霧の村で熊を狩れ①

  □ □ □






 舗装済みの山道とは言っても、実際は半分砂利道のような足場だ。そんな場所を車はガタガタ揺れながら進んで行く。

 最初はおしゃべりに興じていたイコは、途中舌を噛んでからは黙っている。ベイが水筒に果敢にも挑戦したが、結果は……推して知るべし。奴の名誉のために言及せずにおく。


 五合目付近に差し掛かった頃だろうか、深い霧が視界を支配し始めたおかげで、イコは元々落としていた速度をさらに緩めた。揺れは減ったが今にも木にぶつかるんじゃなかろうかと気が気でない。


「休憩にしませんかね。ちょっと疲れたわ」


 イコが車を停めて伸びをした。力を抜いたところでチョコ菓子を差し出すと、美味そうに頬張った。ベイは水筒の中身を一気に空けた。相当喉が渇いていたらしい、喉がいい音を立てている。


「分かれ道はまだか?」

「迷いようがないよ、一本道だし。たぶん今この辺じゃね?」

「七合目あたりだと思うぞ、分かれ道は」


 ベイが後ろから太い腕を突き出して地図の標高点を指した。色の濃い目が「これくらい読め」と訴えている。……地図読むの下手ですいませんね。


「それにしても濃いなあ。今日登るのはやめとけばよかったな、昨日ちょっと雨降ったろ」

「いや、あまり長居はしたくねえ。ゆっくりでも地道に進んで行くしかねえよ」

「ずいぶん慎重なんだな、ベイ」

「お前らが呑気すぎんだよ。ちったァ危機感ってものを持ちやがれ、前後に護衛班がいるっつっても実質俺ひとりなんだぞ」



 もちろん危機感はある。だが解放感の方が勝っているというのが正直な感想だ。ここのところ言われるままに行動していたから、自由が増えて心にゆとりができたのだろう。──嫌な考え事があるにせよ、だ。


 小休憩のついで、車を降りて辺りを散策することにした。深呼吸すると水気を多分に含んだ空気が森の匂いをまとって肺を満たす。

 もう七月も半ばを過ぎ、暦の上では既に夏だ。“デュカス”の町は暑くてたまらなかったが、山に登ってからはやや涼しくなってきた。特に朝晩は寒いくらいで、昼間に熱された空気が小さな水滴となって霧になる。この山はそういう山だ。

 散策のついで、食べられる野草や山菜、薬草になる植物を見つけて摘み取る。町に寄って食糧調達も必要だが、先が見えないこの旅ではなるべく節約していかねばすぐに底をつくだろう。これまでは俺一人だったから何とかやって来られたが、今は三人分の命がかかっている。


「村にはきっと宿がないだろうから、人の家に泊めてもらうことになると思う。そういう時は金を払うよりも、その家の仕事を手伝う方が喜ばれるな。俺が孤児院で料理を仕込まれたのはそういう狙いもあったんだ、世話になる人に美味い料理を振舞えるようにって」

「なるほどね。じゃあわたしは機械修繕とかかな、『壊れたラジオ・通信機から車の修理まで』……なんつって」


 理工科学校出身はさすが、一芸も特殊だ。イコの場合常に作業つなぎを着ているから説得力も増す。

 ベイは銃に関することだろうか。でも平和な地域で一般家庭に銃があることは稀だし、あったとしても猟銃の類だろう。そもそもこの傭兵は頼まれた仕事が薪運びだろうが鍋洗いだろうがベッドメイクだろうが、文句ひとつ言わずにやってしまうから、何だかいろんな意味で心配になってくる。

 そう思いながら目を上げると、ベイと視線がかち合った。


「なんだ」

「いや別に。お前何でもやっちゃうけどさ、嫌な仕事とかあるのかなって」

「あるさそりゃ。トリガーハッピー野郎との撃ち合いは性に合わねえ。なあ、コイツは食えるヤツだったよな?」

「……まあ、そうだけど。その隣は食ったら三日三晩腹下すぜ」



 ……ズレている。の話ではなかったんだけどなあ。






 徐行運転で休憩を挟みながら山道を進み、村に着いたのは翌日の昼過ぎになってからだった。思った以上に時間がかかったが、山歩きが出来たから俺としてはスッキリ出来た。イコ曰く「見たことないぐらいテンション高くて生き生きしてた」らしい。はしゃいだ覚えはないのだが、そう見えてしまったのだろうか。

 予想通り、村には旅人を泊める宿などはなかった。そもそも外から人が訪れること自体少ないという。俺たちは一番家の大きい村長宅に泊めてもらうことになった。平均年齢が高めの村において、長もやはり高齢で、顎に白いひげが蓄えられているが、頭髪は抜けきってしまって寒々しい。口には絶対に出せないけど。


「悪いね。若い人が喜ぶようなモンをだせなくて」

「無理言って泊めてもらうのは俺たちの方です。屋根があるだけでありがたいよ」

「そうですよ。舌がじじいのナダは何でも食べるから、気にしなくていいんですよ」


 テーブルの下でイコの靴を踏んづけた。誰がじじいだ。


「いやはや、しかし最近は客人が多いですなあ。それも褐色の客人は二度目だ」

「二度目? 褐色って、ベイみたいな人のこと?」


 ベイは肌の色を言及されても無反応でスープを啜っている。イコの言葉に村長は頷いた。


「ここらは電波が少なくてラジオが使い物にならんのでな。近隣の情勢もよく知らん。じゃが近頃はガラクトの者たちもあちらこちらに散らばるようになっとるらしい。麓の町が無法地帯になったのもその影響じゃろうて。……兄さんのことを悪く言っとるわけじゃないぞぇ」

