第26話 しあわせの決断

 健太郎は、さつきとのお見合いのために朝から着用していたスーツを脱ぎ捨て、Tシャツにショートパンツの涼しげなファッションに着替え、奈緒の墓のある墓地へと向かっていった。

 石垣に囲まれた小径を歩くと、奈緒と作った色々な思い出が頭の中に蘇ってくる。

 やがて墓地にたどり着くと、黒髪のショートカットの女性が、墓の周囲を箒で丁寧に掃除していた。


「久しぶりだな、みゆきさん。お帰り、日本に、そして中川町に」

「あ、久しぶりです先輩。奈緒ちゃんのお墓、あまりにも掃除がされていなかったので、実家から箒を借りてきて掃除してたんですよ」


 久しぶりに会ったみゆきは、去年に増して大人びた表情をしていた。

 みゆきは奈緒に比べると小柄であるが、ショートカットの黒髪と黒ずくめのファッションを着こなすクールビューティという感じで、冷静な時のまなざしや横顔にドキッとさせられることがある。


「奈緒ちゃん、残念でしたね。折角、先輩といい仲になったのにね」

「うん。この世に二度と来ないと聞いた時、地に落とされた気分になったよ」

「でも、奈緒ちゃんの気持ちも分かる気がする。たかだかお盆の四日間だけ奈緒ちゃんに会いたいがために先輩が結婚できないなんて、不憫だもの」


 そう言うと、みゆきは、色とりどりの沢山の花が手向けられている墓の花瓶に、少しずつ水を注いだ。


「さっき、奈緒ちゃんのお母さんがお墓に来ていったんですよ。お花を沢山供えて、そそくさと帰っちゃったけど」

「お母さん?あれ、そう言えば去年、奈緒のお墓に沢山の花を供えていった人は、お母さんだったのかな?」

「ああ、たぶんそうかもしれませんね。というか、お母さん、もっと素直になればいいのになあ」


 そういうと、みゆきはうつむきながら語りだした。


「去年、お母さんがここで奈緒ちゃんに会うなり『あなた本当に奈緒なの?』とか言って、さんざん暴言吐いて帰っていったじゃないですか?あの後、私、お母さんのこと追いかけたんです。そして、『どうして私の友達の事、自分の娘の事、信じられないんですか?』って、お母さんに詰め寄ったんですよ」

「マジか?あのお母さん、簡単には自分の考えを曲げないタイプだろ?よくそこまでやれたよな」

「でも、先輩が一生懸命、私の大親友である奈緒ちゃんを思うがために色々動いてくれて、お母さんの所にも直接出向いて自分の気持ちを伝えていた姿に、私はすごく心を打たれたんです。あの頑固なお母さんも、ついにこの町に来てくれたし。何というか……すごくカッコよかった。だから、私、そんな先輩の力になりたかったんです。まあ、私なんかの意見を聞いてくれるんだろうかって、正直不安はあったんですけどね」


 みゆきの口から発せられた言葉に、健太郎はあっけにとられてしまった。


「そ、そんなにカッコよかったか?」

「うん。カッコよかった。ほんのちょっとだけど……惚れた、かも?」


 健太郎は、顎が外れそうになった。

 普段はクールで自分の気持ちを前面には出さないみゆきの口から出された「惚れた」という言葉に、ただ仰天して、何も言えなくなってしまった。


「でも、私がお母さんをたしなめてから、お母さん、やっと自分の奥にある思いに素直になってきたみたいですね。それまでは、奈緒ちゃんのお墓にこんなにお花をお供えするなんて、全然しなかったもの。あ、欲を言えば、もう少し掃除くらいはしてほしいと思いますけどね」


 健太郎は、美江が奈緒に暴言を吐いたその数日後、突然奈緒に謝りにきたので、一体何があったのか、正直不思議に思っていた。


「ああ。だからあの晩、お母さんは直接奈緒に謝りに来たのか」

「ん?お母さん、何かしたんですか?」

「いや、何でもないよ」


 健太郎は立ち上がり、とぼとぼと歩き出すと、みゆきもその後を追うように歩き出した。少し浮かない顔をしている健太郎の顔を見て、みゆきは、健太郎の後ろでささやくように話した。


