074 第五皇子の初恋・その1
山を越えて細い下り道になると同時に、景色と風の色が変わった。
鬱蒼と生い繁っていた木がまばらとなり、枝がみな同じ方向に捻じれている。
そして風は光を孕んできらきらと輝き、爽やかに吹き渡った。
視界を遮る捻じれた木の枝を避けるために、馬の上で思いっきり伸びあがって眼下を見下ろした徐平が叫んだ。
「あれが、海か! なんと、青いなあ……」
徐平は背中に矢筒を背負い、愛用の弓はいつでも素早く使えるようにと鞍にひっかけている。十七歳でありながら、彼はすでに人を何人か射殺していた。
女の方は……。
昨夜の胡玉楼で若い美女三人を相手にしたという噂は、すでに仲間内で知らぬものはいない。
その美女の中に峰貴文がいたのかいなかったのか。
仲間内のそれとない問いかけにも、彼は迷うことなく答える。
「峰さん、いたのかなあ。
おれ、実は、覚えてないんです。それどころじゃなくて」
しかしながら、そのような徐平が初めて見る海の青さに驚いた声は、無邪気な子どもそのものだった。
「そうか、おまえはまだ海を見たことがなかったのか」
「泥色をした江長川しか知らずに育ったのだな。
やっと、川と海の違いを知ったかということか」
「青いのも青いが、海はとてつもなく広いぞ。
あの果てはどうなっているのか、確かめるために船を漕ぎだしたものは、誰も戻って来たためしがないという話だ」
同じく馬を進める男たちから、徐平の驚きに応えるように声があがる。
細い山道を下るのは、荘英卓を真ん中に荘新家の強者たち総勢八騎ほど。
気心知れたものばかりである。
そのうえにもう少しで宮砂村の沈老人の夏の別邸に着けば、数日の食って飲んでの楽しい日々が約束されている。
心浮き立ち、軽口の一つや二つ言ってみたくなるのも当然だろう。
「それにしても徐平はたいしたものだ。
夜っぴて、女三人と男一人を相手に楽しんだのだ。
そんな翌日は、世の中のすべてが黄色く見えるものと決まっているのだが。
海がちゃんと青く見えるとはなあ」
「えっ、そうなんですか。
おれには、青いものは青くしか見えませんよ」
馬に揺られながら、危なっかしく体を右に左にと傾けて眼下を見下ろす彼の口調は、何を言われようといつもの徐平そのものだ。
「おいおい、しゃあしゃあと言ってくれるじゃないか」
「羨むな。それが、若さというものだ」
しかし、八騎の中に一人だけ堅物な男がいた。
荘英卓の後ろで馬を歩ませていた魁堂鉄が、よく通る声で徐平に言った。
「徐平、よそ見をするな。
ここは足場が悪い。
馬とともに崖を滑り落ちたら、怪我だけではすまんぞ」
「はい、堂鉄兄! 肝に命じます」
その言葉とは裏腹に若い男のまったく悪びれていない様子に、再び、どっと笑い声が起きる。
笑い声が収まった時、先頭で馬を歩ませていた男が言った。
彼は沈家から遣わされた道案内役だ。
「ここからだと、沈さまの夏の別邸が見えます。
このまま海岸まで降りて、入り江沿いに行くこととなります」
彼の指差す方向は右手よりの山の中腹。
木々の深い緑の葉に隠れながらも、建物の屋根の重なりが見える。
屋根の間から幾筋もの細い煙が上がっているは、英卓たちを迎えるための馳走作りの最中なのだろう。
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