1.15 突然の来訪者


 テトラポッドの破片のテレポートを繰り返す度に、「間隔」は狭くなり、〈ナビゲーテル〉が提示する予想球もどんどん赤く、大きくなっていく。八回連続で、転移された破片は球体の中に入り続けた。


 ふとわたしは思い当たった。〈ナビゲーテル〉はわたしが確実にテレポートできる範疇だけを攻めているのだと。それなら、高度な分析AIなんていらない。ただ、能力の上限を低く見積もればいいじゃない。


 ただ、十三回目のテレポートで、遂に破片は球体の僅か外側に転移された。わたしは〈テラ〉に訊いた。


「九十五パーセントを十二回連続で引き当てる確率は?」


「五十四.0パーセント」


 思った程高くはなかった。癪だったので、〈ナビゲーテル〉の予測精度の粗さが統計的に有意であることを証明してやろうと、データの収集を〈テラ〉に命じた。ただ、〈テラ〉は冷静に答えた。


「真弓のテレポート持続力じゃ、限界の限界までやっても、今日だけで必要なサンプル数を集めることはできないよ。それに、僕にインストールされている基本統計パッケージじゃ、〈ナビゲーテル〉のサーバーにある業務用の統計処理AIに到底太刀打ちできない」


「分かったよ」


 わたしは口をとがらせて、数十メートル離れたところに打ち捨てたテトラポッドのところにひとっ飛びした。


 使用感を試したところで、今度はテレポートの応用を試してみたくなった。


〈ナビゲーテル〉標準搭載の機能の一つに、一部のテレポーターだけが使える応用テレポート「位相破壊」の補助機能がある。今度はそれを試す番だ。

 



 テレポートは座標Aから座標Bへの物体の写像だ。そして通常のテレポートは物体の位相を完全に保持した状態で行われる。つまり、テレポートされた生物はその生理機能を問題なく発現させることができ、精密機械でさえも故障なく動作する。しかし、自分の限界を超えたテレポートや不適切な座標設定を行うと、その写像が上手くいかず、テレポートは暴発し、対象物体の位相を不可逆的に破壊することがある。生物なら死に、機械なら壊れる。テレポート学テレポートロジーあるいは位相テレポート学テレポートポロジーでは、これを位相破壊と呼んでいる。


 そしていつだって、理学的な現象は工学屋によって応用される。マコフスキー方程式やMIのプロトタイプ発案者である故マコフスキー教授は晩年、反テレポーター派による暗殺前夜まで位相破壊の応用を研究していた。


 そうして、高度なテレポーター向けの技がいくつも開発された。


 その一つが位相破壊〈断裂〉。転移元の座標Aを意図的に誤認することによって、対象物体をテレポートと同時に。未熟なテレポーターがよくやる暴発の一つだが、転移元座標の誤認が〈断裂〉を引き起こすなら、適切に不適切な座標誤認を行えることができれば、任意の断面で物体を二分できる。ただし、適切な座標誤認は物体を見ながらだと難しく、〈断裂〉を使いこなすためには、わたしのようにノールックテレポートが軽々と使えることが条件だと言われている。


〈ゼウス〉こと〈粛清者〉も、これを得意技としていたらしい。エウロパの転移や〈新人類同盟〉の幹部たちの〝串刺し〟の印象が強い〈粛清者〉だが、その者の〝粛清〟の跡地には必ずといっていい程、一刀両断された鉄骨や壁面、廃車、そして死体があったらしい。高度なテレポーター同士の戦いは奇襲一発勝負。〈粛清者〉は周辺環境ごと、危険なテレポーターを一閃していた。


 不完全な位相破壊〈断裂〉であれば、このわたしも小さい頃から頻繁に世話になっていた。たとえば、移動教室の際に自分の机の中に忘れたままにした教科書を召喚しようとした時。机の引き出しの底面からの距離を測り間違えて、転移元の座標を誤認した。足元に呼び寄せた教科書は後半のページがごっそりと抜け落ちていた。ダンゴムシを真っ二つに引きちぎったのも、今思えば〈断裂〉の先駆けだ。


 しかし、これを制御して自分の意図通りにできたと実感した試しは一度もなかった。所詮は暴発の悪用止まり。いつだって、〈断裂〉した物体の断面は、〈ゼウス〉のように一刀両断とはいかず、切れ味の悪い鉈で叩き切った後のようにぐちゃぐちゃだった。


 高校生になり、ノールックテレポートの精度が上がってからは、それなりに手なずけるようになったとはいえ、まだ断面は研磨された石のようにはならない。しかし、以前見た〈ナビゲーテル〉のデモ映像には、わたしと同程度のノールックテレポート使いが、岩を綺麗に一刀両断する場面があった。その力がわたしのものになるのだと思うと、胸が躍った。わたしはまた一歩、〈ゼウス〉に近づくことができる。〈ゼウス〉の置き土産を消し去り、月だけが昇る夜空を取り戻すことができる。


