113 幕は切って落とされた・その2



 半刻前には確かに、いつもの女装した妖艶な貴文が堂鉄と徐平の前を通り過ぎた。


 だが、今の貴文は腰まで垂らしていた長い黒髪を、頭頂部に一つに集めて丸く結い上げている。


 髷の根元には、武骨な銀の簪が一本。

 木の皮で染めた茶色く丈の短い上衣に、下はずぼん

 そして、革の質素な銅鎧と腰には刀。

 上衣の袖口と袴の裾を皮ひもで巻き上げているのは、いざという時に動きやすいためだ。


 なんのことはない、堂鉄と徐平と同じ格好だ。 


 しかし、同じ格好をしていながらどうしてこうも違うのか。

 役者にでもしたいような見惚れる武者姿とは、こういうのを言うのだろう。


 ……いや、そもそも、峰さんは役者だった……


 見とれたまま堂鉄が思った時、貴文が口を開いた。

 いかにもげんなりといった口調だ。


「よくまあ、堂鉄ちゃんと徐平ちゃんは、毎日、飽きもせずこんなダサい格好していられたものね。

 あたし、つくづく感心しちゃうわ」


 若い徐平は驚きから立ち直るのが早かった。

 すぐさま、貴文の愚痴に反応して、軽口を叩く。


「でも、峰さん。よく似合ってますよ」


「あらそう? 

 女殺しの徐平ちゃんが褒めてくれるってことは、まんざらでもないってことかしらねえ」


 そう言って、彼は口元を手で隠してなよなよと体をよじる。

 そして、強烈な流し目を徐平にくれた。

 化粧を落とした彼の素顔から、凄味を感じさせるほどの色気が溢れた。

 思わず、堂鉄が生唾を飲み込んだほどだ。


 ……この二人は、やはり、噂通りの関係なのか?……


 しかし、堂鉄の思惑を無視して、貴文は言葉を続けた。


「頭の中の風通しが悪くなるから、髪を結うのはいやなのよね。

 でもしかたがないわ。

 女の格好では承将軍のお屋敷に連れていくわけにはいかないってね。

 関景ちゃんが意地悪なこと言うんだから」






 北方の守りについていた承将軍に、安陽に戻って来るようにとの勅令が下ったのは、昨年の夏のこと。


 その勅令に従って、宮中警備職である禁軍の将となるべく諸々の引継ぎが終わって、落ち着いたのは秋の終わり。


 しかし彼には忙しい合間を縫っての、もう一つの大切な仕事があった。

 六十年の長きにわたって、承家の女子どもたちだけが住んでいた私邸の大改築だ。


 承家は青陵国開国にもかかわった武家だ。

 過去には、天子の妃を何人か排出した名家でもある。

 天子の信頼も厚く、何代にもわたって栄えた。


 安陽隔壁内の一等地に広い土地を譲り受け、屋敷を何棟も建てた。

 天子と妃が何度もお忍びで遊びに来た。


 しかし、六十年前の政変で、承家の男たちは皆、北方へと追いやられた。

 その後、時々の男たちの帰りを待つしかない女子どもたちの住むこの屋敷は、寂しく荒れるままとなってしまった。


 まだ、庭の一部分は手入れの行き届かない木々が鬱蒼と茂り、使わない建物は廃屋同然に傾いたものもある。


 それでも、春を迎える前に、住居部分の改築が終わった。

 屋敷は以前の華やかさを取り戻し、客を呼べるようになった。


 それで、承将軍はごく内輪の宴ということで、宮砂村で一夏をともに過ごした沈家と荘家のものたちを招待したのだ。

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る