194 亜月の過去・その13
立て板に水を流すごとく開元の言葉に言い返していた生意気な女だったが、秘薬の話には、さすがに言い返してこなかった。
女が、初めて目を
うつむいて考えこんでいる様子だ。
さあ、亜月よ、泣き喚け――と、開元は思った。
元々の顔立ちが
「人の顔を変えるとは、なんともまあ不思議な力を持った秘薬だが。
しかしだ、話はこれだけでは終わらない。
秘薬を顔にたった一塗りするだけのことだが、その激痛がなんとも凄まじいものらしい。
顔を掻きむしって『いっそのこと、殺して欲しい』と叫ぶと聞いた。
おまえに耐えられるかな?」
まだ、女は顔を上げない。
溢れる涙を見せまいとしているのか。
飛び出しそうな悲鳴を飲み込もうと、唇を噛みしめているのか。
「顔が老婆になるのであれば、そうであった、手も醜くせねばな。
知っているか、老いは、顔よりも手に顕著に表れるものだ」
彼は自分の両手を前に突き出した。
節のない丸々とした柔らかな指が十本並んでいる。
額に汗して働いたことのない手だ。
怪我を怖れて武芸に励んだことのない手だ。
「秘薬を塗って、それから指の骨を全部折って、曲げてやろう。
秘薬を体全体にも塗ってやりたいが、これは命にかかわるな。
死んでしまっては、困る。
宮中では、裸の体を、誰にも見せぬように気をつけろ。
まあ、老婆のおまえを抱いてみたいと思う物好きな宦官はいないであろうから、それは大丈夫だな」
開元の大きな笑い声が、彼の父母の遺体が並べられた部屋にからからと響く。
今の開元にとって、目の前に横たわる父と母の躯よりも、袁家の新しい当主となった自分の立場のほうが大事だ。
忌々しい女を黙らせて、袁家の新しい当主としての体面を保てたと思うと、笑いは次から次と腹の底から湧いてきた。
意を決したのか、やっと女が顔を上げる。
しかし、亜月をいたぶる開元の口は止まらなかった。
「ここで他の奴婢たちと共に死ぬか、それとも死よりも苦しい思いをして命を長らえ、宮中で祥陽に仕えるか。
どうだ、心は決まったか?」
顔を上げた女は、開元の意に反して泣いていなかった。
再び、彼の目をひたと見据えて、女は静かな声で言った。
「わたくしは宮中のことは何も知りません。
しかしながら、開元さまのおっしゃられる通りにございます。
醜い老婆となったほうが祥陽さまの信任も得てお傍近くに侍りやすく、そしてまた、他の宮女たちからの妬みも受けにくいかと思われます。
そのためになら、どのような痛みにも苦しみにも耐える覚悟は、すでにできております」
そう言い終えると、女は声を立てることなく微かに笑った。
そして言葉を続けた。
「そうそう、顔を変える秘薬というものがあるのであれば、声を潰す秘薬というものはございませんでしょうか。
飲んでみたく思います。
先ほど、開元さまは老いは手に表れるとおっしゃられましたが、声にこそ、顕著に表れるものにございます」
――も、も、もしかして……。
こ、こ、この女、いま、笑ったのか?――
竹林屋敷から一歩も外に出ることなく、狂女と過ごした十五年の歳月を侮っていたと、ここにきてやっと開元は気づいた。
乾いた口の中に彼の舌は貼りつき、言葉が出てこない。
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