第87話 異世界転生

『君はもしかしてここが好きなのかな?』


 比重の軽い液体に全身が浸かり、ふわふわと漂っているかのような不思議な感覚を覚える。だというのに俺には体なんて全く存在せず、意識だけがそこに存在していた。


 だから苦笑に満ちた少年の声が聞こえても、返答のしようがない。


――というか根本的に、ここは何処だ?


『おや? 君は一度ここに来たんだけど、忘れてしまったかな?』


――覚えてないっていうか俺の思考を読んでるのか? ヴァイダさんみたいに。


 バカスカ考えてくる事を言い当てて来てこちらをからかい倒してくる愉快な守護天使の事が頭に思い浮かぶ。


 今の感覚としてはそれに近い気がした。


『ヴァイダか……。そうだね、彼女は僕の娘みたいなものだし』


――娘……ってことはもしかしなくてもあなたは神様ですか?


 思ったよりも声から伝わって来る印象は、軽い感じがしたし、口調は少年みたいな話し方をしている。神様のイメージというと、真っ白な髭をたくわえ、杖を持って威厳に満ちた声を出す感じだったのだが、それとは完全に真逆だったのだ。


『あははは、まあ成れなくもないけどね。でも年寄りの体は色々とデメリットがあるだろう? 僕は合理主義なんだ』


――なるほど、魔王とやり合ってお亡くなりになった神様だから威厳よりも実を取ったって感じなのか。って、その神様となんでこうして会話出来てるんだ? ってそうか、死んだのか俺。納得。


『一人で考えて一人で結論を出さないでくれるかな。ちょっとだけ違うよ。ここは可能性の霧。未来も過去もない。だから未来の人間と過去の僕が出会う事も出来るってわけさ』


――あー……。つまり死ぬ前の神様と、死んだ俺がこうして会っていると。


『君は自分の事をそんなに殺したいのかな? 死んでないよ。存在が不確かなものになってしまっただけで』


 そう言われて俺は思い出す。自分の最期を。


 アウロラを救うために、自分の存在を投げ出したことを。


 確認することは出来ないが、きっとアウロラは魔王の浸食から抜け出せたはずだ。本当に良かったと、俺は胸を撫でおろす。


『君は本当に自己犠牲が好きだねぇ。そんな事をしても相手は喜ばないんだよ?』


――人間を守るために魔王と戦い、亡くなってしまったあなたに言われたくないです。


 シュナイドから聞いた、この神様の話はそんな内容だった。


 自己犠牲というのならば、魂を7つに分けて、死んでもなお人間を守り続けているこの神様の方がよっぽど自己犠牲がすぎるはずだ。


『あちゃー……それを言われると痛いなぁ。僕の事は特別だと思っといて。ほら、神様だし』


――それなら俺も男の子だし。惚れた女の子の為には無茶してなんぼでしょ。


『あ、その通りだ、確かに。なら仕方ないね』


――……あの~、人間に説得されていいんですか?


 俺にもし実態が在れば、今頃ジト目で神様の事を見ていただろう。


 それぐらい神様は……軽かった。


『いいのいいの。僕は人間が大好きだしね』


 そして、呼吸でもしているかのような、一拍の間が空き……。


『だから以前君を助けたんだよ』


 なんて、衝撃の事実を伝えてくる。


 まあ、ヴァイダが予想をしていたのでそこまでショックは受けなかったけれど。


『君は以前、元の世界からはじき出されてしまいここへ来たんだよ。そのままだったら君という存在は消滅してしまってたんだけどね』


――だから、あなたの世界に入れてくれたんですね。


『そ、君が前に居た世界の事を完全に認識できなくして、僕が居た世界だけ認識できるようにしたんだ。そして、君を実体化させた』


 それがイリアスの言っていた封印の正体なのだろう。


 その力を使い、結果的にアウロラを助ける事が出来たのだから、頭が下がる思いだった。


 実体がないので下げる頭が存在しないのだが。


『そんなにお礼を言わなくても大丈夫だよ。僕もお礼を言わなきゃいけないから、おあいこ』


――それってもしかしなくても……。


『そうそう、魔王の分け身を封印し直してくれたでしょ』


――でも、魔王を倒すのは神様の義務じゃないんですからおあいこってわけじゃない気が……。


 伝説によれば、人間を憐れんで力を貸してくれたのだ。この神様は人間を守る必要なんてなかった。見て見ぬふりをしていれば良かったのに、要らない責任を負って、自分の命まで差し出したんだ。


 俺を助けたのは100%善意で、その上魔王は倒す必要のない事。おあいこにすらなっていない。


『細かい事はいいの。モテないよ……ってそうだ。最初の目的を思い出した!』


――なんでしょう。


『君、僕の娘に手を出してるでしょう』


――………………………。


『いやいや、知らないふりしても無駄だからね。しかもゼアルとヴァイダの2人同時なんて、ちょっと贅沢じゃないかなぁ』


 しかも実際にはアウロラも居るから3人というか、1人と2柱なのだ。


 まだキスだけしかしてないけれど。


『そうだったね。アウロラちゃんもだったね』


――しまった、墓穴掘った!


