100 杖刑王妃と斬首宰相・その10



「第六皇子さまは、夏風邪をひかれているとか。

 薬が効き、はやくよくなられるとよいのだがな」


 亜月がここに来る前に薬房に立ち寄って、宮中医から第六皇子の薬をもらってきたことを、すでに袁開元は知っている。

 正妃殿で起きていることはすべて、彼には筒抜けだ。


「夕方になると咳込まれていらっしゃいます」


「季節外れの風邪には、性質の悪いものがあると聞くぞ。

 第二皇子と第三皇子が、昨年より続いて身罷みまかられている。

 天子さまのご病弱を、少なからず皇子たちは受け継いでいるということだ。

 充分に気をつけてさしあげるのだぞ」


「はい、それはもう……」


 宮中のあらゆるところに間諜を潜り込ませて、なんでも知っている開元であれば、皇子の風邪が治りかけていることも知っているはずだ。

 それでも心配だというのであれば、皇子の病気見舞いを口実に正妃殿に来ればよい。正妃の祥陽とは姉弟の間柄ではないか。


 人目を避けて自分を呼びだしたのには、もっと大切な要件があるに違いない。

 年寄りらしい穏やかな笑みを浮かべたまま、次の言葉を亜月は待った。






「実はな、亜月……」


「はい、なんでございましょうか、お坊ちゃま」


「承将軍が、安陽に戻ってくる」


 その顔からすっと笑みが引くほどに、さすがの亜月も驚いた。

 しかし、皺だらけの顔の中の重たい瞼に埋まった目とすぼまった口元は、どんな心の動きも隠し通せる。


「承将軍さまとは?」

 知らぬふりは簡単にできた。


「第七王妃の兄だ。

 長らく北方の警備に当たっていたが、禁軍の将軍となって戻って来る」


「まあ、さようでございますか。

 第七王妃さまの兄上さまなのでございますか」


「本当に、亜月は、宮中の動きについて、何も知らないのだなあ。

 まあ、しかたがないか、おまえは姉上と第六皇子の下女だからな。

 お二人のお世話だけで、毎日が手一杯というところか」


「はい、もう体の自由もおぼつない年寄りにございます」


 その言葉に、開元は太った体を揺すって笑った。


「よく言うな、亜月。

 まあ、知らないというのであれば、教えてやろう。


 六十年前、承家を北方に追いやったのは、おれの偉大な祖父上だ。

 そして先年、援軍の要請を先延ばしにすることで、先代の承将軍を討ち死にさせたのは、おれの偉大な父上だ。

 その承将軍がよりにもよって、おれの代で戻って来るとは。

 袁家にとっては、まことに困ったことになったという訳だ」


 この間抜け男の失態を、舌打ちだけで済まされようか。

 大仰な金の冠が飛ぶほどに、その顔に平手打ちを食わせたい。

 しかし、理解できない難しい話を聞かされた年寄りのように、亜月は困った顔をして俯いていた。


 次を急かさなくとも、開元は女のようにぺらぺらと喋る。


「朝議で、突然に天子が『承将軍を戻すための勅令を出す』と言ったのよ。

 もちろん、おれはすぐさま御前に出て、『お怖れながら……』と、反対した。

 『承家は、六十年前の大火のおりに、極悪人・林宰相の肩を持ち、朝廷に逆らった逆臣にございます』とな。


 しかし、真っ青になった天子は震えながら『先々代の天子さまが、朕の夢に出てきてそう言った』と言ったきり、だんまりだ」

 



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