入る時はノックしやがれ④

  □ □ □






 一番体力のある桐生に担ぎ運ばれ、俺はふかふかのベッドに寝かされた。

「絶対起き上がらせねえ」という圧が四人分、俺に掛かっている。イコと、パドフさんと、桐生は一人で二人前。さっきイコが何時いつぞやのように馬乗りになろうとしてきたが、壮年男性二人桐生とパドフさんに止められた。当たり前だアホ。


「ん。異常なし。血ィ吐いた割に元気だわ。丈夫なんだか虚弱なんだか」


 俺のTシャツを雑に捲り、バイタルチェックをしていたチェンは首を斜めに傾げながら頷いた。別に妙なことがあるのではなく、「大丈夫」な時のチェンの癖だ。

 桐生が凶悪な顔を曇らせて、俺の様子を窺ってきた。


「顔色は酷えけどな。調子どうだ、ナダ」

「悪くはねえよ。食えば治る」

じゃねえ。……能力関連の方だよ、俺が言ってんのは」


 片目を薄めると、ベッドを囲む四人──医者と神父とカウンセラーと運転手の間で、しばし意味ありげな視線が飛び交った。また俺だけ置いてけぼり。デジャヴだ。

 目線だけでやり取りがなされた後、やがてパドフさんにバトンが渡されたようだった。いつも理路整然としているこの人が言葉を迷わせるのを、俺は初めて見た。


「……キースにいた頃、能力が暴発するというようなことはなかったか? ナダ自身でなくとも、何かのきっかけでそうなった人を見たとか」



  暴発。


  暴走。



 すうっと、ただでさえ少ない血の気が引いていった。

 どうして早く気がつかなかった……いや、心のどこかでは思っていたに違いない。認めたくなくて、俺は目を背けていたのだ。また。

 俺が顔色を変えたのを見て、パドフさんは悲しそうに目を細めて水の入ったコップを渡してくれた。一息でそれを飲み干し、停止しかけた思考を無理やり働かせる。






 ──俺の故郷人、キースの人々は寿命が短い。

 徐々に永らえているとは言っても、やはり普通こちらの人よりはずっと短い。俺の二つ前の世代、祖父母の代では四〇代を迎えるかどうかというくらいで既に限界、最長だったという。


 では“寿命”が近くなるとどうなるか。

 肉体が能力の元ベルゲニウムを留めるに足らなくなり、制御できなくなった力が意思を離れて暴れ出す。抑え込もうとしてもいうことを利かない。

 そうなってしまえば、出来ることは少ない。幾人かで能力を相殺しながら、落ち着くまで誤魔化す。しかしこれも一時的な処置に過ぎない。次第に暴走の頻度は増えていき、やがて肉体の耐久力が尽きた時──暴走した本人は絶命する。

 俺たち“キース”は、みんなそうして死んでいく。






 俺がそう締め括ると、誰も何も言葉を発しなかった。

 こちらに出るまでは、俺はこれが普通だと思っていた。事故や病気で命を落とさない限り、人間の終わり方とはこういうものだと思っていた。

 暴走というのは最期に命を燃やす瞬間で、人は皆燃え尽きて死んでいくのだと。


 だが違った。これは俺たちキースだからこその死に方で、普通の人間は“老衰”ができる。安らかな死を迎える可能性が、少なからず誰にもある。


「じゃあ……ナダはもう寿命ってこと?」


 イコが静かにそう言った。唇が真っ白だった。お前までそんな色になることはないのに、と言いたかったが声が出ない。

 そんな俺の代わりに、チェンが言葉を発した。眼球がカクカクと動いている。


「その可能性も無きにしも、だ。でもおれの考えはちょっと違う。“エステトン”の存在だ」


 俺とイコが揃って首を傾げると、チェンは早口で捲し立てた。


電波物質エステトンてな、俺が調べた限りベルゲニウムと反発するってことンなってんのよね。だからナダがエステトン仕様の機材を使おうとする、“手を触れる”と、その機材はシステムの根っこからイかれて使用不能になっちまう。最近そんなことはなかったか?」

「あーあったね。カーナビ壊れた」

「GPSだな。あれは位置情報特定に思いっきしエステトンを利用してる」

「え、俺触ってないのに?」

「触ってなくても、“居る”だけで影響与えんの。それはベルゲニウム保有体であるナダももちろんそうだけど、逆も然り。エステトン自体もお前に影響を及ぼす」


 淀みなくしゃべり続けるチェンにだんだんついて行けなくなるが、チェンはお構いなしだ。何とか俺やイコが口を挟んでも、その勢いは緩まるどころか加速していく。


「ベルゲニウムってのは実はそこら中にある。自然界のあらゆる現象を調節し、起こし、抑え、流れる。少量でもとんでもねえ影響力を持ってんだ。だから普通はベルゲニウムがエステトンに負けるこたァねえ。けど、たとえば高エステトン環境にナダが放り込まれたり、ずっとエステトンを浴び続けたりするとどうなるかってと……」

