232 沈明宥、死す・その1



 目の前の若い男の真っ赤な嘘話を、承宇項は腕を組み目を細めて聞いていた。


 男の話が佳境に近づくほどに、自分の細い目がますます細くなっていることは、彼自身も知っている。

 知らぬものが見たら、寝ていると見えるだろうことも。


 目を細めることは、もともと、相手の言葉をより深く理解するための癖だった。

 目を瞑ると雑念が消える。

 相手の言葉が、まっすぐに頭の中に入ってくる。


 しかしなぜかそのような彼の様子を、『宇将軍の眠れる虎の目』として、部下たちが恐れるようになった。


 彼が腕を組み目を細めて微動だにせず話を聞いていると、相手の声が震え始める。

 やましい思いを抱いていないものでさえそうなのだから、言葉で将軍を欺こうとしているものなどは、額から伝い落ちる汗をぬぐい始める。


 どうやら、「宇将軍が目を瞑ると、なんでも見通せる心眼が開く」と、信じられてしまったようだ。


 ――そんなに立派なことでもないのだがな――


 退屈きわまりない話が続く時は、本当に寝てしまっても気づかれないので、あえて荒唐無稽な噂であっても否定しないできた。

 ただ、怖いもの知らずの妹の千夏だけは違う。


「お兄さま、また、寝ておられるのでしょう。

 話は、最後まで聞いて下さらなくては困ります」


 拗ねた声でそう言われて、まるで悪戯を見つけられた子どものようにぴしゃりと叱られる。


「すまぬ、すまぬ。

 確かに目はつむっているが。

 おまえの話は、一語一句漏らすことなく、すべて聞いておるぞ」


 そう答えながらも、千夏が男だったらといつも思うのだ。

 参謀として常に傍らにいてくれたら、どんなにか心強いことだろう。


――それにしても、目の前のこの若い男。

 これほどの嘘をいけしゃあしゃあと吐きながら、声は震えておらず――

 彼は意に反してつい薄目を開けてしまった。

――汗の一滴もかいておらぬな――


 宇項の視線に気づいたのか、言葉を切った若い男はその端正な顔に屈託のない笑みを浮かべた。


――『宇将軍の眠れる虎の目』を恐れぬものが、千夏以外に、もう一人増えたという訳か――


 目を開いたついでに、宇項は口も開いてみることにした。


「それで、英卓。

 亜月は、燃え盛る火の中に自ら飛び込み、焼け死んだのだな?」


「はい、将軍、確かに。

 あっという間の出来事で、止めることが出来ませんでした」


「火の中に飛び込んだのは、亜月一人だったのか?」


「そう言われれば……」

 男は考え込む振りをする。

 片手で鼻の横をかく仕草が、いかにもわざとらしい。


「……、亜月のあとを追った若い女がいたような。

 そうだった、女は子どもらしきものの手を引いていたような。

 承将軍、昨夜は新月で空に月はなく、鼻をつままれてもわからぬほどの未明の闇であったので。

 おい、堂鉄、おまえは見たか?」


「いえ、若宗主、おれもしかとは。

 闇の中での、瞬時の出来事でした」


 将軍の執務室の隅で柱となっていた大男が、人の姿を取り戻し答えた。


――堂鉄までが口裏を合わせやがって。

 それで、口の軽い徐平は連れて来なかったという訳か――







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