229 竹林屋敷、未明の空を焦がす・その8
苦痛に顔をゆがめた貴文から、蘇悦は慌てて体を離し周囲を見回した。
刀を納めて立つ英卓と堂鉄と徐平。
腰を抜かしている峰新。
そして峰貴文の傍らに寄り添うように立つ亜月。
「婆さんだと聞いていたが……」と不思議に思いながら、彼は亜月の後ろに立つ若い女と少年を見る。奇異な光景だったが、血なまぐさいことが起きようとしている緊迫した様子には見えない。
――奇異といえば、おお、そうであった、英卓に報告せねば――
気を取り直した蘇悦は英卓に向かい合った。
「おい、英卓。
この屋敷はもぬけの殻だ。
人っ子一人いない。
しかし、とんでもないものを見つけたぞ。
座敷牢だ。
座敷牢と言ってもな、その広さと造りはちょっと普通のとは違う。
見たこともない豪勢な座敷牢だ。
この竹林に囲まれた屋敷は、どうやら、高貴でありながら世に出せぬお人を閉じ込めておく場所だったようだな。
そう考えれば、その不気味さに背筋がぞっとする」
そこで言葉を切った彼は、僅かに体を震わせた。
「それから、屋敷のここかしこに油が撒かれている。
この婆さんは……いやこの女は、この屋敷に火を放って逃げるつもりだったに違いない。
屋敷の裏に馬車を潜ませていた」
そう言いながら。蘇悦は屋敷の外に向かって顎をしゃくった。
そこには蘇悦たちに引き立てられてきた馬車が一台、静かに佇んでいた。
「御者が何も喋らん男でな。
もしやと思って口を開けさせてみると、舌が切り取られていた。
本当に、薄気味の悪い屋敷だ。
おい、英卓、長居は無用だ。
峰さんも無事なのだから、さっさとその女たちを始末して、こんなところからおさらばしよう」
突然、峰貴文が身をよじって叫んだ。
「それは絶対にだめよ!
お願い、英卓ちゃん、蘇悦ちゃん。
あたしの話を聞いて!」
「どうしたんだ、峰さん?
もしかして、この女の妖術で、身も心も腑抜けにされたのか?」
「亜月ちゃんって、それはそれは、可哀そうな身の上なのよ」
「可哀そうだからって、白麗お嬢さまの命を狙っていいというのか。
峰さんらしくもないことを言うではないか」
雇い主と用心棒の言い合いがいつまでも続くと思われた時、振り返った英卓が堂鉄に言った。この場を収めるなにごとかを、彼は腹の内に定めたようだ。
「堂鉄、おまえと徐平のみ残って、他のものたちは荘新家に戻ってよいと伝えてこい。あとのことは、心配しなくてもよいともな。
それから、蘇悦兄もすまないが、峰新を連れて一足早く戻っていてくれ」
「英卓、いまなんと言った?」
英卓の言葉に蘇悦が目を剥く。
まさか自分が蚊帳の外に追い出されるとは。
不満が声に出た。
「蘇悦兄、申し訳ない。
しかし、これからのことは、宮中と
蘇悦兄であっても、知ることは許されない。
というより、知らないほうが、蘇悦兄のあとあとの身のためとなる」
そう言われれば蘇悦も言い返すことは出来ない。
憎き亜月を睨んだあと、峰新を助け起こして部屋を出て行った。
満天の星々はすでにあらかた消えて、西の空の闇の裾にわずかばかりがしがみついている。
東の稜線が白く明るい。
夜明けはまじかだ。
引き上げる男たちが掛け合う声と馬の嘶きと蹄の音が遠ざかっていき、竹林屋敷に静寂が戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。