第63話 コキュートス

 靴に等間隔で荒縄を巻き付けて滑り止めにする。加えて防寒着に身を包み、表面に熱の真言を刻んだ木のコップに凍った大気の欠片を入れ、それを布で包んで樽に入れた急造のボンベもどきを首から下げた。

 手袋の表面には親指の部分に金属片を仕込んで穴を開けて置いたため、スマホの操作も問題なく行えるはずだ。

 やや動きにくくなってしまったものの、これで戦いの舞台に立つことは出来るだろう。

「アウロラは後方支援を頼む。特に温かい空気の確保を優先してくれ」

 液化する直前の冷たい空気を吸ってしまえばそれだけで死ぬ可能性だってある。アウロラの役目は俺の命綱でもあるのだ。

「前みたいな役割分担だね」

「ああ」

 俺が火力。アウロラがレーダーという布陣でイリアスと戦った。

 今度も似たような物だろう。

 ただ、少し違だけ前と違うのは……。

「ナオヤ、アウロラ。無理するなよ」

 守りの加護を授けてくれる天使たちが居る事。

「お二人は出来れば後ろで下がっていて欲しいのですが……」

 ヴァイダとゼアルの希望により、宮殿内から人たちは退避済みである。

 魔族に挑もうなどと言い出す奇特な人間は俺とアウロラくらいしか居ないとも言うのだが。

「お断り」

「二人だけを戦わせるなんて出来ないわよ」

 ヴァイダの顔には苦笑が浮かんでいる。

 ほんの数十分の短い付き合いだが、それでも俺たちの気質は理解してくれていて、説得が無駄だと分かっているのだろう。

「大丈夫。俺は負ける戦いはしない。いざとなったら逃げ隠れしまくるから安心してくれ。というか最初は隠れて分析に努めるから」

 魔族と人間のステータス差は莫大なものである。相手の弱点を突くしか勝機は無い。ただ、弱点を突きさえすれば、天使ですら倒し得ない相手を屠る事すら出来るのだ。

 ゼアルはその事を一番よく知ってくれている。

 だから――。

「ああ、頼んだ」

 こうして俺たちを信頼してくれている。

 俺たちが守られるだけの存在ではないと認識して、魔族を倒しうる戦力として頼ってくれるのだ。

「分かった。ゼアルも無理するなよ」

 と、そこまで言ったところで、急激に周囲の気温が下がって来るのを感じた。

 ――来る。

 ゼアルの障壁を破り、固体化した大気で砲撃を行って来た恐るべき敵が。

「お前が、お姉さまの命を奪った人間?」

 ゆっくりと空から降りて来たその女性は、まるで白色の絵の具をぶちまけたかのように白すぎる肌をしており、それに負けないくらい真っ白なドレスを見に纏っていた。

 声の調子はやけにおどろおどろしく、ローテンションで映画に出てくるお化けを思わせる。

 だが気になるのは、その内容だ。

 これはまるで俺を狙って敵討ちに来たみたいではないか。

「お前の言うお姉さまが、イフリータって魔族ならそうだ」

 俺が頷いた瞬間、その真っ白な魔族の瞳が見開かれ、凶暴な光が灯る。そのままその魔族は何も言わず、俺に襲い掛かって来た。

「てめぇ!」

 ゼアルが腕を振るい、障壁を放つ。

 まるで刃の様に薄く鋭い障壁は、雷の様に空中を走り、魔族へと迫る。

 魔獣すら正面から一刀両断にしてのける一撃は、しかし魔族がかざした手に触れるだけで砕け散っていく。

 いくら攻撃用に薄くしているとはいえ、曲がりなりにもゼアルが魔力を編んで生み出した障壁である。幅数メートルで出来た鋼鉄の壁よりもなお強固なはずだ。だというのに、この魔族の前にはまるで障子紙ほどの防御力も示さなかった。