「分かってるよ。だがあらかたは事実だ、昔はエルノイ州にガラクト人はほとんどいなかったはずだが、麓の町デュカスにゃかなりガラクト人が見えた」


 “ガラクト”……そういえば孤児院で桐生もその単語を口にしていた。

 ベイを見やると、奴は肩を竦めた。


「ガラクトっつーのは大陸の真ん中辺りの地方のことだ。“プトリコ”、“リ=ヤラカ”、そして“ガヤラザ”の三州をまとめて“ガラクト地方”なんて言ったりする」

「そこがベイの故郷なのか」

「……まあな」


 言葉を濁した。あまり触れたくない話題なのだろうか。桐生やイコの反応やこれまでの会話を省みるに、何やら難しい土地なのかもしれない。


「ガラクトの兄さんは強そうだし、心配はいらないようじゃが。用心に越したことはないな。気をつけなさいな」

「そういうことなら村長、念のため山向こうの町を偵察しておきたい。二日程度滞在を伸ばしてもいいか」

「構わんよ。若い人に会うのはわしらも久方ぶりなのでな、村人たちも話を聞きたかろう。二日と言わず数日いても誰も文句は言うまいよ」


 ベイの申し出にも村長は快諾した。人のいいおじいさんだ。山奥の村は得てして閉鎖的になりがちだが、ここはむしろ若手不足で苦労しているのだろう。


 それから、俺が感じる居心地の良さの正体が分かった気がした。

 話し方が俺の故郷のそれに近い。イコが「じじい口調」というのも、悔しいが何だか分かる気がした。とても悔しいが。

 そのせいか、いつの間にか俺も素の口調が出やすくなってしまっている。そんな俺をイコがニヤニヤ笑いながら見てくる、俺は一体どうしたらいいんだ……。






  ◇ ◇ ◇






 村長と滞在期間延長の話がついた翌日、俺は早速周辺の偵察に出かけた。

 偵察対象には当然、この村も含まれる。村長が嘘をついているとは考えにくいが、長生きの老人を舐めてかかって良いことはない。まずは護衛対象ナダとイコが身を置くこの村の偵察から始めることにした。


(まあ、杞憂だったな。平和だ)


 つくづく年寄りばかりの村だ。若者は麓の街へ出稼ぎに行っているか、さもなければ村を出ていったのだろう。朝は早くから活動を始め、家畜の世話をしたり畑をいじったりする。日が沈めばすぐに家に入り、早くに寝てしまう。


(……誰かさんと同じじゃねえか)


 ナダは日の出前に起き、日の入りと共に眠る。健全すぎて一周回って逆に不健康な気すら起きてくる。若いうちからじじいみたいな生活で本当に大丈夫か、アイツ。






 村の方は心配なさそうだ。明くる日、ナダがしきりに「治安が悪い」と忠告する町の様子を見に行った。

 治安以前に、まず衛生状態がよくない。水の多い土地で上下水道が整備されていないとこうも荒れるのかと心底思い知った。こういう場所には水も人も悪いものが倦んで溜まる。事実、空気は淀んでそこら中から異臭がする。


 ここには立ち寄るべきではない。ナダはともかく、イコに悪影響が出そうだ。






 更にその東の町は、少し遠回りにはなるが現時点での最有力候補だ。

 村の年寄り連中も悪い噂は聞かないというし、実際に触れた雰囲気からもきな臭いものは感じない。小さな商店街と、町を機能させる最低限の施設と、中流階級らしき住宅街。それらに紛れるようにして旅人を泊める宿もある。

 やはりここ一択だろう。そう決めて村へ戻ろうときびすを返した時、向こうの通りの通行人に目が止まった。



 ──心臓に冷や水を浴びせられた感覚がした。



 咄嗟に路地に身を隠して息を殺した。そっと様子を窺うが、どうやら気づかれてはいないようだ。


(村長の言ってた“褐色の肌の客人”……まさかあいつじゃねえだろうな)


 俺と同じ浅黒い肌の、筋肉質の男。一瞬しか目に留まらなかったが、右頬に走る十字傷は見間違えようもない。

 幸い通行人は多い。尾行の気配を散らすのにちょうどいい喧騒だ。他に仲間がいないことを確認して後を追うと、男はやがて人気のない裏通りへと入っていった。

 そして太陽の差し込まない暗がりで足を止めて誰かと話し始めた。建物の角にピッタリ身を着けて耳をそばだてると、耳障りなノイズの入った低い話し声が聞こえた。


「それで? 少年の情報は入ったのかよ」

「いンやァ、全然。やっこさんとうとう連絡寄越さなくなっちまってよ。ヘマして身内に気付かれたんじゃねえの? 元々組織を裏切ってこっちにつくような奴だ、端から信用しちゃいねえよ。けど少年が近くにいることは間違いねえ。尻尾掴むのも時間の問題さ」

「どうだか。お前は昔から仕事が粗いからよ。せいぜい期待してるぜ、ジハルド」


(今の会話で十分だ)


 あまり長居すると今度はこちらが気づかれてしまう。引き時を逃して逆に拷問に遭った密偵の例は数知れない。気配を殺したまま、ひっそりとその場を立ち去った。











 見つけた。

 実に十年かかった。

 血と砂の混じった懐かしい味に、胸を滾らせながら──。






  ◇ ◇ ◇

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