思春期すら吹き飛ばす恋の春風(夏だけど)
景気よく鳴るチャイムが放課後の訪れを報せる。
さっきまで授業中にも拘わらず退屈をしていた心が、跳び上がったかのように元気を取り戻すのは、学生特有の単純さと言えるだろう。
そんな生徒達のあからさま態度の変わりように、先まで世界史の授業をしていた教師が苦笑いを浮かべる。
あんまりはしゃぎ過ぎると宿題を追加されないことを祈るばかりだ。
まぁ、この先生はそんな横暴な真似をする人でもないが。
そうやって部活に行く準備をしていると、空いていた前の席に一人の男子が座る。
「……なんだよ、
「なんだとはひでぇな
友人の匠悟がしたり顔を浮かべながら声を掛けて来た。
噂好きな彼は毎度のように僕へ話題を提供してくれるのだが、如何せんそれらの噂は眉唾なモノがほとんどで、噂通りだったことは片手の指よりも少ない。
「どうせいつものくだらない噂だろ? 僕、そんなの聞く程暇じゃないんだけど……」
「まぁて待て。今日のはしっかり裏付けも取れてる信憑性抜群のネタなんだって! 特に今年の1年の間じゃ常に持ちきりの噂なんだよ」
「1年生の間って、まだ入学して2ヶ月だよ? そんな短期間で2年生にまで伝わるもんなの?」
「伝わってるからこうしてネタを持って来てんだろ! というか3年の先輩達も絶賛盛り上がってる」
「噂どうこうよりそっちの方が信用出来なくなって来たんだけど……なんなの?」
2年生どころか受験シーズンに入った3年生にも広まってるなんて、よっぽどの噂なのだろうかと先を促す。
僕が興味を持ったのが嬉しいのか、匠悟はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに口端を吊り上げる。
「おう。その噂ってのはな……、
今年入った1年の女子の中にハイレベルな4人の美少女がいるんだよ」
「そっか。じゃあね」
「おぉぉぉぉいっっ! 興味失くすの早くねぇか!?」
期待した僕がバカだった。
無駄話で部活に遅刻するわけに行かないので、席を立って向かおうとするけれど、慌てた様子の匠悟が腕を掴んで引き止めて来る。
「お前、もうちょっとなんかないの?! 彼女欲しいとか彼女欲しいとか彼女欲しいとかぁっ!!」
「それ匠悟の願望だよね? 僕はそういうのまだ良いんだけど」
そんな流れ星に願うような願望の明かされ方されてもねぇ……。
思春期を迎えてからというものの、女子と顔を合わせるのが照れ臭いんだよ。
「1人ならまだ分かるけど、4人は噓くさいよ」
「裏付けは取れてるって言ってんだろ! マジで4人共美少女で『東西南北の四姫』って呼ばれてて……」
「何その古いラノベみたいな設定(笑)」
「笑うなぁぁぁぁぁっっ!!」
中学二年生だからって本当に中二病を患わなくても良いのに……。
でも匠悟は本気で悔しがってるようなので、この噂にかなりの自信があったみたいだ。
まぁだからといって信じるわけじゃないけれども。
「ちくしょー! じゃあ百聞は一見に如かずだ! 今から見せてやるから1年の教室に行くぞ!」
「えっ、ちょっと、僕は部活に行きた──」
「このまま笑い者にされてたまるかってんだ!」
僕に笑われたのがよっぽど堪えたのか、匠悟は掴んだままの腕を引っ張って強引に歩き出した。
そんなわけで部活に行くことを許されず、転ばないようにバランスを保つのが精一杯でロクに抵抗出来なかった。
やがて辿り着いた1年生の教室の前で、僕はようやく腕を解放してもらえるが、ここまで来ちゃったら部活は遅刻確定だろう。
ごめんなさい、部長。
「ほら見ろ。あそこの窓際の席! あそこにいる4人が噂の美少女達だ」
「いや1人だけ背中を向けてるから見えないし」
噂を肯定してもらいたい一心で急かす匠悟を尻目に、指示通り窓際の席へ目を向ける。
そこには、確かに4人の女子が1つの席に集まって談笑していた。
内容は良く聞こえないけど、朗らかな笑みを浮かべていることから楽し気な話題なのが窺える。
そして肝心の彼女達の顔立ちだけれど……うん、確かにうちのクラスの女子じゃ敵わないくらいだ。
でも僕の中ではそれまでだった。
だってそのクラスの女子とまともに話せないのに、あんな可愛い子達を見たところで結局気恥ずかしさが変わるはずがない。
「まず1人目。窓を背にしているボーイッシュな子は西山
「え、これ匠悟が逐一説明していく感じ? 特にそういうの求めてないし、なんか解説モブっぽいよ?」
「うるせぇ! 当人を観ながら説明した方が解り易いだろうが!」
「その反論の意味が分からないよ……」
しかし、そうなのか。
確かに男の子らしい雰囲気だけど、顔立ちはしっかりと女の子だから、何というか同性にモテそうなタイプには見える。
「続いて蓮水ちゃんの右側にいる眼鏡の子。あの子は北谷
「ギャップ」
委員長キャラに見せかけたドジっ子って属性が強すぎない?
