この世界を救済するために僕は悪魔を召喚することにした

綿柾澄香

人類救済

 目の前に描かれた血の魔法陣は、人類救済のための切り札だ。僕は、この魔法陣をもってして、全人類を救ってみせる。


 この世界は腐敗しきっている。希望もなにもない。異常気象に人口爆発、それにともなう食糧難や内紛、戦争。そして貧困。友人を殺し、赤の他人を殺す。子が親を殺し、親が子を殺す。ただその日一日の食糧を確保するために切羽詰まって人を殺し、なんの理由もなくただ単に人を殺す。


 先進国でさえ、難民の流入や経済システム崩壊の危機に直面し、進歩の道筋を見失い、未来への進み方を忘れてしまっている。


 ああ、この世は地獄だ。


 もはや進むことも、戻ることもままならないこの行き詰まった世界で、これから生まれ来る子供たちへの祝福など望めない。


 この世界を僕は救いたい。この世界にこれから生まれ来る子供たちのために、より良くしたい。


 だから、僕は決意したのだ。


 ――悪魔の王、サタンをこの世に召喚しょうかんしよう、と。


 悪魔の中の悪魔、悪魔の王サタンがこの世に顕現けんげんすれば、この世界は本物の地獄と化すだろう。比喩ひゆではなく、現実に。


 そうなれば、人類は気付くことができるはずだ。


 本当に幸せとは何か、ということに。本物の地獄を目の当たりにすれば、今の自分たちがいかに無益なことを繰り返しているのかを知ることができるはずだ。そして、全人類はその歴史上はじめて、一致団結することができる。


 そうして人類がひとつになり、サタンによって地獄と化した世界を生き抜き、その苦難を乗り越えたのならば、そのときはきっと。


 きっと、新たな希望を得ることができる。これから生まれ来る子たちに胸を張って誇れる世界を見せることができるはずだ。


 もちろん、そのために世界は一度、地獄になるのだ。犠牲は出るだろう。道のりはきっと困難なはずだ。それでも、今のこの世界がずっと続いていくよりはずっといい。すべては、未来へと希望を繋ぐための絶望なのだから。今のこの世界がこのまま続いていくのならば、その先に希望なんて望めないのだから。


 これは、苦渋の決断だ。僕だって、良心が痛まないわけじゃない。それでも、選ばなくてはいけない決断だ。


 決意を固め、僕は魔法陣に手をかざす。そして、最後の呪文を唱える。


「さあ。おごり、ほっし、ねたみ、怒り、おぼれ、喰らい、惰眠だみんむさぼるヒトの罪を貴方に捧ぐ。すべては犠牲の上に――ああ、私は貴方のしもべです」


 呪文を唱え終えると同時に魔法陣は黒く輝く。

 すべては抜かりなく、間違いもない。悪魔は、ここに召喚される。


 輝きを放つ魔法陣から、その異形は姿を現す。その異様は、まさにサタンと呼ぶにふさわしい容姿だった。額からは左右非対称に七本の角を生やし、眼球は顔じゅうに付いていて、口からは数多の乱杭歯らんぐいばが不規則に並んでいるのが見える。四肢ししは見たこともない、ヒトともけものとも爬虫類はちゅうるいともつかないような、異質の皮に覆われ、心臓は露出し、鼓動が見える。


「……お前が私を呼んだのか?」


 低くうなるようなサタンの声に、思わず平伏へいふくしてしまう。


「はい、そうです」


 そう言った僕の声は、自分でも情けなくなるくらいに震えていた。


「は。私が恐ろしいか」


「い、いえ。そんなことは……」


 と僕が言い終える前に、サタンはその容貌ようぼうを変化させた。


 ガラス玉のように澄んだ青い瞳に、軽くウェーブのかかった金髪、陶器のような肌に、すらりと伸びた手足。その総身そうしんまとうのは、白のスーツ。


 その美しさに、息を飲む。悪魔が人をかどわかす、というのもこの容姿を見れば納得だ。

 いびつに笑って、サタンは言う。


「お前の望みはなんだ? 私を呼んだからには、それ相応の願いがあるのだろう?」


 と。その言葉に、僕はうなずく。


「はい、そうです……」


 これから始まる希望のための絶望を前に、胸の高まりを押さえられない。きっと、僕の唇は大きく歪んでいただろう。その興奮を吐き出すように、僕は言う。


「……この世界に、絶望を。この世界を地獄に変えてください!」


 それは、この世界を救済するための願いで。

 そして、サタンにとってうってつけの願いだろう。


 ――そう思っていたのに。


 僕のその願いに対するサタンの回答に、僕は耳を疑った。


「え、いや無理」


「……は?」


 もしかして僕の声がちゃんと聞こえなかったのかな? もう一度言ってみよう。


「いや、あの、この世界を地獄に……」


「いやだから無理だって」


 今度は若干食い気味に断られた。


 どういうことなのだろう。世界を地獄に変える、だなんて悪魔にふさわしい願いだと思うのに。なぜ彼がそれを断ったのか、確かめたくて僕は訊ねる。


「あの、それはいったい何故なんでしょうか? もしかして、僕一人の魂では足りない、とかですかね? なら、他にも人間を連れて来れば……」


「いや、そういう問題じゃないんだって」


「あ、この世界を地獄に、っていうのが少し漠然とし過ぎてましたかね? それじゃあ……」


「だーかーらぁ、そういう問題じゃねぇの」


 面倒くさそうな素振そぶりを隠そうともせずに、サタンは吐き捨てるように言う。


「いやあのさぁ、お前、この世界に地獄を……って、いやいやいや、この世界はもう地獄じゃん」


「あ……いや、だからこれ以上の地獄を……」


「は? マジで言ってんの? 引くわー。ホント人間ってこえーわー」


「……」


「あのさあ、つい最近地獄に堕ちてきたやつの言葉知ってる? 『え、マジでここ地獄なんすか? いや、めっちゃホワイトじゃないっすか』だぜ?」


「……」


「いや、さすがに地獄でも一日十五時間の労働とかないわー。次の日の労働の効率考えろよ。いや、二日三日くらいならまだ頑張れるかもしれないけど、それがずっと続くなんて、どう考えたって非効率的じゃん」


「……」


「気候だってさ、地球温暖化だっけ? アレのせいでめっちゃ暑いじゃん。いや、マジで灼熱地獄しゃくねつじごくのほうが避暑地ひしょちって感じだし」


「……」


「あと、お前らやたらと人間同士で殺したがり過ぎ。なんなの? 地獄に堕ちてきてまで他の人間殺そうとする奴を押さえるの大変なんだからな」


「……」


「しかも殺し方も残忍だし。アイアンメイデンとかファラリスの雄牛とかなによ、アレ。凌遅刑りょうちけいとかもうトリハダなんですけど。マジで引くわー。人間の残虐性引くわー」


「……」


「ってことで、この世界を地獄にっていうのがお前の願いなら、もう叶ってるから。なら俺に用はもうないでしょ? じゃあ、帰るな」


 と、まくしたてるようにして話し終えたサタンは魔法陣をくぐって、地獄へと帰っていってしまった。そのときにつぶやいた彼の「よっこいしょ」という声に、哀愁あいしゅうを感じずにはいられなかった。


 どうやら、僕はこの地獄でこれからも生きていかなくてはいけないらしい。

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この世界を救済するために僕は悪魔を召喚することにした 綿柾澄香 @watamasa

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