一、海が聞こえない

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もう死んでいるけど、四捨五入して四十になるようなおばさんが海でたった一人酒盛りをする光景なんて、誰の得でもない。

 

いつも、一人で供えられている一升瓶の焼酎を、生前愛用していたお猪口で嗜むことが、死んで尚やり続けている日課ともいえるのだろう。

 

「つまんないなあ」

 

この場所で、生前飲んでいたことを思い出しながら波の音を酒の肴にしている。同じ境遇の人がいるかと酒飲み仲間を探した時期もあったけれど、海の仲間は結構手ごわい。

 

ネガティブオーラを全身にまとっている人もいれば、それこそ同じ幽霊なのに「あ、こいつやばいわ」って思ってしまうほど恐怖を覚える人もいた。

 

そんな人たちと酒を飲む機会もなく、こうして一人で何かを待っている。自分が何を待っているかもわかんないし、生前深く思い入れていたこともなかったような気がする。

 

「なんで成仏できないんだろう、毎日退屈なんですけど」

 

幽霊が空を見上げて神頼みするが、これも異様な光景だなと痛感する。

 

そんなことを考えながら酒を飲み続けてぼーっと座っていると、砂浜から「きゃはは」という生きた人間の声がした。こんな真夜中に何してんだろう。危ないから早く帰れよと思ってしまう私は心がすさんでいるのか深夜のライフセーバーなのかわからない立ち位置である。

 

その声が少しずつ近づいてくる。声の主は男女のカップルだった。

 


最近・・・というか時々だが、こうして深夜にカップルが海を見に来る。二人で深夜の海とやらを味わい、ムードを作ろうとしているのだろうか。もちろん海に来るのはカップルだけではなく、老若男女様々で、特に若い男女が多い。

 

大学生?ぐらいだろうか。唐突に海に「ばかやろー」と叫んだりする阿呆もいれば、急に飛び込んでどんちゃん騒ぎをするものもいる。突然海を見て泣き出すものもいれば、突然”いたす”ものもいるわけだ。

 

こうした若者が命を落とさないよう、私は“たまに”手助けをする。

 

海に飛びこんで溺れかけそうになった人にはわざと足者を引っ張って岸に誘導してみたり、海で死のうと飛び込んでいく人には後ろ髪を引っ張ったり、海岸線で飛び込もうとする人には後ろから「まだはええよ!!」と叫び、聞こえるように声を出してみる。

 

結果、「え?!」「誰かしゃべった?!」「おばけ?!」なんて言って顔を蒼白にしてその場を去る者たち。まあ死んだら私の酒飲み仲間が増えるだけだから、私にとっては悪い話ではないのだが、どうしても助けたいと思ってしまう。

 

そんな私の“目の前”に、カップルは座った。私はいつも海岸の堤防沿いに座る。まさに距離感としては三十センチほどしか空間がない私の目の前に、カップルは堤防に足をぶらつかせて座る。

 

私の視界の景観が、“異様”である。

 

海も見えないし、見たくもないカップルがわざわざ私の前に座るのだ。嫌がらせなのか?当てつけか?そんな一人でいることが不満か?

 

なんて思ってみても、どうせ見えていないんだろうとお酒を飲みなおす。

 


「ねえ、どうして海ってこんな広いのかな」

 


焼酎を吹いた。危ない。火をつけていたら今すぐにでも目の前の二人を燃やしてしまってた。

 

「そうだな、海って広いよな」

「・・・うん」

 

“うん”???

 

「なんか・・・海って人の心を現わしているよね」

「そうだね、まさに俺らの“今”ってかんじ」

「・・・うん」

 

“うん”???


「波、荒れてるね、まさに、“俺ら”って感じ」

「・・・う」

 

この理解不能な会話が、後に二、三時間ほど私の目の前で繰り広げられることとなることは、その時の私は知る由もない。

 

全く理解ができない会話。抽象的なのか、哲学的に物事を語っているのか。それとも詩人か?酒に逃げたくても幽霊は酔えないという苦しさを、二人は知らないまま私に疑念だけ残して去るのだろう。

 

だが、二人の会話を紐解いてみようとした結果、こうしてダラダラと話している内容をただ聞き続ける結果となってしまう。

 

酒が、進まない。

 

この拷問を受け続け、次第にわかってくることが会話の終盤に現れた。

 

「恋って、いつ変わるかわかんないんだ。出会いって、その時が大事だと思ってる。順番が違ったとしても、それは俺にとって“その時”だったんだわ」

「そうだね、私は運命の人じゃないんだよね」

「そう、俺の気持ちがこの波のように荒れてる。お前には悪いと思ってるけど、俺たちもう、終わりにしよう」


という、回りくどい会話からカップルの別れ話であることがおばさんでもわかった。あーなんとなく理解できたと安心して酒を飲む私だったが、お猪口を一気に飲み干したときにある疑問が浮かんだ。

 

(引用:“「恋って、いつ変わるかわかんないんだ。出会いって、その時が大事だと思ってる。順番が違ったとしても、それは俺にとって“その時”だったんだわ」“)

 

つまり、この男は別れ話をした女性と同時進行して浮気をしていたのにもかかわらず、浮気が彼女にばれてしまったもしくは浮気をしていたことを暴露したかで別れ話に持ち込んだということでよいのだろうか。さらに別れ話も“上から目線で”切り出したのだろうか。

 

それを、彼女はこう返す。

 

(引用:「そうだね、私は運命の人じゃないんだよね」)

 

この返しはどうだろうか。あなた浮気されていたのだろう。普通は怒っても良いところじゃないのだろうか。なのに、どうして“運命”で手打ちにしているのだろうか。

 

お猪口の酒を入れるよりも、腕を組んで会話の内容を整理してみる。

 

・・・理解できない。

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