「どうしたんですか?今日はちょっと元気ない顔してますね?」

「親の薦めで、お見合いしたんだよ。商工会長の娘さんとね」

「え、さつきさんと?あの子は正直、評判よくないですよ。やめた方が……」

「うん。そう思うんだけど、俺の親が乗り気でね。折角の話を断って、あまりガッカリさせたくないという気持ちもあってね」

「いつまでも、結婚しないから?」

「ああ。俺、もう三十代も半ばになるし。それに、数年前まで独身だらけだった俺の周りも、皆ぼちぼち結婚し始めてるし」

「まあ、先輩の場合は『彼氏にしたい部員ランキング』の下位常連だから、ね。苦戦しているのは分かりますね」

「や、やかましいわい!今更そんな下らないランキング持ち出すなよ」

「ただ、あくまであれは『彼氏にしたい』だから、『結婚したい』ではないんだよなあ」

「え?」


 健太郎の足がピタッと止まった。

 みゆきは、いたずらっぽい笑顔でクスっと笑い、目を見開いて健太郎の顔を見つめた。


「先輩が、こんな私を嫌でなければ、さつきさんとお付き合いするつもりでなければ、そして、奈緒ちゃんのことをいつまでも引きずっていなければ……私、良いですよ。お付き合いしても」


 健太郎は、みゆきの言葉に、思わず目が飛び出しそうになった。

 みゆきは、まんざらでもなさそうな表情で、健太郎を見つめていた。


「ほ、本気で言ってるのか?」

「うん。そうですよ。どうなんですか先輩?ハッキリ結論を出してください。私、ハッキリしない人は大っ嫌いですから。そして、先輩がどんな結論を出しても、私、受け入れますから」


 健太郎は、胸の高鳴りが止まらなくなった。

 蝉の鳴き声がこだまする森の中で、健太郎は立ち止まり、しばらく考えた。

 奈緒だったらどう思うだろう?

 もし、あの手紙の言葉の通りならば、健太郎の背中を押してくれるだろう。そして、健太郎の結論を受け入れ、喜んでくれるかもしれない。


「みゆきさん……こんな俺で良かったら、こんな不細工で不器用で、『彼氏にしたい部員ランキング』下位の自分で良かったら、付き合ってくれるかな?」


「はい、喜んで。というか、私の中の『結婚したい部員ランキング』では、先輩はダントツのトップですから」


 みゆきからの言葉に、健太郎は思わず涙が頬を伝った。

 そして、後輩がすぐ傍で見ているというシチュエーションにも関わらず、声を上げて泣き出してしまった。


「みゆきさん、俺はみゆきさんの気持ちがすごく嬉しい。けど、俺は奈緒に……何といってあげればいいのか」

「奈緒ちゃんは、きっと喜んでると思いますよ。奈緒ちゃんは先輩のことが大好きだからこそ、しあわせになってほしいと思ってるはず。それよりも、男なんだからそんなに声上げて泣かないでくださいよ。はい、ハンカチ」


 みゆきはニコッと笑ってハンカチを健太郎に手渡した。

 健太郎はハンカチで必死に涙をぬぐうと、気持ちを落ち着かせようと、すーっと深呼吸した。


「落ち着きましたか?」

「あ、ああ。何とかね」

「先輩、落ち着きがない所は昔と変わらないですよね。ま、だからこそ私が面倒見なくちゃなって思ってるんだけど」


 そう言うと、みゆきは手を差し伸べ、健太郎の手を握った。

 健太郎も、みゆきの手を握り返した。

 鬱蒼とした木々に囲まれ、ひんやりとした空気の中、蝉の声がけたたましく鳴り響く中、二人は寄り添いながら、綺麗に掃除され、沢山の花が供えられた奈緒の墓を後にした。

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