おやすみなさい



 紆余曲折を経て南家の空き部屋を仮住まいとすることになり、車の中にあった着替えや寝具、僅かな家具等を運んでいく。

 作業はあまなちゃんと天梨も手伝ってくれたため、思いの外早く済んだ。

 

 空き部屋とは言っていたが、元は亘平さん達が訪れた際に寝泊まりする部屋だったので、荷物を運んだとはいえ1人で使うには広めに感じる。


「元々の部屋が広いというのもありますが、和さんが車に積んでいた荷物そのものがあまり多くありませんでしたね」

「前住んでたアパートは、洗濯機と冷蔵庫みたいな生活必需品が備え付けだったんだよ」


 ボロいことを除けば家賃は比較的安めだし、そう考えると本当に破格の物件だった。

 火事と加齢を理由に無くなったのが残念だ。


「娯楽趣味も無いし、服も着られればいいやってことで多くないな」

「……テレビがありましたが、あれは?」

「一人暮らしを始めた頃はともかく、次第に観なくなって黒音が泊まりに来る時以外は電源を抜いてた」

「……本当に寝泊まりするだけの部屋だったんですね。どうりで以前泊まった際に生活感を感じなかったわけです」


 天梨から憐れみを帯びた眼差しを向けられた。

 まぁ、大体その通りだから否定はしない。

 

「でもきょーからここはおにーさんのおへやだもん!」

「あははっ、そうだな」


 荷運び中、俺が自分の家で暮らすようになったのがよっぽど嬉しいのか、終始ニコニコしていたあまなちゃんがそんなことを言ってくれる。

 その言葉に嬉しさを感じる半面、いざ出て行く時にも一悶着ありそうだなとも思う。


 天梨の提案を受け入れはしたものの、長居するつもりはないからだ。

 あくまでここに居られるのは新居が見つかるまでの間……新しい部屋が決まれば必然的に出て行かないといけない。

 早くて今月中……遅くとも今年中にはそうなるだろう。


 その時は俺と同じ家で過ごせるのは楽しい、と喜んでくれたあまなちゃんを悲しませてしまうのは明らかだ。

 どうにも心痛む話だが、いずれ来る避けられない現実でもある。


 ならば予め伝えておいた方が良いんだろうが……今それを言って水を差すのは憚られた。

 ある種の現実逃避になってしまうが、しばらくは一緒に暮らせる日々を楽しんでおこう。

 

「さて、私は洗濯物を取り込んで来ますから、和さんは夕食まで休んでいて下さい」

「え、いや、流石に部屋を貸してもらったんだし、家事くらい手伝うぞ?」

「申し出はありがたいですが、まだ疲労は残っていますよね? 荷運び作業もありましたし、今日のところは静養に努めて下さい」

「うっ……解ったよ……」


 衣食住の内2つも提供してくれる状況で、そこまで甘えるわけにいかないと手伝いを申し出たが、にべもなく却下されてしまう。

 実際のところ、疲労が抜け切っていないのも事実だ。

 

 手伝うのは無理でも、物件の資料を見るくらいなら全然出来るはず。

 よし、なら今からでも資料を取り出──。


「天那。和さんがしっかり休むように見張っていてくれますか?」

「うん! わかったー!」

「うぇっ!?」


 ──そうとして、天梨から指示を受けたあまなちゃんが可愛らしい敬礼を披露する。

 まさかの先制を受けた俺は声を上げて驚くしかない。


 茫然とする俺と監視任務を受けたあまなちゃんを残し、天梨は部屋を出て行った。

  

「おにーさん、やすもう? さっきみたいにあまなのおひざでねる?」

「……布団で寝ます」


 流石にそこは辞退する。

 さっき目覚めた時は天梨と交代したからセーフだったが、自分からお願いして膝枕をさせてもらうのは躊躇う。


 大人しく布団で寝ようと横になるが……。  


「それじゃ、あまなもいっしょのおふとんにはいるー」

「ええっ!?」


 まさかの添い寝宣言をされた。

 もうこうやって驚かされるの何度目だよ、とは思うがそれだけ疲れている証拠かもしれない。


 でも見張るだけなのに同じ布団で寝る必要があるんでしょうか?


 あまなちゃんの考えることは良く分からないなぁ……。


「おにーさん、あまなといっしょにねるのイヤだった?」

「い、いやじゃないけど……あまなちゃんは良いのか?」

「? ぜんぜんイヤじゃないよ?」

「あ、そっすか……」


 別に何もするつもりはないが、念のため確認をしてみれば何とも疑い知らずな答えが返って来た。

 前々から思ってたんだけど、あまなちゃんの中で俺に対する信頼度が凄まじい気がする。

 こんなまっすぐに信頼を向けられて、果たして裏切るなんて真似が出来るんだろうか?


