第59話(優香)

もう何もかもが嫌になって、勢いあまって学校から飛び出してきた。さらに、内履きのままで。靴の中に、積もっていた雪が少し入って冷たい。


全てがどうでもよくなってしまった。何のために頑張っているか分からなくなった。

私は頑張ると、幸じゃなくて苦が返ってくる。神様は私を嫌っているらしい。


「寒い」


ネックウォーマーの代りに、制服の中に顔をうずくめる。呼吸をすると、柔らかく、甘くてサッパリした匂いがする。


――あぁ好きな人の匂いだ。


落ち着く。柊くんに包まれているような、錯覚を覚える。それと同時に、好き、大好き、という側から見ると甘々しい感情が思い起こされる。


張っていた感情が緩んだせいか、涙腺も緩む。


「もう、やだよぉ……」


泣いても、泣いても、心の辛さは取れない。

寧ろ一人で泣いている、という事実がさらに心を苦しめる。誰もいない、隣にも後ろにも、前にも……好きな人はおろか、友達すら。


自分自身が、なにもかも放り出してここにきているのに、私はどこまで勝手なのだろう。こんなに、自分の事しか考えていないから報われないのかな。


自分の思考全てが私を殺す。


さらに、まだ死なない私を殺しにかかってきているのか、古い記憶が駆け上がる。


頭痛と吐き気がする。あの時の記憶。あの人たちの顔。何年経っても変わらない。私は弱いまま、このまま大人になって、またこんな風に苦しむのかもしれない。もう、うんざりだ。好きな人を友達に取られてこんな風になるなら、もうあの人の事を忘れても……


雪を踏みにじる音が静かな風景に響く。冷たい風が、もうあっには戻るな、と来た道の方から吹く。


追い風って、こんな形でも吹くんだ。

何かを頑張っている時に吹いて、勢いをつけてくれるものって思っていた。けど、私には、そういう形では吹いてくれないらしい。……あぁ、もしかしたら神様は頑張っている私が嫌いなのかな。だから頑張っても辛い事しかないし、心の隅で苦難に立ち向かおうとする私を、自分で殺させようとしているのかもしれない。


とにかく、今私が向かわないといけない場所は後ろではないらしい。このまま歩いて遠くに行かないと。


気づかないうちに、本当に知らないところまで来ていた。周りには何もない。スーパーもコンビニも大きな建物も何もない。静かな、住宅街だ。唯一あるのは汚れと錆が目立つアパートだけ。


ぼーっと、そのアパートを見ていると、雪掻きをしていた30から40半ばの男性と目が合う。


アパートの庭と道路回りを雪掻きしているから、ここの大家さんかもしれない。


まぁ、私には何の関係もない。このまま、ずっと歩き続けてどこかに行こうと、また歩み始めると……


「そこの嬢ちゃん」


嬢ちゃんとは私のことだろう。周りには私以外人はいない。それ故に「はい?」と少し警戒心を高める。


「何があったかは知らんが、そうやって歩いていると大事なものを失うぞ」

「……?」

「顔が死んでいる」


そのあとに「昔のあいつみたいだ」と口ずさむ声が聞こえた。


この人は何を知って、私にそんなことを助言したのだろう。この世界は私に、そのまま歩けと言っている。だから、あそこにいても辛いまま。もうそれは耐えきれない。


「歩くことをやめ、休むことも大切だ」

「今は、あそこから早く離れたいんです」


不思議と、自分の手を見る。真っ赤でかじかんでいる。グーパーと運動させようとするが上手くいかない。


「より遠くに行きたいなら、ある程度の休憩も必要だろう」

「そうですか」

「空いている部屋がある。そこで休むといい」


この手のかじかみは体の最後の抵抗なのか、いち早く暖をくれと、暴れる。まぁ、ここで休んで体も納得してくれるなら、それでいいかもしれない。


「じゃあ、有り難く休ませてもらいます」

「あぁ。奥から二番目の部屋だ。少し前の入居者の物があるが気にしないでくれ」

「はい」


物とは何があるのだろう。……自殺した部屋とかじゃなければいいけど。


「あとから、温かいお茶を持っていく」

「すみません」


そう一言だけ大家と思われる人物は雪掻きをし始める。


これはもう勝手に入っていいという事だろうか。そう勝手に解釈し、私はこの今にも壊れそうな階段を上った。


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中は少し、ボロっちいけど大袈裟に気にするほどではない。けど、暗い。この部屋に住んでいると、自分の雰囲気まで暗くなってしまいそうだ。私にはこの際雰囲気なんてどうでもいいけど。


まぁ、ただ一つ、気にするなと言われても、気になってしまうことがある。それは、この部屋が柊くんの匂いがすること。甘くてさっぱりした匂いじゃないけど、柊くんの匂いだと分かる。


この匂いが、今に沼の底に落ちそうな私を繋ぎ止める。忘れよう、そう自分に誓ったのに、これじゃあ忘れたくても忘れれない。これだけは、忘れてはならないと、小さくて弱い私が訴える。


「どうすればいいの」


柊くんを思っても辛い、忘れようとしても辛いこんなのどうすればいいのだろう。――嫌いになればいいの?


そう、自分に問いかけていると、カンカンと階段を上る足音が聞こえる。ここの壁はどこまで薄いの……。ここのアパートの悪態をついている事は置いといて、階段を上ったのは大家さんだろうか。それとも他の住人?誰かは分からないけど、いつここから出ようか。それなりに時間が経った気がする。


今の時間を携帯で確認しようとすると、突然ドアが開く。冷たい風と新鮮な空気と共に、一人の人物が、心配したような表情を私に向ける。


「な、なんで?」

「優香。やっと見つけた」


今、一番会いたくて、会いたくない人が私を見つけた。

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