 つまり方法こそ分からないが、ゼアルにとって相性が最悪も最悪。天敵のような相手で――。

「くっ」

 俺は手袋に包まれて動かしづらい手でスマホを操作して目的の魔術式を呼び出そうとするのだが、それよりも先に魔族が迫って来て――。

 間に合わないっ。一撃喰らう事を覚悟した瞬間。

「私も居る事をお忘れなく」

 俺が放つ魔術とは、精度、規模、威力など、全てにおいて及びもつかないほど巧緻かつ正確な、雷撃の魔術――いや、魔法がヴァイダの眼前から放たれる。

 それは空中を奔り、魔族の体を打ち据えた。

 魔族が一瞬体をビクリと硬直させる。雷に匹敵するほどの莫大なエネルギーだったはずなのに、効果はそれだけ。

 まるで何事も無かったかのように俺へと突っ込んでくる。

 だが――その一瞬のお陰で間に合った。

≪デストラクション・ブロウ!≫

 魔術名を叫ぶことで、俺の右手に斥力で出来た巨大なグローブが装着される。

 それを、突進してきた魔族の腕を掻い潜りながら、彼女の顔面に叩きつけた。

「かっ」

 斥力の拳は厚さ数センチの鉄門すら叩き割る威力を誇るのだが、それを受けてすら、魔族は俺から視線を離さない。

 何があろうと俺を殺す。そんな憎悪に彩られた瞳が、ずっと俺を睨みつけていた。

「ああぁぁぁっ!!」

 俺は魔力を注ぎ込んで魔術を強化すると、思いきり拳を振りぬき、魔族を弾き飛ばす。

 魔族はガリガリと地面を削ってそれを耐えた。

 俺と魔族、彼我の距離はわずか数メートル。このまま更に詰められれば俺は殺されてしまうだろう。だが、俺は一人じゃない。

≪リペル・バレット≫

 俺の背後から斥力の弾丸が飛び、魔族の右足を打つ。

 僅かに魔族のバランスが崩れ――。

「そこだぁっ!」

 ゼアルが障壁を放ち、魔族――の足元の地面に突き立てると、

「はぁぁぁっ」

 障壁という巨大なスコップを使って、そのまま魔族ごと掘り返した。

 空中に投げ出された魔族の顔に、始めて憎しみ以外の感情が浮かぶ。

「お任せを!」

 ヴァイダはそう言うと、自らの正面にいくつも斥力の弾丸を生む。

 今のやり取りで、一番有効だった属性を即座に選択する辺りはさすが魔法を操る事に長けた存在と言えるだろう。

「行けっ!」

 20を優に超える数の弾丸が、ヴァイダの操作によって複雑な軌道を描きながら魔族へと殺到していく。

 下から上へ、手前から奥へと魔族の体を打ち据え、後方へと追いやっていった。

「無事か、ナオヤ」

 ゼアルが警戒しながら声だけで尋ねて来る。

 心配してくれるのはありがたいが、俺はそれに答える事が出来ないでいた。

 ほんの一瞬。数センチほどの距離に近寄られただけだというのに、俺の顔面に霜が張り付き、凍ったまぶた同士がくっ付いて左目が開かなくなってしまっていた。

 それだけではない。あまりにも冷たすぎる空気は、肌を焼き、ヒリヒリと痛みを訴えている。

 警戒して呼吸を止めていたからこれだけですんだのだが、吸い込んでしまったらこんなものでは済まなかっただろう。

 俺は空いている右手で首にかけた樽を掴み、魔力を流しこむ。

 樽の中で凍った空気が温められ、ジュウジュウと音を立てながら湯気と共に立ち上り、俺の顔を優しく包み込んでくれる。

 それを胸いっぱいに吸い込んだ俺は、

「無事だ」

 やや強がりの混じった返事をする。しもやけ程度は無事の範疇だろう。

 服の袖で顔を拭って霜と水分を落とすと、ゆっくりと立ち上がっている名前も分からない魔族を睨みつけた。

 話し合いは、恐らく無理だろう。

 彼女は大切な人を奪われ、復讐をするために来たのだから。

「アンタ、名前はなんて言うんだ?」

 俺の名前は恐らく教える必要などないだろう。

 何故俺の顔を知っているのか。何故俺がイフリータを殺したと知っているのか。

 答えは一つしかない。

 全てをすり抜ける、トリックスターのような性格をした魔族が原因だろう。

 今もこの戦いをどこかで眺めながらほくそ笑んでいるのかと思うと頭が痛くなって来る。

 まあ、彼女が俺の事と居場所を教えたことで、セイラムに被害が出ていないと考えれば悪いことではないはずだ。

「コキュートス」

「そうか。俺はナオヤ・アカツキだ」

 謝罪は、しない。

 自分たちの望むものを、命をめぐって戦い、互いに殺し合った結果だ。そしてその果てに再び殺し合いが始まってしまっただけの事。

 そういうものなのだ。

 辛いが、続けるしかない。

 それが生きるという事なのだから。

「コイツはイフリータによくくっ付いてた魔族だ。13悪魔の中には、入っていない。くっ付いてただけで何もしないし出来ないヤツかと思ってたんだがな」

 イフリータとよく戦っていたゼアルが補足を入れるが、その情報はあって無いようなものだ。

 順位に入ってないからイコール弱いという訳ではないのだろう。

 本当に魔族というのは厄介な存在らしかった。

「イフリータは強かったよ。強かったから、手加減なしに殺すことしかできなかった。多分、アンタもその部類に入ると思う」

 一つ、深呼吸をする。

 ああそうだ。俺はこれを相手の為にしてきたんじゃない。

 自分のためにやって来たんだ。

 仕方ないと、命を奪ってしまっても相手がそれを受け入れたんだと思って自分の罪悪感を減らすために。

「俺はアンタの命を奪える。それでも戦うのか?」

「私がお前を殺す。それだけ」

 約束は交わされた。

 ならば――。

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