『お父さんとしては見過ごせないなぁ……』


――すみませんごめんなさいでもみんな好きなんです許してくださいなんでもしますから。


『ん? 君今なんでもするって……』


――冗談です! なんで俺の世界のネタが通じるんですか!


『そりゃあ腐っても神様だからね。全知全能自由自在。何でもありなのだよ』


――そうか、腐ってもっていうか腐ってるのか。


『そこ食いつかないっ!』


 なんというか、この神様はずいぶん楽しい性格をしているというか、ヴァイダさんを少し穏やかにしたような感じの性格みたいだった。


 先ほどの声は脅しつける様な雰囲気だったのだが、神様自体から発せられるオーラというか雰囲気は、こちらを優しく包んでくれる様な、不思議な安心感を感じさせてくれている。


 さすがは神様ってところだろうか。


 ……淫夢ネタまでカバーしてる神様だけど。


『まあ、2人が君を選んじゃったんだもんなぁ……。仕方ないかなぁ。2人に嫌われたくないし』


 全知全能にして自由自在らしいが、だからといって全てを自分の思い通りにする神様ではないらしい。


『僕は君たちが君たちの意思で進んでいく姿が好きなんだ。僕の思い通りにするのはそれを壊しちゃうことだから、絶対にやらないよ』


――なるほど。神様の憂鬱って奴ですね。


『そ。でも……3人を不幸にしたら、さすがに介入しちゃうよ?』


――肝に銘じます。


 思わず震え上がるほどのオーラが俺を包み、諸手をあげて降参する。


 というか、そんな事は絶対するつもりはなかった。彼女たちは何があっても幸せにしたい。……って3人って事はアウロラも入ってるんだ。


『なら君がこんな事になっちゃダメでしょ』


――返す言葉もございません。


『うーん。こうならないように何か力でもあげられたら良かったんだけど……』


――チート能力とかめっちゃ憧れます。貰えるのなら欲しいです!


『正直だね君も。まあ、そんな力を渡せるのなら、その力で僕が魔王を倒しちゃうよ』


――その通りすぎですね。スマホってチート持ってるので十分です。


 世界に転生した瞬間から、最高の力を使えるだなんて滅茶苦茶なチートだ。これ以上を望んだら、それこそ罰が当たる。罰を与える存在が現在進行形で目の前に居るけれど。


『あ、そう言えばそのスマホを君が買ってから三か月したら、一億画素の新型が発売されてたよ』


――くそっ、なんかすげぇ悔しい! 三か月……ってあれ?


 俺が異世界に居た時間は一カ月。異世界に行くちょうど手前で俺はスマホを買ったのだから……未来の話になる。


 さすが神様だな。でもなんか悔しい。


『おっと、またやっちゃったや。いろんな可能性が混ざっちゃうからこういう失敗しちゃうんだよね』


――じゃあそろそろ本題に行けばいいんじゃないですかね?


『……君の様な勘のいいガキは嫌いだよ』


――ネタぁ! てかネタじゃなかったらマジで怖いですから!


『あははは、君もノリがいいね。義理の息子と楽しい会話が出来てお義父さん嬉しいっ』


 さすがはヴァイダの父親。なかなか会話が進まない。


 というかもしかして……何かを待ってる?


『そうそう。君の意識を保っておくってのが目的かな。っと、そうしてるうちにお迎えが来たみたいだよ』


――お迎え?


『君は覚えてないのかな? 僕の娘たちと混じり合ったことを』


――あ。


 確かに俺は神様から施してもらった封印、存在するための要の様な力を失って世界からはじき出されてしまった。


 でも、その代わりになる様な物があれば……。例えば世界に居る存在と、強い力で結びついたのなら。俺はまた――。


『そーいうこと。愛は全てを救うんだよ』


 愛って面と向かって言われると恥ずかしいな。まだ俺は何も彼女たちに返せてないのに。


『君たちの居る時代に僕は居てあげられないけど、君はまだ隣にいてやる事が出来る。それがお返しなんだよ。あ、ついでだから娘たちにはよろしく言っといて』


 ああ、どこからか声が聞こえる。


 俺を呼ぶ声が。


 俺はこの声に応えたい。この娘たちと一緒に居たい。


『じゃあ、これからも色々あるけど、頑張れ!』


――不吉な事言わないでくださいよ……。


『でもアッチ方面では頑張り過ぎないように。君絶倫すぎでしょ』


――何の事!? ねえ何の事!? 俺童貞だから分からないっ!!


『あ、あとまた報酬とか貰え無さそうだからお土産をあげるよ。君、金運ゼロに近いからね』


――ま、またタダ働きなんですか!? 魔王倒したのに!? というか金運ゼロに近いって不吉すぎるんですけどっ!?


 最後の最後で何かとんでもない爆弾を二つも撃ち込まれてしまった気がするが……兎にも角にも俺は神様の声援を背中に受けて――。


 ――目を、開けた。

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