096 杖刑王妃と斬首宰相・その6
「亜月さまのご尊顔を拝見しますと、故郷の祖母を思い出します」
そう言いながら、門番兵の一人は愛想笑いを浮かべた。
「まあまあ、なんと嬉しいことを言ってくれるではないか。
それで、おまえのお
亜月はすっと兵士に身を寄せる。
その右手が長い袖の下に隠れた。
「先日、便りがありました。元気に過ごしているとのことです」
「なんとなんと、それは喜ばしいこと」
彼女が身を離した時、兵士の掌には小さな巾着が載っていた。
「これで、お
「亜月さまのお心遣い、いつもながらに痛み入ります」
素早く巾着を懐に仕舞いこんだ兵士は、背筋を伸ばし拱手する。
「亜月さま、くれぐれも足元にお気をつけてくださいませ」
亜月より
「なんとまあ、いつもながらに、おまえは口が上手い」
拱手の礼を解いた男が、巾着で膨らんだ懐を撫でながら答える。
「安心しろ。おまえにも分けてやるからさ」
「それにしても、おまえに
「とっくにあの世に行ってる。
なにをいまさら、お堅いことを言っているんだ、おまえは。
門番が後宮の老女にたかるくらい、可愛らしいものよ。
どうせこの銭も、あちこちの役人や商人を脅して、袁家が溜め込んだもの」
「おい、亜月さまに聞こえるぞ。
袁宰相さまに告げ口されたら、おまえの首は一瞬で胴からはなれてしまう。
そうなったら、その怖いもの知らずの減らず口も叩けなくなるぞ」
「なあに、亜月さまは、目も耳も悪い年寄りだ。
心配することはないさ」
そうは言われても……と、お堅いと揶揄された門番は首を伸ばして老女の後ろ姿を目で追った。
老女は門を出てすぐに左手の小道に折れる。
丸まった背でゆるゆると歩いているが、ふらつくこともなくその歩みの歩幅も変わることはない。まるで足のないものが滑って行くような歩き方だ。
亜月さまはいったい何歳であるのかと思い、彼はその考えにぞくりと体を震わせた。
「おい、向こうには建物などなにもないはずだが。
亜月さまはどこへ行かれるおつもりだろう?」
話しかけられたもう一人の門番は、ふんと鼻で笑う。
「後宮に住まわれるお人達の考えることを、しがない門番兵のおれたちが知ったところで、どうなるっていうんだ?
余計な詮索はしないほうが身のためだぞ。
これはそのための銭だ。
この銭で妓楼に繰り出すっていうのはどうだ?
久しぶりに、いい女を存分に抱いてみたいものだ」
緑濃く生い茂る木々の中に、老女の黒い着物が溶けるように吸い込まれて行く。
視界から消え失せた老女の後ろ姿を見届けて、我に返った兵士が答えた。
「ああ、そうだな……」
重なりあう木々の枝から、蝉の声が降ってくる。
夏の陽射しに蒸された下生えの草が青く臭く匂う。
昼なお薄暗い森と化してしまったこの場所に、足を踏み入れるものなどいない。
それでも時おり、小道の草は刈られるようだ。
着物の長い裾を引きずり、背を丸め小さな歩幅で歩くしかない亜月にはありがたかった。
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