入る時はノックしやがれ②

  □ □ □






「悪かったよ。もうしない。反省してます」


 場所は変わって再びチェンの部屋。仁王立ちの桐生、眼鏡を鋭く光らせるパドフさん、そして臨戦態勢の俺に囲まれて、元気をなくした白衣を纏うチェンが土下座している。

 十八年の人生でもトップクラスにシュール極まりない光景だ。


「当たり前だボケ。いちいちお前に手ェ上げるこっちの身にもなってみろ」

「ホントすいません。もうしません」

「三年前もそれ言ってたぞ」


 俺が思わず一言漏らすと、チェンの俯き顔が苦く歪んだ。


「テンション上がっちゃったんだよ。悪かったと思ってる、歯止めがきかなかった」


 たぶんこのチェンという男、自制心ブレーキが壊れているのだと思う。

 暴走したらしっぱなし、手荒な手段なくして彼を止められるものは何もない。よくこんな奴に医者が務まるな、とは思うが一応は優秀らしい。一応は。


(それにしても……)


 こっそり桐生を見上げる。気の良いおっさんだが見た目はマフィアの元締め、こうして踏ん張って立たれると凄みが累乗される。大の男でも逃げ出したくなりそうな剣幕である。俺でも逃げる、逃げないチェンは凄い。慣れているだけかもしれないが。


「それで……なんでナダがここにいるんだ? 会えて嬉しいけど、随分急だよな」

「うん」


 本当は嫌だがつべこべ言っている暇はない。巻き込まないためにも、孤児院に滞在する時間を少しでも減らしたいところだ。


 一つ息を吸ってから、自分の身に起きた異変についてかいつまんで説明した。体の中で何かがうねるような嫌な感覚があったこと。盗賊の襲撃で気絶した後はスッキリしたこと……。


「最初は単に寝不足が祟ったのかとも思ったけど。というか、今もそう思う。でもあの感覚は寝不足とは関係ない気がするんだ」

「……腹、か」


 狂気がすっかり消えたチェンは、今はその目に理知的な光を宿している。眼球が小刻みに上へ下へ左右へと動き、取っ掛かりを探している。


「東方医学じゃさ、体を巡る力の源は“丹田たんでん”、へそのちょっと下辺りだと言われてんのよね。キースの能力──ベルゲニウムのそれに関係があるかはハッキリ言えないけど」


 ぶつぶつと誰に言うでもなく呟いていたが、ふとチェンが顔を上げて俺を見た。


「おれ、ずっと考えてんだけどさあ、能力使う時って絶対だろ? 目から火ィ出したり、口から水吐いたりしねえよな。歩く度に地割れが起こるわけでも、足元から植物がワーッと生えたり枯れたりするんでもねえ。丹田がベルゲニウムを操る鍵なんじゃねえかって思うんだけど、どう?」


 どう、と言われても。俺は頭がよくないので、そういう質問は困る。


「……俺まだ小さかったからさ。そういう話ってあんまりされてないんだよな。ええと……」


 思い切り顔をしかめながら、キースにいた頃に聞いた話の記憶をまさぐる。何か言われなかったか。直接的ではなくとも、何か。

 つ、と脳の隅を何かがよぎった。すかさずそれを捕まえて拡げてみる。本当に小さい頃の、拓けた場所で水を使う練習をしている様子だ。


「……ああそうだ、力を制御する練習の時にこんなことを言われたよ。『おなかにある力をグッと上まで持って行く』」


 下腹を円を描くように撫でた後、心臓の辺りをトントンと親指で叩いた。

 チェンの眼球運動が忙しくなった。いや気持ち悪いな。


「……ベルゲニウムは体を巡る? 腹から生み出されて、手を介す? ……神経伝達を利用するのか、いやしかしあれも物質の一つだ、無限に生み出されるなんてことが」

「チェーンー。考察は後。とにかくナダは急がにゃならん」


 パァン! と桐生が手を打ち、チェンがビクッと肩を震わせて我に返った。本当に医者が務まっているのが奇跡だ。

 チェンはひとしきりぶつぶつ言った後、頷いて俺に向き直った。


「分からん。時間くれ」


 だから時間ねえって言ってるのに……。






  ◇ ◇ ◇






 テーブル一杯に銃器を並べ、それぞれ分解してメンテナンスに取り掛かる。

 ここしばらくは野外や車中でしか時間が取れなかったから、細かい手入れをするのは随分久しぶりだ。「子供らが帰ってくるから」と孤児院長の桐生にこの部屋に押し込まれるも、すぐに支度を整え終わってしまったのだが、メンテナンスならば手持ち無沙汰を紛らわすのにもちょうどいい。


