071 峰貴文、英卓に生い立ちの秘密を語る・その8



「老いた父は傍目から見たらどうしようもなく呆けた人だったのだけど。

 それでもふとした拍子に正気に戻ることがあって。

 そういう時の父は、子ども相手に昔物語りの上手な好々爺となったわ。


 本当に語るのが上手な人でね。


 あんな人を父にしてこの世に生まれたくはなかった思うこともあるけれど、あたしが戯作者となって安陽で持て囃されるほどに成功したのは、やっぱり父の血だとありがたく思う時もあるわねえ。


 あら嫌だわ。

 えらくしんみりしてきちゃって。

 いい男と二人きりで一つ部屋でしんみりというのなら、あたしも大歓迎なのだけど。こんな辛気臭い話ではねえ」


 貴文はそこで話を切った。

 再び空中の見えない紙に見えない筆でさらさらと書き始める。


 これから、話は佳境に入るということなのだろう。

 やがて、話すべきことは纏まったようで、彼は言葉を続けた。


「呆けた父が正気に戻って、幼いあたしに語って聞かせてくれた話のほとんどは、昔々に、客桟に泊まったお客さんから仕入れた話だった。


 父は客桟の仕事を真面目にこなして手広くしていったけど、客桟の仕事が好きというよりも、泊まる旅人の一夜限りの土産話というものが好きでね。

 面白い話を聞かせてくれた客からは宿代をとらなかったっていうのを、自慢していたわ。


 そうやって旅人から仕入れたお話の中で、父が一番に気に入って、子どもだったあたしに何度も聞かせてくれたお話……。

 

 あらあ、こんな昔話を素面しらふで聞かされては、面白くもないでしょう? 


 ああ、青愁ちゃんを返してしまって残念なことをしたわ。

 あたしの酌では興をそがれるでしょうけれど。

 まあ、いやがらずに盃を受けてくださいな」


 貴文が卓上の酒の甕を持ちあげ、英卓が盃を差し出す。


「ぐっと、飲み干してくださいね」


 体が触れ合うほどににじり寄ってきた貴文は、女にでも出せないような色気溢れる手つきで盃に酒を満たす。


 盃の縁より盛り上がるほどになみなみと注がれた酒を、英卓は片腕でこぼすこと受けた。

 

 女のように美しい顔を近づけて男が言う。


「父の一番のお気に入りのお話というのが……。


 この中華大陸をさまよっているという、髪の真白い美しい少女の話。

 なんでもその少女は不老不死だそうよ」


 口をつけることなく盃を卓上に戻して、英卓が答える。


「峰さん、期待してはいけない。

 それは麗とは関係のない話だ。

 確かに麗の髪は真白く、その顔立ちは美しいかも知れぬが。


 はるか西の国からやって来た荘家の大切な客人だと、父から聞いている。

 それだけのことだ」


 そう答えた英卓の目の色も顔の表情も穏やかなままだった。

 しかし、卓上に戻された盃から酒がこぼれた。

 そこに、貴文が得るべき答があった。

 彼はかすかに笑う。


「そうだわね、英卓ちゃん。

 慶央にいた時に荘家にお世話になった蘇悦から、白麗ちゃんの話をいろいろと聞いて、あたしが勝手な想像をしてしまったようよ。


 しかたがないわね。

 退屈なお話を聞いてもらったお礼に、これから青愁ちゃんのお部屋に案内するわ」

 



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