「待って、“浴びる”って、エステトンて光か何かなのか?」


 がんばって聞いてるんですよ俺も。なんせ俺自身のことだからな。

 チェンの眼球がキュキュッと俺を見つけて照準を当てた。動きがもう気持ち悪い。


「“電波性”って名前ついてるだろ。目には見えねえけどそこらを漂ってる。まあ半分人工物みてえなもんだからさ、自然界のエステトンは少量かゼロに等しい。ベルゲニウムの方がまだ多いけど観測が難しいし、結構な数の学者の間で“虚数i”的な位置づけにすらなってる。『便宜上あると仮定して』ってなカンジで。分かるだろ?」


 分かりません。キョスーアイって誰ですか先生。どうして分かっているていで話を進めるのだ、この医者は。


「話逸れたから戻すな。ベルゲニウムを宿すナダがエステトンを浴び続けると、だ。それだけで体に──体ってのは“ベルゲニウム保有体”って意味の体ね、その体に重負荷がかかる状態になるんでは? ってのがおれの予想。検証したわけじゃねえけど」

「チェン……」

「だからふとしたことで力のストッパーが外れやすくなってたり、暴走しやすかったり……意識を失ったりだとか。今回の吐血もそうなんじゃねえかな。ナダ、お前さ、力を抑えようとしてないか? 自覚なくても無意識レベルで。それで余計肉体に反動が」

「チェン。おいチェン、ストップ。ナダがキャパオーバーだ」


 バリトンボイスが慌ててブレーキを掛けた時には、俺は既に思考停止させて天井のシミの数を数えていたのだった。






  + + +






 背の高い黒服の男が、孤児院棟の廊下を進む。この施設の院長、桐生である。

 併設の教会は天井や扉が高い造りになっているが、この孤児院棟は一般的な建物のそれであるため、彼は時折頭上に意識を向ける必要がある。就任してから長いとはいえ、やはりぶつけるものはぶつける。


 チェンの話に疲れてしまったナダはそのまま休ませた。吐血し体に異変を抱える状態で、頭脳が暴走気味のチェンの持論展開を一身に受けるのは、あまり健康的とは言えない。チェンは医者としての腕こそ優秀だが、重大な人間味の欠損がある。

 そのため残りの検証論議はパドフに任せて、桐生自身は自室へ──院長室へ向かっているところだった。

 途中、寮母・兼料理長のメリアとすれ違い、客人があることを知らせた。ナダの体調が悪いと聞くと心配に顔を曇らせたが、その友人と護衛の食事も用意しますと快諾したのだった。


 部屋のドアをくぐり入り、中央の大きなデスクではなく、その横に誂えられている作業台についた。元は応接用の洒落たテーブルと椅子だったそれは、桐生の手でが加えられて久しく、質のいい材質の上に乱雑に部品が散らばっている。台の横には、段ボール箱が三つほど、スクラップボックスとなって並んでいる。

 椅子に長身を落ち着けた桐生は、僧衣のポケットから(もちろん桐生が改造して縫い付けたものである)通信機を取り出し、部品を避けて台に置いた。ナダの二つ折り式の通信機のメンテナンスを行うのだ。

 机上と箱から適当な部品を漁り出し、工具を使って通信機を分解していく。夕日が射し込む部屋に、ただその無機質な音だけが響いていく……。


「たァーのもうー!」

「うおぁっ! なん、熱ッあづァッ!?」


 と突然ドアが勢いよく開け放たれ、驚いた拍子にはんだごてが桐生の手を焼いた。

 ふうふうと涙目で火傷を冷やしながら、来訪者を睨む。客人のイコだ。


「入る時はノックしなさい!」

「ごめん。ねえ桐生ってあの“桐生印”の人?」

「藪から棒に……まあそうだ、よく分かったな」

「そりゃもう。有名だよ、最近自動車の部品も出したでしょ」


 いかつい肩を竦めてみせる。その通りではあるが、その界隈に少し名が広まっているというだけで、誰でも知る名でもない。


「ちっこいパーツだけだよ。電気回路。なんだって詳しいんだ、お前さんみてえなガキが」

「ん」


 イコは腰に巻き付けているつなぎの袖を解き、皺を伸ばして胸元のロゴを見せてきた。セラン州の理工科学校の名前が、そこにはあった。


「自動車専攻なの、わたし」

「なるほどな。学校はどうした、そういや。ナダについて回って平気か?」

「まーね。飛び級してもうすぐ修了。卒業制作もあらかた終わってるし、叔母ちゃんが休学の手続きも取ってくれる手はずだよ。ていうかわたしも狙われてるって話でさ、ガッコ行ってる場合じゃなかったんだよね」


