第十話『“ハッピージョージがやってくる”4』

10-1

 雲がかかった月にいびつに照らされて、令は息を吐いた。

 とりあえずあの神社から距離を取った河原の草の上。


「ハァ……! なんなんだアレは……っ!」


 独り言のように呟いてから、令は額の汗を拭おうとして上げた右腕の痛みに顔をゆがめる。

 右腕の袖は血で染まり、キャメル色のジャケットを赤黒く変えていた。

 ただ、パックリと傷は腕を裂いていたが、それが骨にまで達していないのを令は感じ取っていた。

 寸断されるほど傷が深くなかったのは不幸中の幸いか。


 令は右腕を押さえて傷口を見てから、視線を光輝こうきに向ける。

 令がそこに置いてから、光輝はほとんど変わらぬ姿勢で令を見上げていた。

 尻もちをついたように腰を下ろして、光輝は混乱した眼差しを令に送る。


「あなた、一体だれなんですか……っ?!」

「あぁ……悪い。紹介が遅れたな。SCCAの“一応”捜査官の、霧矢令だ」


 というワードに光輝の眼の色が変わる。

 そして食らいつくように光輝は四つん這いになって令を見上げた。


「SCCA!? 捜査官が遂に動いてくれたんですか?!」

「あぁ……。悪かった、光輝君。最初の対応は明らかにミスだ。これからは俺が守る」


 その言葉に、光輝はひどく救われたような弛緩しかんした表情を浮かべる。

 その顔を見て、令はこれが光輝にとってどれほど待ち望んだことなのかを知る。

 当然だ。助けて欲しくて仕方なかったに決まっている。

 助けてもらえると思った差し伸ばされた手に、自分の手を叩き落とされた光輝の心情は如何いかほどだったろうか。


 令は、安堵しやっと落ち着いたように見える光輝に訊ねる。訊かねばならないことを。


「なあ、光輝君。“ハッピージョージ”について詳しく教えてくれないか?」


 その一言に、光輝の表情が曇る。もっともだ。光輝が考えたくもないことだろう。

 しかし、敵を知らなければ戦いには勝てないのが現実だ。

 光輝は両手を地面につけ、伏して懸命に声を振り絞る。


「アレは……。アレは僕を殺そうとしているんです……。あの時“殺し損ねた”僕を……っ」

「“殺し損ねた”?」


 思わぬ言葉に令が繰り返す。光輝は顔を地面に向けたまま、続ける。


「アイツは……僕をバスで殺し損ねたから……だからしつこく命を狙ってくるんです……ッ!!」


 その言葉でやっと令は光輝の見解を理解する。

 そして理解した上で光輝に訊ねてみる。


「でもアレは事故なんじゃないのか?」

「違う……ッ! 周りは運転手が居眠りして起こした事故だっていうけれど――アレはハッピージョージが起こしたんだッ! みんな……みんなアイツに殺された! 僕は見たんだッ! “傷”だらけのバスの中をッ!」


 興奮した光輝は叫びながら立ち上がっていた。そして懸命に令に訴える。

 令はただ、そんな光輝をじっと見詰めていた。光輝の興奮に動じず冷静に返す。


「君はその時から狙われていたのか?」

「……違う。僕が生き残ったから……あの時死ななかったから……だからアイツはやり残した“仕事”を片付けようと……僕を狙うんだ……っ」


 令は頭の中で沈着に光輝の言葉を噛み砕く。

 光輝は吐き出すだけ吐き出すと、また消沈して唇を噛んでじっとうつむいた。令は問う。


「君は、ハッピージョージの“姿”を見たことはあるかい?」


 令の言葉に、光輝はじっと固まった後、ちいさく首を横に振った。


「アイツは……いろんな姿で僕のところにやってくる……。でもまだ、本当の姿は見せたことがない……」


 光輝の話を聞いて、令は一言「そうか」とだけ答えた。

 そしてそれからまた自分の右腕を見ると、光輝に喋りかける。


「とりあえず今は、近くのSCCAの施設に行こう。傷の手当てをしたいし――君を保護してもらわないと、俺も思い切り戦えないしな」


 令の言葉に、光輝はこくんと頷いて返事をする。

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