「ベイー。入るよ」


 ノックもせずに部屋の戸が開き、砂色の髪の運転手が入ってきた。あまり少女には見えない上、運転手にしては若い。その証拠にドライブは荒い。


「おっ。手入れか」

「触んじゃねえ」

「当たり前だよ。わたしだって素人に車いじられたくないもん」


 口ぶりからカスタム車なのだと初めて知る。野営の準備の合間にいちいち手入れをするのは荒れ地ばかり走るせいだろうと思っていたが、それだけでもなかったのか。


 静かだ。

 先ほどまで廊下で鬼ごっこが繰り広げられていたようだが、俺は首を突っ込まなかった。たとえ悲鳴が護衛対象の一人ナダのものだったにせよだ。事態も収束したようだし、俺の手は要らなかったということだ。


 イコが木の椅子に逆向きに跨って俺の手元を眺めている。

 意識がふと緩んだ時にそれが視界に入って、意図せず──ずっと心で引っ掛かっていたことが、口をついて出た。


「お前、ナダのことそんなに好きじゃねえだろ」


 静かな部屋に、俺が作業する物音だけが響いていく。

 ブラシで汚れを落とし終わり、部品を一つひとつ丁寧に拭き上げていく。油を挿し、元通りに組み立て、手ごたえがスムーズなのを確認する。

 それを見計らっていたのか、イコから低い声が落とされた。


「ベイのくせによく見てんじゃん」


 鼻を鳴らして、残った最後の銃をケースから取り出してテーブルに置いた。


「付き合いはみじけえが、毎日一緒に行動してりゃ分かる」

「そうかな。ナダは気づいてないけど」

「あいつァいい意味で鈍い奴だな」


 一つ息をついて、銃の分解を始める。俺が何も言わずに待っていると、イコはやはりいつもより低い声で呟きを落とした。


「ベイは人殺したことあんの」

「そりゃな。仕事柄」

「何人ぐらい?」

「普通訊くかそれ」


 数え切れねえぐらいさ、とわざと投げやりに言い放つと、再び静寂が満ちた。

 イコが何を話すのか。俺は何を聞かせられるのか。護衛対象二人よりも年齢を重ねている俺だが、読めないものは読めない。


「……別に嫌いなわけじゃないよ」


 背もたれで組まれていたイコの細い腕が、力をなくしてぶらんと揺れた。

 顔が髪に埋もれている。くぐもった声が、背もたれの隙間から漏れ聞こえる。


「たださ、あいつといると丸くなる。忘れそうになる。アリカ叔母ちゃんはそれでいいって、そのまんま丸くなんなさい、って言うけど、丸くなったらわたしじゃなくなっちゃう……」


 髪の間からイコの薄茶の目が覗いて、俺を貫いてきた。

 ナダが居る前では絶対に見せない、くらい感情を宿した目だった。俺にとってはこちらの方が馴染みの深い、嫌という程見慣れた目。


 同じ目をして、やがてそこから戻れなくなった奴らを、俺は知っている。

 そしてたぶん、それは俺も同じなのだと思う。そのことをつくづくナダに思い知らされる。


「──俺が初めて人を殺した時」


 もはや無意識に出来るようになった銃の手入れは、考え事をしている間に終わってしまった。油を拭き取り組み立てを始めながらも、俺は声色が鋭くなっていくのを止められなかった。


「幾つだったかな。少なくともお前よりゃずっとずっと年下、半分も行ってねえぐらいの頃だ。死にかけた男が地面に転がってて、“敵”の紋章を付けていたそいつを俺は殺さなきゃならなかった」