 サラリと情報量の多いことを言ってのけ、イコは桐生の向かい側の椅子に座った。クッション張りの豪華なそれを彼女はお気に召したようで、満足げに足を組んでいるのだが、様になっているのはどういうわけだと桐生は苦笑いした。


「いやあそっかそっか。ナダの通信機も桐生印だったとはなあ」

「さっきチェンが説明してたから分かると思うが、あいつエステトンと相性悪いだろ。流通してる通信機も最近はエステトン製のが多いからな、俺がこさえてやったのよ。通信機、PC、電気回路のあるものは大体網羅してる」

「すげえ」

「だろ。もっと褒めろ」


 ケラケラおかしそうに笑うイコを視界に残しつつ、桐生がメンテナンスの手を再び動かし始める。機械の状態から見ても、ナダが大事に通信機を使っていることが見て取れた。いや大事にというより使う機会が大して多くないのだろう、渡してから三年以上経つが摩耗も劣化も少ない、いい状態を保っていた。


「神職が副業とかしていいの? 怒られない?」

「さあな。収入はほとんどウチに寄付って形で足してるし、残りは次なる開発費に回してる。俺の手元にゃ一銭も残らねえよ。天の父に褒められたっていいぐらいだぜ」

「煙草は?」

「痛いトコ突くなよー。“次なる開発費”って言ったろ。開発に必要な経費、つまり煙草含めだ」

「あー悪いんだー」

「いいだろちょっとぐらい。パドフはキツく言ってくるがな、楽しみが一ミリもねえのはしんどいぜ」


 教皇庁から毎年降りてくる予算は明らかに足りない。僻地の孤児院だからだろう。

 だから得意の機械いじりで副業を始めたら、意図せずして業界で有名になってしまった。しかも収入が増えたことで予算がもっと減った。やりくりが厳しくなって、ついにはパドフが菓子作りのレシピを出版したのだが、更に減らされただけであった。

 さすがに文句を言ったが、改善はされたものの大してプラスにはならなかった。おかげで「教皇庁は当てにならん」という見解が、ワイユ孤児院経営陣での共通意識になってしまった。

 くそ教皇庁め、神の鉄鎚に裁かれろ──と手紙を送りつけないだけまだ理性的と、桐生は自負している。


 軽口を交わす間も作業は進む。手を止めないまま、十五歳少女に呼び掛けた。


「……なあ。お前さん、このままウチに居たらどうだ」


 開け放した窓から、学校から帰ってきた子供らがアップルパイに歓喜する声が、風と共に入ってくる。穏やかな日常の、ささやかな幸せを噛みしめるひと時だ。


 根深く傷を負った子供たち、親の愛情をまともに受け取れなかった子供たち──この孤児院にやってくる者たちを受け止めて、に化けさせてやる。それがこの施設、そして桐生たちの役目だ。この施設で、どうにか一人も溢さずに子供たちを守り育てる役目があるのだ。


 その対象はナダ然り、イコ然り、大人であるベイもまた然り。

 だから、まだ十五歳の少女が若い男二人と旅を続けることを、青少年育成の端切れを担う者として看過すべきことではなかった。不安定なまま流れていく北大陸社会において、目にした現状は出来る限り是正しなくてはならない。


「ナダはともかくな。イコは本来ほっつき歩いていい年頃じゃねえ。しかも男二人と終わりの見えねえ旅ときた。……大人としてはあまり見過ごせねえ」


 人を信用することに欠けていたナダを、あそこまで強くしたのはイコだ。それは桐生も認めるところである。だがこの子も脆い。所詮は子供なのだ。危うさが透けて見えるこの少女を、果たして放っておいていいものか……。


 言葉には出さなかった。しかし大人の迷いというのは、時として必要以上に子供に伝わってしまう。

 す、とイコから笑みが消えた。ナダの前でずっと貼り付けていた仮面を──いや、仮面ではないのだろう。ナダに見せている顔こそが本来のイコで、今見せているくらい顔は何らかの傷で出来た“イコ”なのだろうと桐生は思った。


「聞いてくれる、桐生先生。ナダには絶対知られたくないわたしの話」

「おう。もちろん」

「……時間かかるかも」

「かけりゃアいいのさ。話を聞くのは俺の専門分野だ。ナダなんてな、話し始めるのに三か月、話し終わるまでに何十日とかかったんだぜ」

「はは……容量悪いよね、あいつ。でも」


 着ているつなぎのズボンをくしゃりと握りしめて、薄っすらと唇に微笑みを乗せた。


「なんでかなあ……一番嫌いになりたい奴なのに、一番好きでいたい奴なんだよ、ナダって」






 それから夕飯の時間まで、院長室のドアが開くことはなかった。






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