ボーイ・ミーツ・ガール
アイスは美味しかった。毎度お決まりの長すぎるレシートを受け取って、セブンティセブンアイスを後にする。店を出た所で、言葉通りちょうどバイトをあがったらしい宇佐美さんと合流できた。依呂葉と別れる。
2人で歩き始めたはいいが、宇佐美さんは行先さえ俺に教えてくれなかった。年齢的には保護者と息子のような関係のはずなのだが、なぜだか俺が年下の子を追いかけ回し、さらには翻弄されているようでスッキリしない。周りからの目も痛い。何度となくどこに向かっているのかと問い、その度に内緒です♪ と返されてしまうのを、もう何人もの人間に見られてきた。
絶対に宇佐美さんが、妙ちきりんなうさ耳カチューシャとセーラー服を着ているせいである。
セーラー服を着ている、せいである。
体感では数時間もそうしていた気がするが、実際にはきっと20分ほどだろう。それくらい歩いて軍からは少し離れた住宅街の1軒の家の前にに差し掛かった時、宇佐美さんはようやく足を止めた。言われなければ通り過ぎてしまっただろうほど普通の家だ。だがよく見れば表札には宇佐美と書いてある。
「ここ、私の探偵事務所なんですよ!」
「なるほど。じゃあ家は」
「それもここです。何人か居候が居るんですけど、あまり気にしないでくださいね。ちょっと片付けがあるので待っててください」
居候、というところを何故か強調した宇佐美さんは、カランと乾いた金属のベルを鳴らしながら家に入ってしまった。同時にドカドカとかバキバキとか、明らかに家具を動かしているような音が聞こえてくる。
そんなに家って散らかっているものなのか? ……仮にも事務所なのに? 普段依頼人がこんな風に突然訪れたりすることはないのだろうか?
数々の疑問への返答はもちろんない。程なくして音は止み、俺は宇佐美さんに導かれて探偵事務所へと足を踏み入れた。
「お待たせしてすみませんね……何か飲み物お持ちしましょうか」
「いえ……お構いなく……」
あれだけ荒れた物音を立てていた部屋だ。どんな有様なのかと覚悟していたが、予想に反して部屋は広々として綺麗だった。ひとつのドアの前にやたらと棚などが集められているのは、あえて見えないことにする。きっと家具を動かす音はあれだったのだろうな……
お構いなくとは言ったのだが、宇佐美さんは2人分の麦茶を出してきてテーブルに並べた。中で氷がゆらゆらと踊っている。それをぼうっと見ていると、ぱちんと手を鳴らす音が聞こえ、前を向かされる。
「で、お兄さん……相友慧央さん、ですね。私に話とは一体?」
「あ……ああ……その……なんだ」
問いかけに答えるべく口を開いたが、言葉が続かなかった。……わざわざナンパ紛いのことをして、こんな所まで押しかけてきておいてなんだが、
俺と宇佐美さんの関わりなんて、せいぜい今日アイス屋で店員と客として初めて会った程度でしかない。……妙にくたびれた名刺を持ってはいるが、あの時会った宇佐美さんは未来の宇佐美さんなのだから、街に大罪虹化体が現れることも、それに俺の妹が巻き込まれていることも……今の宇佐美さんは知る由もないのだ。
「宇佐美さん……アンタ、探偵なんだよな」
「ええ。昼間はアイス屋の看板娘、夜は……汚れ仕事も何でもござれな探偵でございますよ」
「この街のことなら、なんでも分かるのか」
「まあ……さすがに犯罪行為には手は貸せませんけど」
冗談めいた言葉にも笑う余裕がなかった。
だが、来てしまった以上はやるしかない。本題を切り出す。
「この街に大罪虹化体がいるかもしれない。……それをどうにか探して欲しいんだ」
大罪虹化体なんて、一般人にしてみたら滅多に会話に登ることの無いワードだ。ここ10年……相友家が奴らに壊滅させられてからの10年は、被害はおろか目撃証言すらないのだから。
いくら俺が破虹師だからって、いや、破虹師だからこそ、一般人にそんなことを頼むのはおかしいと、宇佐美さんも思うに違いない。その通り、宇佐美さんは大きく丸い目を、すうっと細める。
