第49話 星鏡の天使の独白5

 救いようのない自分の一生を思い返した僕は、自分が絶命した場所から、ふいと顔を逸らし、コレットを抱きしめる力を強めた。


 天使となって、コレットに再会できたあの夜のことは今でも鮮明に覚えている。鏡越しにしか出会えなかった愛おしい人に、もう一度出会えたのだ。それだけで、僕の心はこの上なく幸せだった。


 それなのに、人の心というものは満ち足りることを知らないらしい。コレットの笑顔を見る度、彼女の温もりに触れる度、次第に彼女を手放しがたくなっていることに僕は気づけなかった。


 僕がコレットの幸せを祈っていたことに嘘はない。本当に、彼女が幸せになってくれれば、僕の存在などどうだってよかった。


 コレットが二度目の人生でもエリアスを選んだことについては、かなりの不満があったが、コレットの意思は揺らがなかった。僕がどれだけ警告しても、コレットはエリアスを愛することをやめなかったのだ。


 その強さが、僕には眩しかった。エリアスが幸せになれるのなら、最終的に自分がエリアスの隣に立っていなくてもいいのだと言い切ってしまえる、そのひたむきさが愛おしくもあり、もどかしかった。


 そのコレットの想いが、正しい形でエリアス伝わって、以前とは違う心地の良い関係で愛を深め合う二人を見て、僕は自分の願い事をとても誇らしく思った。それに嘘は無いけれど、心から祝福できるほど僕は強くなかったらしい。


 二人が幸せになるということは、天使としての自分に終止符が打たれるということだ。終わりを意識した途端に、酷く寂しいような、訳の分からない焦燥感に襲われるようになった。


 コレットと離れたくない、彼女が幸せになる姿をずっとずっと見守っていたい。その想いは、毒よりも激しく僕の身を焼いた。


 この想いを口にしたらお終いだと、心のどこかで気付いていたから、僕は必死に誤魔化し続けた。最後まで、彼女にとっての「天使」でいよう。その決意だけが、僕の理性を繋ぎとめる細い糸だったのに、こんなにもあっけなく断ち切れてしまうなんて。


 僕は、理性が破綻した証拠である目の前の光景を眺めながら、一人自嘲気味な笑みを零した。コレットは未だに小さな寝息を立てながら眠っていて、幾度となく撫でた彼女の灰色の髪をそっと指に絡める。


 ……おかしいよな、彼女の幸せを誰より願っていたのは、他でもない僕自身のはずなのに。


 結局、僕は弱かったのだろう。本当に彼女の幸せを心から願うのであれば、正体を明かさずに、ひっそりと姿を消すべきだったのだ。でも、コレットに引き留められたくて、あいつで一杯の彼女の心を揺さぶりたくて、僕は本当のことを話してしまった。


 多分、僕のために流されたコレットの透明な涙を見たあの瞬間、僕はもう後戻りできなくなったのだと思う。彼女ともっと一緒にいたいという自分勝手な願いを叶えるためだけに、僕はあっさりと、優しい「天使様」の仮面を脱ぎ捨ててしまった。僕の幸せのために、彼女を不幸にしよう、と何の躊躇いもなく決意してしまったのだ。


 ……コレットを攫って監禁するなんて、考えたことはあっても絶対に実行しないだけの理性が僕にはあると思っていたのにな。


 結局、あいつの兄であることを実感する結果になってしまった。血は争えないとはよく言ったものだ。もしも僕が生きていて、コレットを婚約者として迎えていたとして、あいつがコレットにしたことと同じことをしなかったかと言われると自信が無くなってくる。

 

 コレットは、僕ら兄弟と関わった時点で、幸せになどなれない定めだったのかもしれない。そう考えるとどうしようもなく彼女が憐れで、救いようが無い。


「……エリ、アス」


 不意に、吐息の合間にコレットは彼女の最愛の人の名を呟いた。その拍子にまた一粒、彼女の目尻から綺麗な涙が流れていく。


 あいつは、夢の中でまでコレットの心を独占できるのか。


「……羨ましいな」


 僕がコレットに向ける想いがどんなものなのかと問われると返答に困るが、コレットがエリアスの名を呼ぶのを気に食わないと思う辺り、そう綺麗な感情でもないことは確かだ。少なくとも、コレットが思っていたような「天使」のような慈愛の情でも、「セルジュお兄様」のような優しいだけの想いではない。


 ただ、愛しいのは確かだ。コレットが愛おしい、その存在そのものが奇跡のように思えてならない。


 まるでどこかの病んだ弟のようなことを考えているな、とふっと笑いながら、僕はコレットの頬にかかった髪をよけた。やはり、コレットは僕ら兄弟を病ませる天才だと思う。


 僕に愛されたばっかりに、こんな人気もない不気味な神殿に閉じ込められてしまうなんて。本当に憐れだ。可哀想だとしか言いようがない。

 

「……君は何一つ、悪いことなんてしてないのにね」


 陽だまりのようなコレットの頬を撫でながら、そっと笑いかける。コレットに「セルジュお兄様」と慕われていた立場からすれば、良い人は必ず最後には幸せになれると言ってあげたいのに、コレットは今、こんなにも不幸だ。それも、他でもない僕の手によって苦しめられている。


 そのことに甘い背徳感を覚えている時点で、僕は「天使」を名乗れるような存在ではなかった。いくら心優しいコレットが僕を庇おうと、それだけは確かだった。


「次は何をしようか……。どうすれば君はもっと不幸になってくれるのかなあ」

 

 眠るコレットを抱きしめながら、答えが返ってくるはずもない問いかけを繰り返す。中途半端なこの罪悪感も、そのうち薄れていくのだろう。


 目が覚めたら、コレットは足の腱を切った痛みで再び泣き叫ぶのだろうか。それを想像しただけで心の奥底が痛むが、僕はもう、君に優しくなんてできない。君の表情ならば、泣き顔でも怯えた眼差しでも何でもいい。ただ、傍にいたかった。


「……心を壊すのは、どちらが先だろうね。ねえ、ココ?」


 静かな寝息を立てるコレットをあやすように抱きしめて、僕はまた一粒涙を零すのだった。

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