087 第五皇子と雲流先生の出会い・その2



(前話の086に、新しいエピソードとして、宮中の情景描写を加えて書き直したために、今回の087は、前話と話がダブっています。すで前話を読んでくださっているかたには、申し訳ありません)





 すでに第五皇子は、新しい師となるかもしれない雲流を自室で待っていた。

 皇子と雲流を引き合わせると、老師は言った。


「こういうことは、何よりも二人の相性が大切だ。

 先入観はもっとも恐れるところ。

 二人の想いが定まったころあいを見計らって、王妃にはお出ましいただくことにししよう。

 

 さてわしは、王妃さまと最後の語らいでも楽しもうか」


 老師が立ち去ったあと、雲流は部屋を見回した。

 居心地のよさそうな部屋だ。

 王妃の母としての愛情が、こまごまとした調度品となってさりげなく置かれている。


 ……これが我が子を慈しむということか……


 雲流は、別れた妻の若い顔を思い出し、抱くことのできなかった我が子を思った。


 役人の横暴に苦しむ民の訴状を携えて安陽に上った父は、そのまま車裂きの刑を受けた。慌てて上京し、父の遺骸を集めて供養した雲流は、父のとがが及ぶことを怖れて、身重の妻に安陽から離縁状を送った。


 その後、父の友人であった老師にかくまわれて、都の片隅に潜んで十五年となる。







「雲流先生?」


 皇子の遠慮がちな呼びかけで、彼は意識を目の前の机の上に戻す。

 彼は筆をとって紙にさらさらと絵を書いてみせた。


「皇子、この絵は何かご存じか?」


 まだ少しあどけなさの残る顔を輝かせて、第五皇子は答えた。


「雲流先生、この絵は青陵国の地図です。

 都の安陽はここになります」


 そう言いながら、絵の上を短い指で指し示す。


「おお、よくご存じであられる。

 青陵国の東は、その果てを誰も知らぬ大海原。

 そして西は奥深い山々に囲まれ、その向こうは越山国」


 青陵国の地図の左右に、雲流は波と山の絵を書き足す。


「南には大河が流れておりますが、この川の名前をご存じかな?」


「はい、江長川と聞いております。

 見たことはありませんが」


 その答えに満足して頷きながら、彼は地図の下に蛇のようにうねる川の絵を書き足した。


「江長川を渡った先は呉権国。

 そして、青陵国の北はこれまた果てのない大草原となっておりますれば、ここには国という概念はなく、騎馬したものたちが天幕で移動しながら暮らしております」


 一筆で描かれた疾走する馬の絵に皇子は目を丸くしたが、雲流の言葉一つ一つに素直にこくりこくりと頷いている。


「では、皇子。

 この青陵国の地図に町の名前を書き込んでまいりましょう。

 ここは、皇子の言われたとおり安陽。

 では、江長川のほとり、南の都といわれている町は?」


「慶央です」

「その通りにございます」


 白い紙に書いた慶央の地図に、安陽に続いて慶央と書き込みながら、雲流は言葉を続けた。


「では、青陵国のへそといわれている交易の盛んな町の名前はご存じですか」


「……、泗水……」


「さようにございます。

 皇子は、泗水という字は書けますかな?」


 青陵国の地図に魅入っている皇子は返事をしない。

 雲流の問いかけが耳に入っているのかどうか。


……やはり、その才は凡庸か。

 皇子を孫のように可愛がっているうちに、老師も老いて、その目が曇ったようだ……





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る