088 第五皇子と雲流先生の出会い・その3
雲流がそう思った時、皇子が机の上の地図から顔を上げた。
「雲流先生、中華大陸に国はいくつあるのですか?」
それは、雲流にとって、まったく予期していなかった質問だ。
……皇子のその心ここにあらずの訳は、そういうことだったのか。
皇子は、青陵国の地図を眺めて、そんなことを考えていたのか……
彼は正直に答えた。
「中華大陸はその全容を知るものはいないほどに広大でありますれば、いくつの国が存在しているのか、答えられるものはいないと思われます」
答を期待していた皇子の顔が曇る。
「やはり、雲流先生もご存じないのですか?
老先生にも訊きましたが、知らないと言われました」
「安陽で手に入るかぎりの書を読んで、わたしが知り得た国の名前の数は百ほど。
書に書かれていない国、小さな豪族が治めている土地も国と数えるとすれば、その数は三百か、いやその倍、その十倍……。
そのうえに新しく
書に書かれてあった国の名前も、いったい今現在、いくつが栄えているのかそれとも亡びてしまっているのか。
その地に行って実際に調べない限り、まったく見当もつきません。
皇子は、中華大陸にある国の数が知りたいと言われるのですか?」
「はい、雲流先生。知りたく思います。
この中華大陸に、なぜそのようにたくさんの国があるのか。
そして、なぜ、国は新しく興り、そして亡びていくのか。
知りたく思います」
雲流が書いたばかりの泗水という字を、皇子は指先でなぞった。
乾いていない墨が皇子の指先を黒く汚す。
再び顔をあげて雲流を見つめる目に、思いつめた表情が浮かんでいる。
皇子は言った。
「雲流先生、青陵国もまた、いつかは亡びるのでしょうか?」
その問いに、雲流は目の前の皇子が十歳の少年であることを忘れて、激しく動揺した。
立っている床が底知れぬ泥沼となり、足が沈んでいく。
持っていた筆を机の上に戻す手がかすかに震えた。
――青陵国もまた、いつかは滅びるのか――
十歳の皇子の頭の中に常にある疑問。
その答えを知りたくても、青陵国の皇子という立場上、気軽に口から発することの出来ない言葉。
誰もがその瞬間に卑屈な上目遣いとなり「青陵国が亡びるなどと、そのようなことがある訳がございません」としか答えないだろう。
それとも「とんでもないことにございます。皇子、そのようなことは決して口には出されませんように」と、へつらったふうを装って見下したように言うに違いない。
問いの真意を見抜こうと、雲流は皇子の目の奥を覗いた。
まさにおのれの無学を知り、知識に渇望している目だ。
……皇子の才を見抜こうなど考えた自分はなんと愚かであったことか。
いままさに、皇子はわたしの師としての才を見抜こうとしている……
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