108 嬉児と峰新・その6



 峰新は二種類の女しか知らない。


 一つは、自分たちの仲間である小さな女の子たちだ。

 めったに洗わない顔はいつも薄汚れていて、髪の毛もぼさぼさ。

 着ているものも継ぎが当たっているのはよいほうで、破れたままであることのほうが多い。


 そして、峰貴文の関係で会うことの多い女役者や妓楼にいる女たち。

 彼女たちはいつもむせ返るようなお白粉の匂いを漂わせて、あでやかな着物に身を包んでいた。


 しかし、嬉児と名乗る女の顔は、化粧もしていないが汚れてもいない。

 髪は櫛目の跡が清々しく、両耳の上で小さな髷に結っている。

 小さな紅い飾りがまるで蝶が止まっているようだ。

 破れていない着物は、清潔で彼女によく似合っていた。


 峰新が生まれて初めて間近で見た、嬉児は三種類目の女だ。

 それは、親の十分な愛情と世話を受けて、普通の生活を楽しんでいる普通の子どもだった。


 言葉を失うほどに、普通の女の子である嬉児を彼は可愛いと思った。

 しかし、嬉児は相変わらず胸を張り両手を腰に当てて、峰新を睨みつけている。


「もしかして、自分の名前を忘れたとか?」


「違う。

 おまえというやつは、なんていう生意気な女だと考えていたんだ」


「生意気?

 生意気で失礼なのは、あんたのほうでしょう。

 それで、あんたの名前は?」


 峰新は、あらためて名乗った。

「おれの名は、峰新」


「それで、峰新さん。あんたは、ここで何をしているの?」


「見ての通りさ。

 お年寄りに座るところを貸している」


「銭を取って?」


「当たり前だろう。

 遠くからわざわざ、荷車に床几を乗せて運んで来ているんだ。

 手間賃くらいもらってもいいだろう? 

 だが、どうして、ここにお年寄りが集まっているのかは、おれは知らないぜ」


 なめらかに口が動き始めた。

 大人ですら言い負かすことが出来る、いつもの峰新だ。

 しかし、嬉児はそんな彼の上をいった。


「そんなことが、よく言えるわね。

 白麗おねえちゃんの笛の音で、商売をしているくせに」


「白麗おねえちゃん?

 それは誰のことだ?

 もしかして、塀の向こうから時々聴こえる、笛を吹いている髪の白い女のことか?」


 嬉児の言葉に再び、峰新は動揺した。

「お、お……、おまえ、そ、そ……、そいつと知り合いなのか?」


 再び言葉が出ないほどに、峰新がうろたえたのには理由がある。

 

 天下の往来に並べたいまにも壊れそうな床几で稼ぐ銭の額は、たかだか知れている。

 そのうえに、お屋敷のお嬢さまは気まぐれだ。

 運よく笛の音が流れてくれば、床几賃の上に心づけを弾んでくれる客が大半だが、笛の音が聴けないとわかると銭を返せと騒ぎ出す客もいる。


 この商売は元手はかからないが、仲間総出で一日を費やすにしては、一か八かの博打のような心許なさがある。お屋敷のお嬢さまが笛を吹く日と時間があらかじめわかっておればどんなによいだろうとは、いつも考えていることだった。


「同時に二つの質問をするなと言ったのは、どこのどなたでした?」


「ほんとうに、ああ言えばこう言うめんどくさい女だ。

 おれはな、おまえと、その白麗おねえちゃんとの関係が知りたいんだ」




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