98 №3‐2『史記』に登場する人物<武帝>



 昨日に掲載しました<公孫弘>で最新の講座の内容となりましたので、ほっとして『『史記』登場する人物』の過去記事を読み返しましたら。


 なんと、№3の武帝さん。武帝さんの人柄に触れることなく話が脱線していましたので、あらためて№3‐2ということで、彼に触れたいと思います。


 


 どうして、脱線してしまったのだろうかと考えまして。


 そもそも、司馬遷は武帝についてのあれやこれやを書いていない。さすがにいま自分が仕えている皇帝についてあれこれと直接的に書くのは、畏れ多かったということでしょうか。


 しかしながら、その後、武帝に仕えた宰相や将軍を知ると。


 あら不思議。

 ベールに包まれていた武帝の実像が見えてきます。あらためて、司馬遷の文学者としての巧みさに気づかされます。




 武帝は16歳で皇帝となりますが、しばらくは祖母の竇太后が実権を握ったままでした。その後の宰相や将軍たちも、代々の外戚から排出された者たちばかりで、武帝は操り人形のような立場が続きます。


 いまテレビで華流時代劇ドラマ『始皇帝・天下統一』というのを放映していますが、若くして皇帝となった嬴政は、呂不韋と嬴家の縁戚と臣下に阻まれて、自分の思うような政治ができません。そこへ流れ者の李斯が現われて、やっと親政(天子みずから政治を行うこと)を手に入れます。


 なんか、武帝と始皇帝、似ていますね。


 武帝は、踊り子だった衛子夫を皇后の座に据えて彼女の兄を将軍にしました。有力者の娘たちも、妃として後宮には何人もいたでしょうに。


 またその後は、寵妃たちの親族を重用したり、公孫弘のようなお追従者を宰相にしたりと、武帝の皇帝としての苦悩が垣間見えるところです。


 のさばる外戚って、寵妃の寝所でのおねだりに皇帝が負けた結果と思っていたのですが、皇帝にはまた別の理由もあるような気がします。絶対権力者の皇帝もなかなかにその地位を保つのは大変なのでしょう。


 ところで、そんな武帝でしたが、彼の治世が巧くいったのは、その時代に天災が少なく豊作が続き民の生活が安定していたからだそうです。


 先生の「たまたま、時代がよかっただけです」って言葉、ものすごく冷たく聞こえました。(笑) 司馬遷命の先生ですので、もしかしたら、司馬遷を宮刑にした武帝はお嫌いなのかも……。

 

 そうそう、日本の作家による司馬遷個人を主役に据えた小説はないのですが、台湾人の李長之という人が書いた「司馬遷」という本があるそうです。


 先生の大好きな本であるらしく、「中国に行くたびに、一冊買うので、家には同じ本が何冊もある」と、嬉しそうに話しておられました。


 いまアマゾンで調べましたら、日本語訳の中古本が94円で売られていました。買おうかな?


 


 ところで、『『史記』に登場するいい男たち』というタイトルですが。なかなかに生々しく生きた男たちの話ばかりが続いて、かっこいいにはちょっと遠くなっています。


 でも、やはりその時代を彼らなりに生き抜いたと思えば、やはりかっこいいのタイトルのままでいいかなとも思っています。


 


(注意としてのお願いです。この『史記』に登場するいい男たちシリーズは、いろいろな媒体から得た知識をもとに、私の頭の中で渦巻く妄想・偏見・独断で味付けしたものです。史実とは異なっていることがあります)



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