193 亜月の過去・その12
「気に入らんな」
「えっ?」
顔を上げた亜月が言った。
その顎に手をかけて、まじまじと亜月の顔を眺めながら、彼はもう一度同じ言葉を言う。
「気に入らんと言っているのだ」
「何がでございましょうか?」
男の乱暴な手で顎を掴まれていながら、亜月の顔色にも声にも動揺はない。
「おまえの顔だ」
本当は、「おまえの平然とした態度だ」と、彼は言いたかった。
しかしそれでは、自らの弱みを見せたことになる。
女が一番気にする顔の美醜を話題にして、揺さぶりをかけてみた。
動揺させて、このやけに冷静な女の化けの皮をひん剥いてやる。
「山奥の、それもよほどの貧しい家に生まれたのか。
女として、あまりにも酷すぎる。
瞼に埋もれた細い目に、低い団子鼻。
唇は薄いくせに、
おまえの母親は、猿とやっておまえを
「確かに、わたくしは山の麓の貧しい村の生まれです。
十歳の時に口減らしのために人買いに売られてより、このお屋敷で奥さまに仕えてきました。
顔立ちについては、いままで誰にも褒められたことはありませんが、開元さまがおっしゃられるほどには、
「ああ言えばこう言い、こう言えばああ言い返す。
本当におまえは面倒な女だな。
そうだ、いいことを教えてやろう、これから上がる宮中のことだ。
後宮の女たちはな、上は妃に始まって下は洗濯女まで、美女ぞろいなのだ。
いつ何時、天子さまのお目に留まり、お手がつくとも限らんからな。
ゆえに、容姿に関しての女同士の
時には、死に至るとか。
おまえのその顔で宮中に上がれば、さぞかし苦労するであろう」
「ご忠告、痛み入ります。
しかしながら、生まれ持った容姿の美醜はどうしようもございません。
開元さまのお心遣いを忘れることなく、誠心誠意、祥陽さまにお仕えいたします」
開元に強く顎を掴まれたまま、女は目を逸らすことなく答えた。
まるで書物を読んでいるかのように、すらすらと、言葉が淀むことはない。
その感情の浮かばぬ目の色に、開元は女の顎を掴んでいた手を思わず放し、目を逸らした。
これではまるで自分は、蛇に見据えられた哀れな蛙ではないか。
立ち上がった彼は、怒りに任せて地団太を踏みそして叫んだ。
「気に入らない、気に入らない。
おれが気に入らないと言えば、気に入らないのだ」
怒りに身を任せたのがよかったのか、叫んだのがよかったのか。
突然、彼の太った体に知恵が回った。
この生意気な女を恐怖で縮み上がらせる妙案が閃いた。
いつだったか、妓楼で悪友たちと騒いでいた時、その美貌を鼻にかけ客である彼らの誘いに乗ってこない妓女がいた。
その時、妓女を震え上がらせた悪友の言葉を、いま、彼は思い出した。
「これから宮中にあって正妃を支え、生まれてくる太子をお守りするのだ。
だが、その不細工な顔では、他の侍女たちを押しのけて、祥陽に近づくのも難しいだろう。
万が一、祥陽に傍に近づけたとしても、あいつの信頼を得るには二十五歳というおまえの年齢では若すぎる。
どうだ、おまえの顔を老婆にしてやろう。
おまえのように賢く肝の据わった老婆であれば、他の侍女たちも一歩下がり、祥陽もまたおまえに母の面影を重ねて頼り始めるに違いない。
どうだ、なかなかにいい考えじゃないか。
世の中には、顔に塗れば絶世の美女の顔が皺と汚い染みだらけとなり、頭に塗れば黒い髪が一晩で白髪となるという秘薬があるそうだ」
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