035 峰 貴文、女装の戯作者登場・4


 允陶の口から梅鈴の名前が出た時、叫びそうになり、両手で慌てて自分の口を押えた萬姜だった。

 しかしついに、関景の言葉に、指の間から「ひいっ」と声を漏らした。


 峰貴文が言った。


「まあ、関景ちゃん。

 そんな乱暴なことを言っちゃあ、だめよ。

 ところで、允陶ちゃん、その梅鈴ちゃんって、幾つ?」


「確か、十七か十八くらいかと」


「まだ若いわね。

 お屋敷のお嬢ちゃんをかどわかすなんてこと、一人で思いつく訳がない。

 お芝居の世界ではね、悪事を働いた女の陰にはもっと悪い男が、必ず、いるものなのよ。そして、一途な女は、惚れた男のためになら命も惜しまない。

 骨を折られても、その梅鈴ちゃんが本当のことを言うかどうか……」


 再び、彼の右手が胸の前で動き始める。


 しばらくの間、見えない筆で見えない紙に何事かを書きつけていた峰貴文だったが、また独り言のように呟いた。


「明日の朝、城門が開くころを見計らって、この屋敷から、それとは気づかれないように梅鈴ちゃんを逃がしてやるの。

 梅鈴ちゃんは必ず愛しい男の元に行くはずよ。

 その後をつければ、白麗ちゃんの居所にたどりつけるわ」


「峰どの、……、いや、峰さん。

 万が一、女に撒かれたら、どうする? 

 お嬢ちゃんの居所どころか、我々はただ一つの手がかりを失くすことになるではないか」


「うふふ、そういう心配は、ご無用よ。

 そうそう、まだ皆さんには、紹介していなかったわね。

 この子は、新ちゃんっていうの」


 並んで座っている峰貴文と蘇悦の背中が割れた。

 小さい影が姿を現した。

 神妙に両膝を揃えて座っている十歳くらいの男の子だ。


 この部屋に蘇悦が入ってきた時、彼の後ろに大きな影と小さな影があったのは、誰もが気づいていた。

 しかしまずは大きな影の峰貴文の格好と言動に皆の注目が集まった。

 そのために、小さな影は忘れられていたのだ。


「あたしの可愛い一人息子よ」


 その言葉に、居並んだものの誰かが「ほうっ」と息を吐いた。

 この化粧した男も、やはり女を抱いてすることはするのか。


「子役が必要な時に、時々、芝居小屋で演じさせているのだけど。

 それよりも新ちゃんとその悪友たちの得意とするところは、この安陽の路地の裏の裏まで知り抜いていることかしら。

 新ちゃんの目を盗んでは、野良の犬でさえ仔を産めないっていう噂よ。

 新ちゃん、皆さんにご挨拶しなさい」


「峰新って言います。

 峰さんは、俺のことを息子だって言ってくれるけれど、本当は違います。

 捨て子だったんです。そして、悪い仲間に育てられていたおれを、峰さんは助けてくれて、新しい名前までつけてくれました」


「新ちゃん、いつも言っているでしょう。

 そんなことを馬鹿正直に言わなくていいのよ」


「おれにはおれみたいな仲間が何人もいます。

 子どもだったら、後をつけても怪しまれません。任せてください」


 組んでいた腕をほどいて、関景が言った。


「よし、わかった!

 では、早朝、それと気づかれぬように梅鈴を屋敷の外に出すことにしよう。

 ところで、英卓。その役目は誰がよいかな?」


 間髪入れずに、英卓が答える。

「爺さま。それはもちろん、徐平が適任かと」


 自分の鼻の頭を自分で指さした徐平が、素っ頓狂な声を上げた。

「えっ、なんで、この俺が!」








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