先陣を切るのに肝心なとこで詰めの甘い委員長……確かにマスコットかもしれない。
でも本人が知ったら嫌な顔をされそうなポジションではある。
せめて何も知らないままでいて欲しいものだ。
「3人目は智由里ちゃんの対面に座る、東野
「推し」
「アメリカ人のハーフで、4人の中では小柄な体躯と大人しい性格から『みんなの妹』とも呼ばれていて、その庇護欲をこれでもかと刺激されるか弱さが人気の秘密だ」
「今まさに僕に洩れたから秘密じゃなくない?」
というか何『みんなの妹』って。
匠悟のことを初めて気持ち悪いって思っちゃったよ。
だから彼女が出来ないのかもしれない。
単純な可愛さで言えば頷けなくも無いけど、遠目で見つめる方が良い感じに思える。
「そして最後。背を向けているので顔は見えないが、4人の中で1番の美少女である早川天那ちゃんだ」
「最後だけ『南』が苗字に入ってないのかよ」
東西南北の四姫って言うから他の3人と同じ法則なのかって思ったのに、妙にスッキリしない締まりだった。
後、顔が見えないのに1番の美少女って言われてもピンと来ないって。
「いや、何でも親が再婚して苗字が変わったらしい。その前は確かに南の性だったそうだ」
「へぇ~…………え、なんで知ってんの?」
普通に流しかけたけど、人の家庭事情を知ってるとかどういうこと?
「おい誤解するなよ? 本人がそう言ってたって話だからな?」
「あぁ良かった。流石に一線を越えてたら絶交するところだったよ」
「お前な……」
友人の犯罪紛いな奇行を想定して、いつ縁を切ろうか考えていたら訂正が入った。
こっちが悪いみたいな目を向けられても、誤解される言い方をした方に問題があるように思える。
自業自得だと呆れていると、談笑していた4人の女の子達が席を立ち上がっていった。
そろそろ帰るか部活に行くのだろうか。
そう考えて邪魔にならないように動こうとした時、僕達に背を向けていた早川さんが振り返って……。
──一瞬、呼吸を忘れるくらいに目を奪われた。
明るい茶髪を赤いリボンで二つ結びに纏め、瑠璃色の瞳は初めて人の目を綺麗だと感じた程に透き通っている。
筋の整った鼻、陶器のように白い肌、何より着飾らないありのままの表情が彼女の内面を表しているように見えた。
匠悟が4人の中で1番の美少女というだけはある。
というより全身に火が付いたみたいに熱いし、耳には早くなった心臓の鼓動しか聞こえない。
未知の感覚に戸惑っていると早川さんと目が合い、微笑み掛けられた。
そうしたら、ただでさえやかましい心臓が一際大きく脈を打つ。
「こんにちは」
「ぇ、あ、その、こ、こんにちは……」
鈴を転がしたような声が耳に入る。
耳と心が満たされるような幸福感と、元来の女子慣れしていない性分からどもった返事をしてしまう。
「ウチのクラスの誰かに用事ですか?」
「ぃや、えと、ぶ、部活に行く途中で……」
「そうだったんですね。見たところ先輩みたいですけど……何の部活をしているんですか?」
「しょ、将棋部……」
将棋部なのは本当だけど、部室がある特別棟とここは正反対に位置している。
見苦しい言い訳だったものの、新入生の早川さんには気付かれなかったようだ。
なお、将棋部といっても某天才棋聖みたいな才能は誰も持っていない。
あくまで趣味の範囲でやるようなものだ。
しかし、人の所属する部活を聞いてどうするつもりなんだろう?