「……何故、そんなことを?」
「それは……言えない」
「軍のデータベースの方が、単なる一般人である私の頭脳よりも正確なんじゃありませんか? それとも……軍を頼れないようなことを画策していらっしゃると?」
「そういうことになる」
宇佐美さんはしばらく考え込んだ後、麦茶を一口飲んだ。ついで「あの名刺を貸していただけますか」の言葉。
言われた通りしわしわの名刺を差し出す。宇佐美さんはポケットから見覚えのある名刺入れを取り出すと、その中身と丹念に比べ始めた。
「……この名刺、どこで手に入れられたんですか?」
「道で……拾った」
最悪な言い訳だ。嘘ではないのだが。
「嘘は通じませんよ。私は毎晩持っている名刺の数を数えています。そして……信頼出来る方にしか、名刺はお渡ししない主義です。言わばこの名刺こそが、我が探偵事務所への招待状と言うべきか……」
「はあ」
「貴方には名刺をまだお渡ししていなかったと思うのですが。……これは不思議ですね。私の名刺が、1枚増えている……本当に、何故でしょう……?」
不思議も何も、まだアンタから名刺は渡されていないからな。しかしタイムスリップの話をする訳にはいかない。変人扱いされてつまみ出されるのがオチだろう。……と思っていたので、次の言葉には心底縮み上がった。
「まさか、貴方は未来の私と会ったとでも言うのでしょうか?」
「は、はあ?!」
「そうとしか考えられません。現在の私に渡した記憶がないのなら、未来の私が貴方……慧央さんと会ったということになりますから」
「いや、その……えっ、信じるのかそんなの」
「その反応を見るに図星ですか?」
俺より一回りも小さい少女に、ぐっと顔を覗き込まれる。何故だか責められている気がして、2度も頷かされてしまった。
「……信じて貰えないと思って、言わずにおこうとしていた。そう。俺は未来でアンタに会った。アンタが落とした名刺ケースを拾ったんだ。そのあと、ここへタイムスリップしてきた。……詳しくは省くが、俺は大罪虹化体をこの手で殺してやりたいと思ってて、その為に情報がいる。奴が動くより先に、俺が動くための」
言葉を吐く度に、宇佐美さんからの視線が強まる。探偵……そう、彼女は探偵だ。その頭脳でありとあらゆる可能性を探り、一本の真実を導く探偵なのである。俺程度が辿り着きうる結論なんて、彼女にとっては初歩の初歩もいい所なのかもしれない……
「ふうん、なるほど。未来で大罪虹化体と何か……揉め事を起こし、それが強い動機となって……貴方は仲間にも頼らず、1人で行動を起こそうとしている」
「そうだ。……過去の……いや、
「分かりました。ご協力しましょう」
俺の依頼を受諾した宇佐美さんは、一呼吸置くとこう続けた。
「大罪虹化体は、間違いなくこの街にいます。きっと近くに」
「近くに……?」
「はい。虎視眈々と
言っていることが、少し抽象的だ。いや、いくら宇佐美さんが凄腕の探偵だったとしても……この10年間世間から身を隠してきた大罪虹化体のことをすべて分かるはずはない。それはそうなのだが……
「……相友慧央、17歳。破虹師歴は3年目で、寮室は山田太郎と2人で共用している。相友依呂葉という双子の妹を大切に思っていて、そのためなら無茶な行動も惜しまない……」
「なっ、なんだよ急に、俺の事なんか」
「いえ。貴方が仰らないのであれば、私が予想して差し上げようかと。これでも軍には太いパイプがありましてね。なんでも知っていますよ。……慧央さん、元より戦う気力のなかった貴方がそこまで懸命になるのは、きっと依呂葉さんのためなのでしょう? おそらく未来で妹さんの身に何かが……そう、例えば……」
一気にまくし立てた宇佐美さんは、俺の目を1度窺い、「殺されたとか」と続ける。
「殺されたんですね? 大罪虹化体によって」
「そうだ……そうだよ。……依呂葉は、8月25日に殺されるんだ。憤怒の虹化体に。そこまで分かってるならもう……分かるだろ。知ってることがあるなら、全部教えて欲しい。アンタしか頼れる人がいないんだ。もちろん依頼料は支払わせてもらう」