 ……いや無理に決まっている。

 むしろそんな愚行を犯したヤツをぶっ飛ばしたくなるくらいだ。


 そうして揃って同じ布団で寝ることに。

 子供らしいあまなちゃんの温もりに内心癒しを感じつつ、予想よりも早く眠りに就けた。


 ========


 その後、風呂の準備を済ませた天梨に起こされるまで眠ることが出来た。

 アパートの時より広い湯船で入浴を終え、昼食と同様に3人で食卓を囲んで夕食を頂く。 


「ごちそうさまでした」

「ごちそーさまでした!」

「はい、ありがとうございます」


 夕食も天梨が気を利かせて、疲労回復に趣きをおいた白菜と大根のスープだった。

 味が染み込んだ野菜と肉は非常に味わい深く、スープもトロトロながらさっぱりした風味で、点数を付けるとしたら間違いなく満点レベルの出来だ。


 美味そうに食べる姿を見ていたためか、作った本人も実に嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

 その後はテレビを見たり、あまなちゃんが学校であった出来事を聴いたりしている内に、夜もすっかり更けて午後9時を過ぎ……。


「ん……ん」

「あまなちゃん? もしかして眠くなって来たのか?」

「うん……でもあまな、もっとおにーさんといたいなぁ……」


 あーもう、夢現のぼんやりした顔でめちゃくちゃ可愛いことサラッと言うなよぉ~……。

 

 全力で構い倒したくなるくらいの可愛さに悶えつつ、両手を必死に抑える。

 そういえばあまなちゃんは、いつもこの時間帯に寝てるんだったっけ。


 本心としてはもっと起きていたいようだが、体に染み付いた感覚から既に船を漕いでいる状態だ。

 そんなに懐いてくれる嬉しさを噛み締めつつ、眠気で揺れる小さな頭に手の平を乗せる。 


「昼にあまなちゃんが言ってただろ? 俺はしばらくこの家に住むんだから、朝になったらすぐに会えるよ」

「うん……」

「和さん。すみませんが天那を部屋まで運んでくれますか?」

「あぁ。お安い御用だよ」


 天梨の頼みが無くてもそうするつもりだったが、勝手にするよりは許可があった方がやりやすい。

 ともあれ、あまなちゃんの小さな体をお姫様抱っこで抱える。


 普段の業務で鍛えられた腕力を以ってすれば、小学1年生の女の子は実に軽いもんだ。

 

 ……後ろから付いて来る天梨がやけに睨んで来る気がするがな。

 なんだろう、おんぶか普通の抱っこが良かったんだろうか?

 でも顔を見ると至って平常なんだよなぁ……前に向き直すとすぐに睨まれるという謎は残ったままだ。


 そんな不思議な眼差しを受けつつも、ベッドに運んだあまなちゃんの両目は完全に閉じられている。

 この調子だとあっという間に眠るだろう。


「それじゃあまなちゃん。また明日」

「うん……、おにーさん……」

「──……あぁ、おやすみ」


 さも当然のように言われた『おやすみ』という言葉に、形容出来ない温かさを感じながらも同じ言葉を返す。

 それがスイッチだったかのように、あまなちゃんは小さな寝息を立てて眠り出した。

 無邪気な寝顔に癒されながら、俺と天梨は静かに部屋を出る。


「和さんもそろそろ休んで下さい」

「あぁ。……って言っても昼に散々寝まくったから、今から寝れるかあんま自信ないけどな」


 昼に寝過ぎると夜が寝れないっていうしな。

 今までの睡眠不足を踏まえると恐らく問題無いだろうが、寝付くまでには時間が掛かるだろう。


 そう考えていると、天梨はクスリと笑みを零し……。


「でしたら、また私が膝枕をしましょうか?」

「──っ、……違う理由で寝れなくなりそうだから勘弁してくれ……」


 昼間のあまなちゃんと同じことを言うなんて、何とも濃い血の繋がりを感じさせられる。

 特に慣れたとはいえ天梨は超が付く美人だ。

 動揺と眠気が勝っていた一度目ならいざ知らず、余裕のある今じゃ色々とマズい。

 

 あからさまに狼狽える俺の反応に、天梨は笑いを堪えながら続ける。


「ふふふっ冗談ですよ。それで明日は出勤ですが、いつもはどのくらいの時間に起きているんですか?」

「えっ? あぁ、大体7時前には起きるようにしてるよ」

「分かりました。それでしたら特段早起きする必要はありませんね」

「それって朝食のためか?」


 起床時間を知って安堵した天梨に尋ねると、少し誇らしげな表情でこちらを見つめて来る。   


「えぇ。三食作ると約束しましたから。もちろんお弁当もいつも通り作りますから、寝坊しないで下さいね? それではおやすみなさい」

「お、おぉ……おやすみ」


 そう言って話を切り上げた彼女は、一礼をしてから自室へと向かって行った。

 一人廊下に残された俺は、無性に早くなっている鼓動を落ち着かせながら宛がわれた部屋に入る。

 

 ──……この生活、思ってたより中毒性がヤバいかもしれない。


 あの親子は徹底的に甘やかして来るつもりなのか?

 そう勘繰ってしまうくらい心臓に悪い。


 言葉に出来ない奇妙な感覚のせいか、寝付くのに時間が掛かるのだった……。  

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る