第22話

 一月の半ばまで宮廷の行事が続き、大臣である園栄をはじめとして岩城家は忙しかった。宮廷の行事が恙無く終わったところで、それを労うために、岩城家の広間で宴会を催して大いに飲み食べて、正月の忙しさは一段落を終えた。

 実言は一月の終わりに北方の戦に出発することが決まったため、その準備に飛び回っており、礼は夜に少しだけ実言と会話をして同じ衾の中で寝る。迫る別れの日のことには触れないように、ひっそりと暮らした。

 その間、実言は礼の護衛のために耳丸を残していくと決めたことを耳丸に伝えた。

 実言と耳丸は乳兄弟で、実言は何かと耳丸を頼りにしていた。九鬼谷の戦にも、実言は耳丸を連れて行き一緒に戦った。戦から帰った耳丸は病身の母親を助けるために、一旦田舎に戻り、田畑を耕しながら生活していたのを、母親が亡くなったのを機に、実言が岩城家に連れてきたのだった。実言の指示で礼の外出時の付き添いなどをしていたが、北方の戦には当然実言とともに行くと思っていた耳丸は、礼とともに残ると聞いて、実言に対して声を荒げた。

「なぜ?なぜ、俺を連れて行かない!」

「今回は、それが最善だからだ」

「俺は、この戦で役に立たないと言われているようにしか思えない!」

「それは勝手な勘繰りだ。私はお前を信頼している。だから、今回は礼の傍に居て欲しいのだ」

「嫌だ!俺も戦に連れて行ってくれ!」

「これは、私の中でもう決めたことだから、どんなことがあっても覆らない」

「実言!」

「そんな大きな声を出さないでおくれ。寝ている者が起きるじゃないか」

 実言は耳丸の言うことを聞き入れるつもりはない、というように冷たくあしらった。

「俺も実言と一緒に戦に行き、共に戦いに勝利したいのだ。あの男の思うようにはさせない!俺がいれば、実言は死なない」

 耳丸は声を落として、実言に訴えた。

「ああ、私もお前がいてくれたら心強いだろうよ。しかし、もう一つの私の気がかりのために、お前にはここに残ってもらいたいのだ。私がいない間に礼になにかあったら、私は戦に集中できない。一番信頼の置ける、私の心をわかってくれるお前に残って礼を守ってもらいたい」

「礼を守れる者は他にもいるはずだ。戦場に俺がいた方がいいはずだ!」

「この話は先ほど言った通りだよ。私の気持ちは変わらない」

「実言!」

 低いが鋭い声で耳丸は承服できぬ気持ちを表した。

 すると妻戸の開く音がした。続いて。

「実言……耳丸がいるの?」

 礼の声だった。

「ああ、礼。私と耳丸で話していたところだ。いいところに来てくれた。こっちに来ておくれ」

 几帳の陰から礼が現れた。

「ごめんなさい。邪魔をするつもりはなかったの」

「いいや、お前に話しておきたいことがあるのだ。ここにお座り」

 礼は実言に言われるがまま実言の隣に座り、耳丸と向かい合う。

「私が戦に行っている間、耳丸は礼とともに束蕗原に行くように言っていたところだ。去様のところは女人が多く、男衆といっても老爺が多い。耳丸のような男がいた方がいいと思っていたのだ。この男はなんでもできる頼りになる男だから、私がいない間のことを任せられる。礼も、耳丸を頼っておくれ」

 実言はそう言って、目を細めて笑った。有無を言わせない笑いと厳しさのにじむ声音で、その場の誰にも口答えはさせない。

「耳丸。いいね」

 耳丸は礼の前では先ほどのような主張はせず、ぐっと思いを飲み込んで黙った。礼は今言われたことが、自分にとってどうなるのかわからず、きょとんとしている。

「これで、私の心配事はなくなった」

 本当に安堵した、というように息をついて、実言は笑った。

「礼、お前はもう寝台に上がっていなさい。私もすぐに行くから。お前が話したい事は後で聞くからね」

 礼は頷いて、立ち上がり部屋を出て行った。礼の足音が聞こえなくなって、実言は口を開いた。

「耳丸。私は誰よりもお前を信頼している。だから、私の一番大切なものを任せたい。礼を守って欲しいのだ。礼を私と思ってね」

 その時の実言の顔は、目を細めた笑い顔ではなく、苦しそうに耳丸に懇願するそれだった。

 耳丸はこれ以上の反対を唱えなかったため、承諾したことになった。

 耳丸を自室に返して、実言は礼の待つ部屋に向かった。

 礼は褥の上に体を横にしていたが、実言が妻戸を開けた音に、体を起こした。

「実言」

 実言は几帳の陰から姿を現した。

「遅い時間だ。お前の体は大丈夫かい」

 礼は頷いて、実言に話したかったことを話し始めた。

「碧様から、お祝いの品をいただいたわ」

「碧から」

「とても美しい生地を送ってくださいました。……碧様の今のお立場を考えると、申し訳なくて」

「そんなことはない。碧も自分の使命を受け入れているのだ。私から礼状を出しておくよ。あいつも礼と会えなくなって寂しく思っているだろうよ」

 実言は軽く言って、寝台に上がった。

「お前の体はどうなんだい?だいぶお腹が大きくなった。私も初めてのことで何もわからないが、礼の体が息災であればいいが」

「私は大丈夫。でも、私の知らせを聞いて、碧様はたいそうご自分の体を気にされているでしょう」

「碧は美しい娘だ。大王もそれは十分にわかっていらっしゃるはずだ。そう焦らずともその時は来るであろうよ」

 大王は美しい碧妃の館を頻繁に訪れるだろうと、実言は言った。礼は、それを真に望んだ。

 実言は自分が寝台の上で横になると、礼の袖を引いて、自分の胸の中に迎え入れた。礼を抱きしめて、私たちにはその喜びが碧より少し早く来ただけだと囁いて、目を閉じた。礼は実言の疲れを感じ取って何も言わずに同じように目を閉じた。実言の袍に焚き込めた香の匂いを嗅ぎながら眠りに落ちていくのだった。

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