依頼料という言葉に、宇佐美さんはビクリと跳ねた。
「まいどあり〜♪」
「は?」
「いや、お兄さん。私だって商売でやってますから。お金は欠かせないですって。……こちらからは言いづらいことですし……よかった〜〜もう、いいですよ! 全部お教えします」
「え? え?」
「んー、でも、慧央さんの趣味である
「いや、ゲホッ、何でそんなことまで」
「ちょっとした復讐です」
復讐? と問い返す間もなく、宇佐美さんの輝く笑顔と淀みない喋りが脳を突き抜けていく。先程までの剣呑な視線は演技だったのではないかと思うほどの、転身ぶりだ。
「私の調べでは、大罪虹化体は普段、人型を取って市民に紛れて暮らしています。ここまではいいですか? 確かこの記述自体は軍の禁書庫の書籍にもあったはずですので……ただ、そうなると1つ弱いところがある。彼らは一度死んでいます。死したあと蘇り、己に課された大罪を背負ってこの地を荒らしている」
「それが何だっていうんだ」
「奴らの多くは社会不適合者です。当然ですね。人間なら当然持ち合わせているべき理性を吹っ飛ばしたからこそ、大罪虹化体になりえたのですから。……となると、普通にしていては暮らしていけないのです。そのはずです。私の推理では」
確かにと思った。
俺を探していたという憤怒は明らかに正気を失っていた。あんなのが街を闊歩していたら、大罪虹化体だということが分からずとも軍にしょっぴかれてしまうだろう。
「奴らが10年間も身を隠していられた秘訣というのはずばり、一人一人が強大な力を持っている大罪虹化体達が……互いに協力しているということ。きっと奴らはこの街のどこかに、
「アジト……! それは一体どこにあるんだ!?」
思わず身を乗り出す。大切な妹を殺してくれやがった化け物が、雁首揃えて待っているなんて聞いてしまえば、耐えられるはずもない。
俺だって……大罪虹化体だ。ここで冷静になれるような理性など、とうに失っている。
宇佐美さんはそんな俺を見ても顔色ひとつ変えず、こてんと首を傾げた。
「それはまだ分かりません」
「……本当に分からねえのか……」
「言いましたよね。奴らは私のこの10年の努力の間ずっと、アジトに隠れているんですから……」
やってられませんよ、と足を組む宇佐美さんを前に、俺は思考をめぐらせる。
いっそのこと、この街にある建物を一つ一つぶち壊していけば……いつかはアジトに当たるだろう。俺に備わる大罪虹化体の力を持ってすれば、恐らく十分に可能だ。
悪を滅するのなら、それは正義に違いないのだし……
「慧央さん、顔が怖いですよ。落ち着いてください。あなたにはやることがあるでしょう」
「やること?」
「公開演説会ですよ」
聞き覚えのありすぎる五文字に、すっと視界が冷えた。怒りに囚われていた心が鎮まる。……そうだ。俺は、正式な手順を踏んで大罪虹化体を倒すために、北斗七星になったのだ。
こんな所で道を踏み外していたら、たとえアジトにいる大罪虹化体は殺せても、
「……本当になんでも知ってる……んすね」
「はい♪ というより、もうその話はかなり話題になっています。今朝の新聞にも大きく載っていましたし。おかげで……」
「おかげで?」
「いえ、何でも。私は優しいので、その件についても1つ助言を差し上げます。公開演説会、会場は東京レインボータワー近くの大きなアリーナでやるんじゃありませんか?」
それはまだ機密事項で……と思ったが、もはや彼女が何を知っていてもおかしくはないと思い、頷いた。
なんせ7年振りに現れた地下民の生き残りだ。まだ環が未成年の幼い少女ということもあり、その演説を聞きに来る人間は多いだろう……という想定をした。実際には一般人は会場には通さず、全国からかき集めてきた私服破虹師たちで埋め尽くすのだが。
それだけのキャパを誇る会場は、東京にはもう1つしか残されていない。
