第33話 レイズ

 すでにポケットの中で起動済みであったスマホを手にしながら、もう一方の手を銃の形にしてイリアスの背中へ突き付ける。

「動くな、魔族」

 それに対する答えは、一瞬の沈黙。

 かすかにイリアスの筋肉が強張り、緊張が伝わってくる。これが何の緊張なのかは……分からない。

 攻撃に転じる為なのか、逃亡の為なのか――。

「ま、魔族が居るんですか? ナオヤさん、怖い冗談はやめてくださいよ」

「とぼけるな。アンタ本人が魔族だろ」

「わ、私がですか!? そんな事あるはずないじゃないですか! 私はずっとセイラムで冒険者をやっていた……」

「女性と入れ替わった魔族だ。下手な演技をやめろ」

 イリアス――正体は名前も知らない魔族であるが――そう言われ、反論することなく押し黙る。

 俺は突き付けている指に力を入れ、イリアスの背中に指を食い込ませた。

「いいから、バレてるんだよ。これ以上白を切るなら、このまま消し飛ばす。ブラスト・レイの威力は知ってるだろう?」

「知りま……」

「冒険者がセイラムの全ての門に配備されている魔術の事を知らないはずがないだろ。語るに落ちてるんだよ。イリアスさんのご家族やご両親の名前を聞こうか? こっちはきちんと裏も取ってあるんだ」