不意に浮かんだ疑問に頭を捻る間もなく、彼女が質問の意図を告げる。
「将棋部……なら大丈夫かな。わたしは家庭科部に入ってるんですけど、もしかしたら作ったお菓子のお裾分けをする機会があるかもしれませんね」
「うぇっ、なんで……!?」
状況の処理が追い付かない頭にとんでもない爆弾を落とされた気分だった。
青春とは程遠い将棋部に早川さんのような女の子が来たらどうなるか……確実に部活どころじゃなくなる。
というかお裾分けってどういうことだ?
確かに家庭科部は作ったお菓子を他の部活に渡したりしているが、それはあくまでも運動部がメインなはず。
扱いとしては文化部の将棋部に持って来る理由が思い当たらない。
何か対価でも要求するのかと訝しむけれど……。
「……? だって将棋ってすごく頭を使うんですよね? だったら甘いお菓子を食べれば少しは部活にも集中出来るかなって思っただけですよ?」
「えっ……あ、そういう……」
早川さんは極自然なことだという風に理由を告げた。
とても嘘を言っているようにも見えず、どこか残念な気持ちを感じながらも納得させられた。
何というか、気恥ずかしさはあれど早川さんと話すのは苦じゃない。
僕は女子に向かって話すと、緊張から決まってどもった話し方をしてしまう。
それを何度もバカにされたり気味悪がられたりしたせいで、余計に苦手意識が強くなっていた。
だけど、彼女はそんな態度を取らずに僕の言葉にしっかりと耳を傾けて返してくれている。
ますます高鳴る胸に、ずっとこのまま話していたい気持ちが芽生えていく。
そんな感覚に陥ろうかとした時……。
「あまっちー。どうしたっすか~?」
「早く行かないと
「は、早く~!」
他の3人に呼び掛けられたことで、惜しくも会話に終わりが来てしまった。
用事がある中で僕と話してくれたのか……そう思うと無性に嬉しさが込み上げて来る。
もちろん、足を止めてしまった申し訳なさもあるが。
「あっゴメンね! それじゃ先輩。お裾分けの時はよろしくお願いしますね」
「う、うん……」
別れ際に向けてくれた彼女の笑みに、堪えようのない高揚感に心が震えた。
去って行く背中をボーっと見送っていると、さっきまであんなに弾んでいた胸が地に沈むかと思う程に落ち込んでいるのが分かった。
ここまで来ると、僕は自分の気持ちを誤魔化すことが出来ない。
物語の中だけだと思っていた一目惚れを、僕は早川さんにしてしまったのだ。
そう自覚した時、不意に肩に手を置かれる。
振り返ると匠悟のニヤついた顔が目に映った。
その瞬間、感傷的な気持ちが一気に消え失せる。
同時に怒りが湧いて来た……なんてことをしやがった。
だが匠悟は僕の睨みに対して怯まないどころか……。
「まさか峻介に春が来るとはなぁ~」
「──っな!!?」
あろうことか、僕の心に芽生えた感情を的確に揶揄してきた。
よりにもよってこの悪友にバレたことで、顔が灼熱を帯びたかのように熱くなる。
「早川ちゃん狙いのライバルは多いぞ~?」
「~~っ、うるさい!」
あれだけ魅力的な早川さんを、他の男子も狙ってるなんてわかり切ってることだ。
けれども匠悟のからかう物言いにロクな反論も出来ず、その後も僕は弄られ続けるのだった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます