見秀一をご存知ですか」

「秀一はワシの孫じゃよ。君こそ秀一とはどういう関係じゃ」


 老人は驚いたように目を見張る。

 どうやらこの老人は、秀一の祖父のようだ。

 正蔵さんは穏やかな表情から一転、値踏みするような視線を僕にぶつけてきた。その視線の鋭さからは、つい最近秀一から向けられたものと近いものを感じる。

 僕は正蔵さんの問いにどう答えるべきか迷った。

 ふと僕から過去日記を奪った秀一を思い出したからだ。

 ……だけど、例えなにがあっても、その関係性が変わることはないと思う。


「秀一は、僕の親友です」

 

 その答えに、正蔵さんは顎に携えた立派な髭を何度か撫でた。何か考えるそぶりを見せ、納得したように小さく頷いた。

 再び穏やかな目を取り戻した正蔵さんは、少女に向かって、小屋の外の方を指差した。


「この少年と話がある。すまぬが少し小屋の外で待っておってくれるか」


 少女は「えー!」と嫌がるそぶりを見せつつも、渋々といった様子で小屋の外へと出て行った。

 わざわざ少女を外に出したというのは聞かれたくない話でもあるのだろうか。

 僕は正蔵さんとテーブルを挟んで向き合っていた。


「さて、八坂君といったかな。君はどうして川なんかにいたんじゃ」


 僕はこちらの世界に来る直前、あの場所で秀一から過去日記を取り返そうとしていたところだった。しかし、そんな話は当然できるわけがない。


「それが、どうも記憶がなくて。気付いたらあそこにいたんです」

「そうか。それは可哀想に。人はショックな出来事に襲われたとき、その前後の記憶をなくすことがあるという。もしかしたら君はそれかもしれんの。こんな状況じゃ無理もあるまい」


 正蔵さんは、痛ましいものを見るように僕を気遣ってくれた。 


「すみませんが、どうして街がこんな状況になっているかを教えていただけませんか。これじゃまるで……、戦争みたいで」

「戦争か。ある意味そうかもしれんの。この街が今こんな状態に陥っているのは十日前に落ちたミサイルが原因じゃよ」


 淡々と語る正蔵さんから出た言葉は意外なものだった。

 ミサイル。

 二十世紀。戦時下にあった国々が、発明した軍事兵器。目標に向かって誘導される、もしくは自律的に進路を決定する飛翔体の総称である。その破壊対象は、地上、水上艦、潜水艦、航空機など様々なものが存在する。中には、大気圏上層を飛行し、6000km以上もの長距離を対象とするものもある。また、近年では核弾頭を搭載したミサイルなどが開発されている。いずれも非常に甚大な被害をもたらす二十世紀を代表する兵器だ。

 そのミサイルが街に落ちた……?

 とても現実の言葉とは思えない。

 だが、目の前に広がっている惨状を見れば確かに納得せざるを得ない部分がある。

 問題は、なぜそれがこの街に落とされたかだ。

 僕がそれを問うと、正蔵さんは語り始めた。


「直接的な引き金となった事件は一月前に起こったある殺人事件じゃ。被害者は、隣国であるA国の要人と関係者二名。その人物は、世界の環境問題や災害対策などを中心に取り組んでおって、A国の大統領へのご意見番としても信頼を集めるほどだったそうな。その要人が、お忍びで来日している料亭の中で殺されたのじゃ。一月前のニュースはそれで持ちきりじゃった」


 正蔵さんが語る事件に、僕は心当たりがない。

 いくら世間の関心に薄い僕とはいえ、毎日朝食を摂りながらニュース番組ぐらいは見ている。きっと連日報道されるぐらいのニュースなら、見覚えがあるはずだろう。

 それがないということは、つまり、過去日記によって引き起こされた事件ということだ。


「そんな重要な人物なら警護も厳重なはずでは?」

「それが報道によれば、その料亭には関係者含めて数人しかおらんかったそうじゃ。何かよほどの理由があったんじゃろうな」

「なるほど」

「それから、A国政府はこの事件に激怒し、すぐに調査団をこちらに向かわせた。もちろん日本側からも協力を申し出たが、断られたそうじゃ。元々、A国との関係は良好とは言えんかったから無理もあるまい」


 僕は正蔵さんの話を聞いている途中で、千鶴が殺されて一週間ぐらい経った頃に流れていたあるニュースを思い出していた。

 それは、日本近海にA国が放ったミサイルが誤動作により着弾していたというものだ。

 元々、日本とA国は戦争で対立していた歴史的な経緯や貿易、領土の問題など様々な問題を抱えていた。それ故に、両国間の関係は緊張状態にあったのだ。


「結果として、A国はその要人の殺害の犯人を見つけることは出来なかったが、事件は日本側の陰謀だと主張した。当然、日本側はそれを否定した」

「通信記録や目撃者を探せば、その要人が誰と会っていたのかはわかりそうですけど」

「もちろん、調査はされていたらしい。じゃが、どうにもその要人自らがその記録を隠蔽したせいか、事件当時誰が現場にいたのかが未だにはっきりせんのじゃ。結局、議論は平行線を辿るのみ。そして、ついに十日ほど前に、その要人が殺害された報復として、この地にミサイルが落とされたのじゃ。……後は、君が見てきた通りじゃよ」


 おおよその経緯はわかった。

 だが、そんなことが本当にあり得るのだろうか。

 いくら緊張状態にあった国家同士とはいえ、たった一人の殺人事件を引き金に軍事兵器を使用するなんて。それによって今、一つの街が壊滅状態にあるのだ。

 だが、と僕は考えを改める。

 歴史を見ても、たった一人の死が国同士の戦争に発展する事例は珍しくない。

 一振りの刃が、一発の銃弾が。街を、国を、世界を巻き込む大戦を起こすのだ。

 それほどまでに、一人の人間の命というのは重い。


「その、殺された人物の名前は?」

「ミハエル・ウォーカー」


 正蔵さんがその名前を口にしたときだった。

 扉の方からひょっこりと小さな頭がこちらを覗いていた。


「ねー、まだー?」

「おぉ、悪かったの。もう大丈夫だからこっちにおいで」


 痺れを切らしたのか、少女はパーっとした笑顔を浮かべると、勢いよく小屋の中に駆け込んできた。正蔵さんはその姿を微笑ましく見つめている。

 その横で僕は頭をフル回転させていた。正蔵さんの話からこの世界のおおよその経緯は掴めた。未だにその全てを信じることは難しいが、現実として起こっていると考えるしかない。

 まず、秀一が過去を書き換えたことによって、この世界でその要人が殺されたと考えて間違いないだろう。少なくとも元の世界でそんなニュースを見た覚えはないし、過去改変の影響によるものと考えて間違いない。

 しかし、問題は秀一が何を書き換えたかだ。いくら僕の行動を変えたところで、それが別の国の要人を殺害することに繋がるとはどうも考えづらい。現に詩織が書き換えたのは、僕が球技大会の実行委員になるかどうかぐらいのもので、世界に影響を及ぼすようなものではなかったはずだ。

 そこまで考えて僕はあることに気づいた。

 そうだ、この世界に来る前、秀一は日記を広げいていた。

 そこに書き込まれた内容までは読み取れなかったけど、その筆跡は明らかに僕のものとは異なっていた。であれば、秀一が書き換えた部分だけを消せば、元の世界に帰れるのではないか。

 僕は慌てて自分のカバンへと手を伸ばし、そして目を疑った。


「過去日記が、ない……?」


 カバンの中に入っていたのは筆記用具と勉強用のノート、それに学校で配られたプリントが数枚入っているだけだった。

 そんな、どうして。

 僕は突然目の前が真っ暗になるような深い絶望に落ちていた。

 愚かにも僕は、自分の置かれている危機的な状況を正しく理解できていなかったのだ。

 どこかに甘えが残っていたと言ってもいい。

 詩織が起こした事件の経験から、僕は過去日記を使って世界を移動したとしても、その記述を元に戻せば、元の世界に帰れることを認識していた。だからこそ、こんなおかしな状態の世界の中でも正気を保っていられたのだ。

 だが、過去日記そのものがないとすれば話は別だ。

 過去日記がなければ、そもそも世界を移動することは出来ないのだから。


「まさか、僕はこの世界から一生……」


 本当の絶望とは、体のあらゆる感覚を奪っていくものだと、そのときに知った。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

 全てが世界へと溶けていき、僕という個がなくなっていく。

 僕がここに存在しているのかすら、今の僕にはわからない。

 千鶴を助けるどころじゃない。このままじゃ、僕は。

 僕が世界から完全に消えてなくなるその前に、頬に熱いものを感じた。

 目を開くと、金髪の少女が僕の頬を両手で叩いていた。


「ねぇってば! ごはん!」


 少女はそれだけ言うと、テーブルの方へと向かっていく。

 僕はその姿をただ眺めて、それから僕自身の体を見回した。

 手がある。足がある。体も、まだ動いている。

 僕はさっき体が溶けてなくなってしまうような感覚に陥っていたが、どうやらそれは絶望からくる錯覚のようだった。

 全身に巡る血を感じて、僕の頭は覚醒していた。

 そうだ、まだ僕は生きている。まだ希望を失ったわけじゃない。

 過去日記だって、僕の手元にないだけで、どこかにあるはずだ。それを見つけることができれば、元の世界にだって。

 絶望で垂れ下がっていた全身に力が戻った。

 僕は心の中でその源を呼び起こしてくれた少女に感謝した。

 テーブルへつくと、乾パンとペットボトルに入った水が置かれていた。正蔵さんと少女は僕が食べるのを待ってくれていたようだ。


「すまんのう。小屋に用意してあった非常食しかなくての」

「いえ、いただけるだけで本当に助かります。ありがとうございます」


 僕はお礼を言って、三人で夕食を摂った。

 夕食の最中、正蔵さんと少女はミサイルが落ちて焼け焦げた街の中とは思えないように談笑しあっていた。きっと、本当に仲がいいのだろう。

 そういえば、正蔵さんと少女は一体どういう関係なのだろうか。

 そんな疑問が頭をよぎったときだった。


「それで、八坂君。お願いがあるのじゃが、いいかな」

「え? お願いですか」

「あぁ。秀一の友人である君がここに来たのも何かの思し召しじゃろう。この子を避難場所まで連れて行って欲しいのじゃ」


 正蔵さんはそう言うと、小屋の棚に置いてった地図へと手を伸ばし、一点を指差す。

 それは、僕たちが通っている高校の場所だった。正蔵さんによると、ミサイルの影響で、街にはいくつかの避難所が指定されているらしい。そのうちの一つが、僕たちの高校というわけだ。

 この山小屋からは、徒歩で三十分といったところだろうか。道がちゃんと使えればの話ではあるが。


「それは、またどうして」

「ミサイルが落とされて咄嗟に近くのこの小屋に避難してきたのは良いんじゃが。ここに籠って十日近く経つ。そろそろ食料も少なくなってきての。別の場所に避難しなくてはならんのじゃ」

「それなら正蔵さんもいっしょに」

「すまぬがそれは出来ぬ。ここに避難する途中、足を痛めてしまっての。今のワシに近くの避難所まで移動することは難しい」


 正蔵さんはそういうと、自身の足を指した。

 確かに小屋の中を移動する正蔵さんの足取りは、どこかぎこちないものがあった。

 その状態で、ここから高校までというのは難しいのかもしれない。


「でも、それじゃ……」

「なに、一人分の食料ならまだあと数日はもつじゃろう。その間に、避難所で動ける者へこの場所を伝えてほしいのじゃ」


 部屋の隅に置いてある備蓄の食料はもう底を尽きそうだった。

 正蔵さんのいう通り、僕たち三人だと数日も持たないだろう。仮に僕がすぐに出て行ったとしても、それでも長く持つかどうかはわからない。

 それなら避難所へ向かった方が合理的だという話は理解できた。

 しかし、問題が一つある。

 少女は黙ってその話を聞いていた。その表情には不服そうなものが浮かんでいる。

 だが、それらすべてを飲み込んで少女は答えた。


「うん、わかった」


 強い子だ、と思った。

 おそらくまだ小学生ぐらいの年なのだろう。正蔵さんと話している姿を見ても、二人が信頼しあっているのはよくわかる。その上で、正蔵さんとひとときとはいえ、別れることを選んだのだ。

 正蔵さんは安堵したような表情で、少女の頭を撫でた。


「それでは、この子のことを頼むよ。決して、この子の手を離さないでくれ」


 僕は首肯した。

 いつも通っている学校まで移動するだけのことだ。だが、その道のりは決して安全とは言い切れない。倒壊する建物や崩れ行く地面など危険はそこら中に散らばっている。

 僕には、この子を守る責任がある。僕は少女と視線を互いにかわす。


「そういえば、君の名前は何ていうの?」

「あたしはエリー」

「そうか。よろしく、エリー」


 僕はその小さな体に向かって手を伸ばす。

 その手をエリーが下から握り返す。それは驚くほど小さな手だった。

 小屋を出発するのは翌日の朝に出ることとなった。夜は視界が悪く、危険が多い。正蔵さんからそう言われ、僕は一晩その小屋で過ごすことにした。

 部屋には簡易的なベッドとソファがあった。二人にはそこで寝てもらって、僕は椅子か床で寝ようとした。しかし、正蔵さんからエリーといっしょにベッドで寝るように勧められた。いくらこんな状況とはいえ、初めて会った少女と同じ布団で寝るのは憚られた僕だが、「翌日体力を減らしたせいで危険な目に会ったらどうする」という説得をされると僕も断ることができなかった。

 僕はできるだけベッドの端で寝るように努めた。時折、背中の後ろの方でもぞもぞとした動きを感じたが、無関心を装った。少しして落ち着いた頃だろうか。眠りに落ちそうになったとき、背中を引っ張る小さな手の感触を感じた。それは間違いなくエリーのものだった。それまで気付かなかったが、こんな状況できっとエリーも不安を感じているのだろう。僕ですら困惑しているのだ。それをこの小さな女の子が、平気なはずがない。

 僕の背中を引っ張るその暖かさを、必ず守らなければならない。そのためにも早く寝て明日に備えないと。

 僕はだんだんと意識を手放していく。

 そういえば、結局エリーと正蔵さんの関係は何だったのだろうか。まあ、明日になってから聞けばいいか。

 そう思いながら、眠りの海へと沈むのだった。

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