第25話

 早朝に実言たち、北方征伐の先遣隊は出発した。

 美しい装束をまとった先遣隊の一行は、宮殿へ入って大王に出発の挨拶をし、そこから王宮前の大路を勇ましい騎馬隊を連ねて旅立った。

 実言の出で立ちの美しさは言葉に表しがたいほど際立っていて、その勇ましい姿に沿道で見送る者たちは皆口々に感嘆の言葉を発していたという。

 身重の礼は、大路での見送りはせず、実言をこうして見送った岩城家の従者や侍女たちが語る実言の勇壮な武者姿の話を、階の一番近くの庇に垂らした御簾の中に座って、漏れ聞くのだった。

 実言という男は、抜かりのない用意周到な男なので、自身がいうように、ただ死に行くわけでないはずだ。しかし、誰も生きて帰らぬと言われている戦のどこに勝機を見て旅立って行ったのだろう。

 礼を遠ざけて、いろいろと準備をしていたのは確かであるが、礼の不安は募るばかりだった。

 実言はどのようにしてその北方の見知らぬ土地に行くかを語って聞かせてくれたが、その道中のことも心配だった。旅といえば都と束蕗原の往復しか経験のない礼にとっては、どんな困難や苦労が待ち受けているのだろうかと考えを巡らした。

 それから、三日後の早朝、礼は静かに都から束蕗原へと立った。

 前日に、当主の園栄をはじめ、実言の兄弟、その妻たちに挨拶を済ませていたから、礼は用意させた車に乗り込むだけだった。

 その前に、礼が岩城家の離れに来てから世話をしてくれた侍女の澪との別れには時間がかかった。また、実言が戦から帰ってくればこの離れに戻るのだから、それまで礼がこの離れに来る前と同じように岩城の家に仕えていればいいのだが、澪にとっては自分の主人たちがいつ戻るのかわからない。どれだけ待てば再び会えるのかわからない不安に、礼も澪もお互い胸に急いてくるものがあって、止めようと思っているのに涙が溢れてくるのだった。

「礼様。どうか、元気なやや子をお産みくださいね。私は、ここからお祈り申し上げております」

「ありがとう。まめに連絡をしますから、あなたもどうか元気でね。必ず、ここへ戻ってきますから……」

 二人とも最後には言葉が声にならず、寄り添って互いを支え合った。

「さあ、礼様。ご出発なさいませ」

 礼は、澪に促されて、車がつけられた階へと向かった。そこには、実言に礼を守るように言いつけられている耳丸が控えていた。

 礼と耳丸は目が合った。

 これからは互いに反目している場合ではない。実言が帰ってくるまでの間、今あるもの全てを守り抜いていかなくてはいかないのだ。

 礼は耳丸の手に支えられて車へと乗り込んだ。そして、半日をかけて束蕗原へと向かった。

 実言が旅経ってからの今日までの三日間、礼は実言との別れまでの緊張が緩んだようで、寝込んでしまった。

 縫は束蕗原に行くのは無理ではないか、このままこの離れで出産したほうがいいのではないかと言ったが、礼は束蕗原に行くといって、今日はしゃんとしていた。

 しかし、牛が歩き出すと、礼は辛そうに眉根を寄せて、縫にすがりついた。やっとの事で、束蕗原の去の屋敷へと着いた。

屋敷前に出迎えた去は、耳丸と縫に助けられて車から降りた礼に駆け寄った。

「道中大丈夫だったかい?」

 真っ青な礼の顔色を見て、去は礼の体を支えた。実言が南方の戦に行っている間、束蕗原で過ごしていた離れの部屋に通されて、すぐさま横にさせられた。

 冷たい水につけて絞った布をそっと額に当ててもらいながら、礼は去を見上げた。

「去様。また、ご迷惑をおかけします」

「もう、お前は私の子供よ。帰ってきてくれて嬉しい。実言殿が帰っていらっしゃるまで、ここでややを育てなさい」

 礼は目をつむって、頷いた。

「ゆっくりとお休み。車での旅は疲れただろう」

 去の言葉に促されるように、礼は深い眠りへと落ちていった。

 礼はお産までの間、薬草の書物を読み、体が楽な日は皆と一緒に薬草を籠や壺に入れる作業を手伝った。顔見知りの去の弟子たちとは気心が知れていてすぐに打ち解けられた。

 何事もなく、平穏に時間は過ぎて、産月になった。この館は、何回も出産の立ち合いをしているので慣れているが、中にはややと母親が亡くなってしまう不幸な結果もあるため、やはりその時は皆が緊張していた。

 六月の半ばのその日の夜明け前に、礼は、褥の上で唸り始めた。同じ部屋に寝ている縫が起き出して、声をかける。

「礼様」

 礼は縫に手を握られて、次々にくる陣痛に耐えた。去や出産の立会いに慣れた者たちが、礼を助けようと部屋に集まった。

 礼は数刻の痛みの後、無事に男子を出産した。

 ややを産湯につけて、体をきれいにしながら礼に男の子が生まれたことを伝えられた。

 礼は、疲れた中に喜びが込み上げてきた。出産後に礼の様子を見ていた去たちは、礼がまたもや息み出して驚いた。

 礼は誰にも言っていない予感があった。腹の中に宿った命は一つではないという予感だ。

「礼」

 去は心配して、名を呼んだ。

「去様、私のお腹は……」

 礼は差し出された去の手を力いっぱい握った。程なくして、次の新しい命が誕生した。

「まあ、女の子だわ」

 皆が声を上げた。

 元気な産声を聞きながら礼は出産を終えた。

 礼は男の子と女の子の双子を無事に産み落とした。

「もう一人乳母が必要ね」

 と去は、嬉しい予想外に顔を綻ばせながらあてを探させるよう指示を出した。

「礼、よくやったわね。岩城家、真皿尾家にも使いを出しましたからね。両家ともとてもお喜びになるでしょう」

 礼は産後の体をきれいにしてもらって、体を横たえた。双子のことは、半信半疑だったため、実言にも言わなかった。こうして二人のややを得た今は、必ず実言に会わせたいという思いが湧いてくる。

「ここに実言様がいらっしゃれば」

 誰が言ったのかわからない。誰もがはばかって言わないでいた言葉を思わず言ってしまったのだった。

「礼。お前はややを育てながら、実言殿を待つのです。それが実言殿の望まれたことなのですからね。無い物ねだりをしてはいけないわ」

 去に励まされて、礼は頷いた。

 それからは、岩城の父園栄をはじめ、実家である真皿尾の父親からも、祝いの品が届いた。遣いには、岩城家は実言のすぐ上の兄自らが澪を伴って束蕗原へと訪ねてくれた。真皿尾家からは三番目の兄がやってきた。

 園栄から送られた産着をきた男女のややを皆が囲んでなにやら言い合っている。礼は隣の部屋の喧騒の中、皆がなにを言っているのかわかっていた。皆、実言に大層似ていると言っているのだ。礼も我が子を横に寝かせて眺めるにつけ、この子たちは実言の子だと自然と笑みがこぼれてくる。

 ああ、早く実言に会わせたい。

 礼は込み上げる思いを飲み込んで、去に言われたように、今はややを健やかに育てることだけを考えようと思った。いつか、きっと実言と会う日まで。

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