 わたしは目の前にあるテトラポッドの破片に目を落とした。脳波を介して〈ナビゲーテル〉に命じる。


 補助シークエンス起動。――位相破壊〈断裂〉。




 視界のUIカラーが青色から赤色へと様変わりした。


〈ナビゲーテル〉は対象物体のテトラポッドを認識し、断面設定を求めてきた。視線&脳波ダイヤルのインタフェースに慣れ、空間上の三点を自在に動かせるようになるまで少し時間がかかったが、その後はすぐに三点を通る平面を断面に設定することができた。そして〈ナビゲーテル〉はその断面を生み出すための適切な誤認座標を演算する。


 演算結果の提示には一秒とかからなかった。すぐに、コンタクトディスプレイが不透明度百パーセントの靄を視界の中心に出現させてテトラポッドを隠した。擬似的なノールックテレポート環境の生成だ、とわたしは直感した。


 勘は的中した。靄の上に上書きするように、テトラポッドの赤い三次元輪郭が視界に出現する。その輪郭の座標は、靄の向こうにある本物の破片のそれとはわずかに異なって見えた。

その仮構テトラポッドを、同じ座標にテレポートせよ、と〈ナビゲーテル〉は指示を出した。わたしはその通りに行った。


 やがて靄が晴れる。わたしの目の前には、真っ二つになったテトラポッドが転がっていた。

恐る恐る近寄り、その断面に指を這わす。高圧水流で切断し、研磨剤をかけた後のような滑らかさに、思わず鳥肌が立った。


 完全な位相破壊〈断裂〉を、わたしがやり遂げた。


 その事実に武者震いが止まらなかった。水平線に浮かぶ、満エウロパの光も眩しいとは思わなかった。


 そこからのわたしは水を得た魚のように、高鳴る鼓動のままに自分の力を試し続けた。やがてテトラポッドは粉々になり、視界には〝オーバーヒート〟の警告文。「間隔」の詰め過ぎで、暴発回避の保証が難しい程にパフォーマンスが低下しているとの指摘だった。けれども、そんな疲労を感じない程にわたしは昂っていた。


「真弓、無理しないで」


〈テラ〉が心配そうな声で囁いた。〈ナビゲーテル〉の処理に関与していない〈テラ〉が〝オーバーヒート〟状態を感知したとは思えないから、恐らく心拍数の異常を検知したのだろう。


「無理しないで、なんて無理を言わないで」


「僕に、真弓が倒れたって救急に通報させるつもり?」


 無邪気な少年の柔らかで切実な声が、凝り固まった筋肉の内部に流れ込む。わたしの張り詰めた頬の筋肉は緩んだ。


「でも、まだ足りない」


 わたしは足元に散らばる破片を見下ろした。さいころのように滑らかで平坦な断面を持った石片が転がっている。再び顔を上げて、水平線に浮かぶ満エウロパを睨んだ。


〈ナビゲーテル〉が画像認識で対象を認識し、視界の端にその名を表示させる。地球第二衛星エウロパ。けれども、視差は数値誤差の揺らぎに飲まれて消え、レーザー距離計の放つ微弱なレーザーはその青白い光に掻き消される。導き出された推定距離は「計測不可」。制御AIはセマンティック・ウェブからエウロパの情報を引っ張り出し、参考情報として「約六十万キロ」との情報を表示させたが、わたしが何度それをテレポート対象と念じたところで、視界に現れた無慈悲なる警告文「テレポート不可」を消すことはできなかった。


 まだだ。まだ。わたしの力はあの凶星には届かない。


 でも、いつの日かわたしはあの星を元いた場所へ戻してみせる。あれは〈ゼウス〉がわたしに課した試練。十がい人分のわたしを一度にテレポートさせられるだけの圧倒的な力を、この手に掴んで見せる。必ず――。


「精が出ますね。脇坂真弓さん」


 背後からの声――とスマート内耳が認識させた――がわたしの背中をなぞる。


 振り返った先には、雪のように白く輝くスーツに身を包んだ黒人女性の姿があった。


F2Fフェイスtoフェイスインタフェースでの会話を許可した覚えはないんだけど」

わたしは刺々しい口調を彼女に投げかけたが、「それは失礼」と彼女はひらりと躱した。


「ですが、今日の私は〈ナビゲーテル〉標準搭載のヘルプアシスタントAIとしてあなたの前に現れています」


 呆れて物も言えなかった。〈ナビゲーテル〉は監視アプリだというつもり? わたしのテレポートログも、脳波ログも、すべてこの女に見られていたと思うと、皮膚の裏側を舐めまわされたかのような悪寒が走った。


 足元に転がる、テトラポッドだったさいころ状の石片を蹴り散らした。


「一体何の用、ヴィオラ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る