237 沈明宥、死す・その6



「安陽に住むものにとっては、平安な日々が続くことが一番の喜びです」

「さようでございますとも、大奥さま」


 大人の話に退屈したのか、大奥さまの膝の上の桃秀がぐずり始めた。

 それに気づいた呉服商が、白い布の包みを手元に引き寄せて話題を変える。


「桃秀お嬢さまが初めて迎える新年のお着物も出来ております。

 お名前の桃の字にふさわしく、可愛らしい花桃色に染めました。

 大奥さまもお母さまの梨佳さまもそしてお嬢さまも、必ずやお気に召していただけるかと……」


 包みの中から畳んでいた着物を取り出すと、慣れた手つきでそれをあざやかに広げた。まるで目の前に花畑が出現したような光景に、ぐずっていた桃秀が目を丸くして手を叩いて喜ぶ。


「なんとまあ、可愛らしい!」

「ほんとうに!」

「桃秀ちゃんに、お似合いのお着物ですこと!」


 居並んだ沈家の妻たちの褒め言葉を聞いて、満足した大奥さまは言った。


「これは見事な出来上がりです。

 ご隠居さまも大旦那さまもきっと気に入られることでしょう」


 そして感嘆の声を上げる沈家の妻たちを見回して、言葉を続けた。


「ご隠居さまと大旦那さまをはじめとして、沈家の男たちはおなごの着物になど興味もない無粋なものばかり。

 しかしどうやら、桃秀だけは可愛らしく着飾らせたいようですよ。

 桃秀のおかげで、わたしたちもこのように大っぴらに着物を誂えて、楽しむことが出来るというもの。

 あなたたちも梨佳さんを見習って、せいぜい励んで女の子を生みなさい」


「まあ、大奥さまったら!」

「なんというおっしゃりようでございますこと!」


 もう子を生すことのない女たちは声を上げて笑い、まだ子を生せることに覚えのある女たちは顔を赤らめた。


「皆さまに励んでいただけましたら、こちらの商売としてもありがたいことにございます」


 呉服商の男も口を挟んで座を混ぜ返す。

 隠居部屋から聞こえていた男たちの声が途切れるほどに、座敷が女たちの明るい笑い声で満ちた。


「そうそう桃秀の着物を見て思い出しました。

 ご隠居さまがご注文された、荘家のお嬢さまのお着物は仕立てあがっていますか?」


「はい、白麗さまのお着物でございますね。

 このあとお届けに参る予定にございます」


「それを聞いて安心しました。

 荘家の英卓さまは、ご隠居さまと如賢の命の恩人となる方です。

 くれぐれも粗相のないようにお願いします」


「はい、大奥さま、十分に心得ております。

 あのように美しい方のお着物のお仕立てを任されることは、呉服商としての大きな喜びにございます。


 そうそう、今回の戦いでは、荘さまも承将軍さまの下でたいそうご活躍されたとか。ちまたで、大変な評判になっております。

 そのようの方のお屋敷に出入りさせていただくことは、これもまた商人の誉れにございます」


「荘英卓さまは、ご隠居さまが大変に気に入られて、慶央より安陽にお招きになられたお方。

 その後、承将軍と義兄弟の契りを結ばれました。

 お若いのに勇猛果敢なお方だと、私も聞いております。

 このように落ち着いて新年を迎える準備が出来るのも、承将軍と荘さまのおかげです」


 その言葉に皆が頷く。







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