 キツい口調で問い詰めれば、イリアスは再び沈黙をして――やがて、大きなため息をつく。それは、敗北を認める宣言であった。

「あ~あ、何時気付いていたのかしら?」

 声の調子ががらりと変わり、それまでのおどおどとした雰囲気が完全に消え去り、ともすれば妖艶な匂いすら感じ取れるのではないかと思うほどの色香を纏った口調で話し出す。

「一緒に帰った時だ」

 本当はその日の夜、色々な理由を複合してから気付いたのだが、それを教えてやる道理はない。

 人間はそこに何もしないで居られる様な存在ではない。呼吸をし、水を飲んで食べ物を食べ、排せつをする。

 あんな何もない牢屋の中に居て、臭くならないはずがないのだ。

 実際、魔獣の巣の前で呆然となっていた二人の女性は、何日もその場に居たせいで、ちょっとした悪臭を放っていた。

 だというのに、牢屋で過ごしていた目の前の女性からは、悪臭など欠片もせず、むしろ女性特有のとてもいい香りが漂って来たのだ。

 それは、あの牢屋ではない場所で特別待遇を受けていたか、もしくはそれらを必要としない存在、つまり人間ではないかの二択になる。

 そして、魔族は入れない様結界が施されているセイラムの街に、固くななまでに入ろうとしない事から、後者であると判断したわけだ。

「あら、そんなに最初からなの? どうして私を放置しておいてくれたのかしら」

「こっちの要件を飲んでもらうからに決まってるだろ」

「ふふっ、対価は何かしら?」

「月並みだが、お前の命だ」

 くすくすとイリアスが笑い出す。

 虫けら以下と思っている人間が、殺すぞと脅しているこの状況が滑稽なのだろうか。そうだとしたら――。

「出来ないと思っているなら……」

「いいえ、違うわ。そうじゃないのよ。人間が魔族を脅すなんて事、きっとこの世界で初めてよ。それがおかしく思えてきてしまったの」

 変かしら? と尋ねられ、俺は一瞬言葉に詰まる。

 つまるところ、イリアスは自分の命が危険にさらされているとはっきり自覚していて、その上でそれを楽しんでいるのだ。

 コイツが異常なのか、それとも魔族全員がそうなのかは……判別がつかない。

 俺は更に警戒を強めつつ話を進める。

「まず理解しておいて欲しい事だが、俺はアンタと話し合いにきたのであって、殺し合いをしに来たわけじゃないってことだ」

「私の命を交渉材料にしているのに?」

「矛盾するかもしれないが、そうだ」

 対等な立場で対話をするためにはまず相手と同じ舞台に上がらなければならない。

 虫けらという認識であれば、約束も何もない。戯れに破り、戯れに願いを叶えるなんて事では困る。

 だから俺は、わざわざあの魔族――人形の様な魔族を撃破したのだ。

 虫けらなんかじゃない。俺たちは、お前と対等に戦える相手であると認識してもらうために。

「ゆっくりとこっちを向いてくれ。互いの目を見て話をしよう」

 目は口以上にものを言うと言われているが、実際顔も見ずに話を続けていては、イリアスの真意がどこにあるのか分かりはしないだろう。

「あら?」

 振り向いたイリアスは驚いたように目を丸くする。

「もっと勝ち誇った顔をしているかと思ったのに、違うのね」

「殺すぞなんて脅したのは生まれて初めてなんだ。正直最悪の気分だよ」

 イリアスはあらあらと言いながらコロコロと笑いを零す。何がそこまでおかしいのかさっぱりだが、この状況が面白くて仕方がないのだろう。

 何故こんな相手に交渉する気になったのだろうと一瞬後悔しかけるが……あの時の、初めて殺しに行った時感じたことを思い返す。

 イリアスは、人間を介護していた。女性達の命を繋ぐという目的を達成するのなら、今まで通り糞尿まみれにしておいても構わないだろう。

 隠れ蓑にするという目的だったとしても、わざわざ体を清め、料理を作って手ずから食べさせていたのだ。

 それは、虫けらに対するには過剰な事のように思えた。

 だから話せば通じるかもしれないと思ったのだ。

「……なあ、これから一生人間に危害を加えないと約束してくれないか?」

 言った途端、まるで嘲るようにイリアスは肩を竦める。

 確かにこれは受け入れがたい要求だろう。魔族は魔王とやらを復活させるのが至上命題だ。

 その魔王が復活すれば、人間にとって多大な害がある事は想像するに難くない。

 俺の要求はイリアスに存在意義を捨てろと言っているに等しいのだ。

「そうしたら見逃してくれるの?」

「いや、それだけじゃ無理だ。上に居る女性二人の治療をしてくれ」

 その瞬間、イリアスは「ああ」と声を上げながら、得心したという様に頷いた。

「あなた、出来る限りの人間を助けたいのね」

「少し違う」

 こちとら平和平穏な生活を、生まれてからずっと享受してきた存在なのだ。

 出来る限り、人は死なない方がいいし傷つかない方がいいと思っている。

 それは……。

「アンタも、死なない方がいいと思ってる。だから、人間だけじゃない」

 多分、俺の目の前に居る存在は、多くの人間を殺して来たはずだ。

 命を命とも思わず実験とやらに消費してきたに違いない。

 イリアスに殺された人達からすれば、俺の判断ははらわたが煮えくり返る思いだろう。

 それでも俺は、イリアスを殺したくないと思った。

 イリアスがもう人間を殺さないと約束してくれたのなら、今後傷つくかもしれなかった人たちは居なくなる。その中に、イリアスが居てもいいじゃないかと、そう思ったのだ。

「………………」

 断言した俺の顔を、イリアスは目を丸くして見ている。

 完全に、何を言っているのか理解ができないといった様子だ。

 その表情が、時間が経つにつれてだんだんと笑みの形に崩れていき……。

「あはははは……、何それ! あはははははっ」

 爆発するように笑い出した。

「あなたが私を殺そうとしてるのに、殺したくない? ふふっ、殺せると証明までしてみせた後にそれなんて……。あはははっ」

「だから、二度と人間に危害を加えないと約束して欲しい」

 俺はきっと矛盾の塊だ。

 殺すぞと脅して命を奪うなと強制し、多くの命を奪って来た存在を放逐しようとする。

 方法が主張と矛盾して、存在と主張が矛盾していた。

 ならばきっと方法と存在もまた矛盾しているのだろう。

 おためごかしでしかなくて、信用という上辺だけで完成する約束を、俺は結ぼうとしていた。

「ふふふっ、あなたはやっぱり面白い。ねえ、異世界人ってみんなこうなのかしら?」

「多分、その異世界人からもバカって言われるよ。生存競争なんだからお前を殺しても自然の一部だってね」

 殺し殺されるのが自然で普通のことだ。

 人間は食べるために殺す。生活するために邪魔になる存在、例えば害虫を殺す。

 生きているだけで多くの命を殺しつくし、踏みつけにして成り立っている。それが命だ。

 生きるために殺す方が普通のことで、殺すなと言う方が異常なのだ。

 だから俺はきっと、不自然で、矛盾して、歪な存在。

「そうよねぇ、うふふふふふっ」

 イリアスはそのまま何度も何度も頷きながら笑い続け……笑って笑って笑い続けた。

 笑われ続けてさすがにむかっ腹が立って来た頃、ようやくイリアスは笑いを納める。

「あー、面白かった」

 それでも時折しゃくり上げていたが。

「じゃあお礼に、私からカードを上乗せしてあげるわ。何を選ぶのかはあなた次第」

 そう言うと、イリアスは先ほどまでとは違う邪悪な笑みを浮かべ、

「あなたを元の世界に帰らせてあげる」

 なんて悪魔の囁きをしてきたのだった。

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