「そうだな。まあやっぱ……分かりますよね」
「ええ。ただそこはやめた方がいいです。分かりやすすぎて暴動が起きますから」
「なるほど……確かにそれはアリかもしれない……いくつか候補を探ってみるか……」
ただの一般人である俺に思いつく会場などたかが知れていたが、いくつか候補を頭の中で回してみる。あーでもないこーでもないと考えていると、目の前に1枚の紙が差し出された。
「これ、東京にある多目的ホールの一覧表です。かなり小さめなところまで載ってはいますが、ご参考までに」
「あ、ありがとうございます……」
「フフ、お代は慧央さんの給料から源泉徴収させて頂きますので、この場でお支払いして頂かなくても結構ですよ♡ ではそろそろいい時間ですし、またの機会にでも」
もう俺は驚くのをやめた。ヒラヒラと手を振るこのツインテールの少女と、絶対に敵対はしないと胸に決めながら……
*・*・*
依呂葉は慧央と別れたあと、2、3の虹化体を切り伏せながら軍への帰途についていた。依呂葉が本日はオフであるにもかかわらず戦闘服を着用していたのは、もしかすると虹化体と戦えるかもしれなかったからである。期待通りの事態に遭遇し、依呂葉はもう鼻歌を歌い出さんばかりの喜色を表していた。
「ん? なんだろうあれ」
そんな依呂葉の目が、ある奇妙なものを捉えた。何となく目が惹かれた、というのか。太陽に焼き焦がされるコンクリートの道の上に、……何かが、いや、誰かが倒れている。
虹素の影響か色素がそこそこフリーダムになりつつある現代でも珍しい、赤色の髪を持つ少年──と意識する前に、依呂葉は駆けていた。
依呂葉は虹化体を嫌う一方、人類をあまねく愛している。……虹化体に傷つけられる生命は、皆自分の味方だと信じて疑っていないのだ。
依呂葉は少年をごろりと仰向けにさせる。顔は青く生気がないが、呼吸はあるようだ。
「大丈夫?!」
「ん……うう……」
「よかった、意識戻った……」
少年は依呂葉の呼び掛けに、重そうに瞼を開いた。驚いたことに、その目までもが血のように赤い。天恵を使用していないのに赤い目を持つ人間なんて、依呂葉は兄である慧央ぐらいしか知らなかったのだが。
「熱中症かな? この近くに病院はないし一旦軍まで運ぶね」
「あ、いや……その……」
依呂葉は自分より僅かに背の高いはずの少年をひょいと抱えあげて背負う。まるで重さなど意識していないかのような挙動に少年もすくみ上がるが、口下手な彼のその返答より先に、──ぐぎゅるるるるるる、と腹の虫が鳴った。
そのあまりの轟音に、依呂葉も気にしてはいけないと思いつつ動きを止めてしまう。
「僕、お腹減ってて……行き倒れてただけなので……その……家族を呼んで頂ければ……」
喋ってる間にも少年の腹の虫は喚き続けており、依呂葉は困ったように笑いながら進路をファミレスへと向けた。
ファミレスに入店すると、店員の顔が明らかに強ばった。依呂葉は既にこの当たりの店では「ヤバい奴」と認識されているのだ。
だが今日に関しては、いつもと違う視線も感じる……と依呂葉は思う。
「えっと、君……名前は?」
「アッ、アギトです。アギトと呼んでください」
「かっこいい名前だね! 私は相友依呂葉。依呂葉って呼んでくれていいよ。君お腹減ってるんだっけ。私奢るからなんでも食べて〜」
なんでも、と言った直後、アギトの目が輝いた。
「じゃ、じゃあ──このメニューにあるもの、全部食べていいですか」
「へ」
聞き違いかな? と依呂葉が思ったのもつかの間、アギトは店員を呼び出すと、メニューの端から端までを全て注文した。依呂葉も負けじと注文を追加するが、最終的に泣きそうな店員の目を受けて中止する。
その細い体のどこに食べ物が入っているのだ……なんて、依呂葉の言えることでは無いのだが、依呂葉はこの日、確かに戦慄を覚えたのであった。
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