032 峰 貴文、女装の戯作者登場・1
その日から、たびたび、蘇悦は荘家の屋敷にやってくるようになった。
沈明宥の豪商仲間や金の伝手を使った役人からの情報もありがたいが、妓楼を舞台に夜の安陽を知り尽くした彼の情報も捨てがたい。
そして妓楼に通いつめ今では用心棒だと言うだけあって、彼は女の歓心を引くのが上手かった。
沈明宥の金に飽かした贅沢な贈り物と違って、彼は女たちが喜ぶ細々した化粧品や身につけるものを手土産に持ってきた。
蘇悦の来訪を知ると、屋敷の女たちは浮足立ちそして嬌声をあげて歓待する。
男の出入りには厳しい奥座敷も例外ではない。女の喜ぶ手土産と英卓の命の恩人という立場で、彼は荘家の中に溶け込んだ。
慶央にいた時から、関景は蘇悦の人となりとその武芸の腕を気に入っていた。
それで彼は何度も言った。
「蘇悦よ。いつまでも、妓楼の用心棒ではいられまい。
妓楼で酒に酔ったものたちの色恋沙汰の仲裁など、面白くもなかろう。
どうだ、荘新家に来て、その腕を活かす気はないか?」
しかし蘇悦は首を縦に振ろうとはしなかった。
「いやあ、俺は今のようなその日暮らしが性に合っている。
それになかなかに面白いお人と知り合ってな。
そのお人の傍にいると、毎日が、実に楽しいのだ」
「白麗ちゃんのことで困りごとが起きたのだろう。すべて承知だ」
そう言いながら、蘇悦もまた沈明宥と同じように、案内を請うことなく部屋の戸を自ら開けて入ってきた。
彼の背後から黄昏の乾いた風が静かに流れ入り、燭台の灯りを揺らす。
そして同時に香しいよい匂いが立った。女の化粧の匂いだ。
淀んでいた部屋の空気が動いたことで、萬姜の化粧が匂ったのか。
しかし夫を亡くしたあとの彼女は身持ちも固く暮らしている。
三十路のうえに三人の子持ちで、来春には梨佳が出産するので祖母となる。身だしなみとして薄く化粧はしていても、微かな風に化粧が匂い立つなどとは有り得ない。
蘇悦は後ろに大きな影と小さな影を従えていた。
大きな影がすっと前に出て、蘇悦と並ぶ。影は蘇悦よりも背が高い。
「あらまあ、皆さん、深刻な顔をしちゃって……」
影から発せられた声は確かに男だが、その言葉使いは女そのものだった。
この場にあまりにも似つかわしくないその声に、堂鉄と徐平の左手が動いて横に置いていた刀の鞘を掴む。それに気づいて、蘇悦の手も腰の刀の柄にかかった。
しかし大きな影はそのことに構うことなく、しなを作って身をかがめると英卓の前に両膝を揃えて座った。そしてその顔をぬっと英卓に近づける。
よい匂いはこの男からだった。美しく化粧を施した男は、女物の着物をぞろりと着流して、赤い紐で一つに結わえた髪を、馬の尻尾のように長く背中に垂らしていた。
「あなたが英卓ちゃんね。なるほどねえ、うちの青愁が褒めてただけはあるわねえ。ちょっと齧ってみたくなるいい男ぶりじゃない。
顔の傷も片腕がないことも、あたしちっとも気にしないから、よろしくね」
そして堂鉄に視線を移し、彼に流し目をくれると言葉を続けた。
「あら、こっちの殺気立っている大男ちゃんも、なかなかにいい男ぶりだわ。でも、ごめんなさいね。あたし、どちらかというと若い男が好みなのよ」
刀を握りしめた堂鉄が立ち上がるために、静かに片膝を立てる。
「おお、怖いこと。
蘇悦ちゃん、はやく皆さんにあたしのこと、紹介してよね。
血の雨なんていう無粋なもの、誰も降らせたくないでしょう?」
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