 血と汗と砂が混ざり合った、濃くて昏い臭いが鼻腔に充満する。思い出から来るそれを俺は拒まず、思い出すままに任せる。唇を舐めると血の混じった砂の味がする。


「じきに死ぬそいつを殺すのに抵抗はなかった。相手は敵だしな。命令してきた指揮官の目の前ってのもあって、殺らねえって選択肢も最初からねえ。即座に殺ったよ。渡されたハンドガンで、外した二発以外全部撃ち込んだ」


 弱り果てたその男から断末魔が上がることはなかった。虫の息のボロ雑巾が死体に変わった、ただそれだけのこと。あの時は必死で、自分たちの身を守ることで精一杯だった。自分だけ綺麗なままでいられなかったから。


 だが俺は“人を殺すこと”の意味を知らないまま手を汚した。

 殺人という行為がもたらす、存外に深く見えない傷を、先に負ってしまった。


「前にあいつ言ったよな。人殺しで解決することを覚えると、それ以外の選択肢は選べなくなるってよ。カチンとはきたがその通りだ。事実俺らの中に以外の選択肢はもうどこにもねえ。障害は取っ払う、敵は二度と立ち塞がらねえように殺す。……人殺しってのァ、そういう生き物だ」


 ガシャリ、と組み上がった銃の動作確認を終えて、俺は自分の横にそれを立て掛けた。すっかり体の一部と化したそれは、鈍く鋭い光で辺りを威嚇する。

 俺がその気になれば、今話している相手も、この建物にいる人間も、町の住民も、ぐんにゃりと動かぬただの肉塊に変えられる。──それは即ち銃を握る俺自身も同じだという事実を、ふとした時に蘇る戦場の臭いが、死神の鎌のように俺の喉元に突きつけるのだ。


「あいつァ意外に、人殺しが何たるかをよく分かってやがる。お前はそうなりてえか、なるってンならそのすべを教えてやる」


 イコはまだ昏い目を俺に向けていた。その目が、ほんの僅かに揺れているのを見守った。

 この少女の人生に少しなりとも干渉した身として、人殺しの俺は巻き込まない責任がある。義務だ。あの時胸に誓ったこととは別に、俺はこいつらを人殺しにしてはならないという責務がある。


(ボスの目的はこれか……?)


 自他共に厳しい年老いた社長の姿が一瞬、瞼に浮かんだ。

 俺を同行させる目的は、実は俺もよく分かっていない。“護衛”を付けるのであればもっと大人数のチームで警護すべきなのに、実際は俺一人だ。

 監視の目。二人を自分の目の届くところに置いておくための駒。他にも目的があろうが、もしかしたら……泥除けと“代わりに汚す手”という意味合いも強いのではないか。


(チクショウ)


 俺がそれに甘んじると知ってのことだろう。

 あのじじい、やってくれるぜ。


「入るぜー。二人とも、今からチェンとパドフさんが……どうした?」


 向かい合ったまま動かない俺とイコを見て、ノックせず入ってきたナダは怪訝そうに首を傾げた。ナダの後ろを伸びる影のようなものは桐生か。一瞬俺と目が合って、何でもなかったように部屋にその黒い目が向けられた。


「おう、部屋の準備はバッチシだな。ちと二人に聞きてえことがあってよ、今パドフがチェン連れてくるわ。ナダはどうする、ダニエルたちに挨拶でもしてくるか?」

「そうする。……やべ、ダニエルそのままにしてた。さっきチェンから逃げてる時に会ったんだ」

「ダニエルなら今頃、食堂にいるんじゃねえか? 学校帰りのティータイムで」

「そうか。他のみんなももう帰って来る頃だよな。行ってくる」


 心なしか軽い足取りで、ナダは出て行った。その姿を細めた目で追っていた桐生は、姿勢を崩すタイミングを失った俺たちに呼びかけた。


「あいつがいるとできねえ話だ。いろいろ訊きてえことがある」


 イコと目を合わせて、二人で頭にクエスチョンマークを浮かべた。






  ◇ ◇ ◇

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